07/02/09 15:13:14 Eg/idrMl
チラ裏貧乏話を吐き出します。
貧乏子沢山出身の私(姉、兄、私、弟)。
父さんも貧乏子沢山の長男、学校行きたかったけど行けなくて
子供の頃から木こりみたいな仕事してたらしい。私が産まれた時既に50過ぎてた。
生きてたら90歳近いんだけど戦争で連れ合いと子供亡くして母さんと一緒になったらしい。
家なんて掘っ立て小屋、トイレは外、電話はなくて連絡網は近所の家の番号で呼び出しと書かれていた。
でも父さんなんでも作ってくれたし教えてくれた。ローマ字も父さんに習った。
財産残せないから兄弟たくさんにしたんだ、兄弟たくさんで財産残すとケンカするからなってよく言ってた。
姉は中卒でバスガイドに、兄は農協のガソリンスタンドで働きながら定時制行って
結婚してから家を建てて父さん母さんを看取ってくれた。
弟も配管工しながら定時制行って結婚して家建てたけど34歳で死んじゃった。
父さんっ子だったから連れて行かれたのかな。
私は中卒で働きながら寮に入って准看行って、修学旅行の支度のお金なかった時に
まだ働き始めて5年くらいしか経ってなかった姉が新品の下着一式とワンピース買ってくれた。
姉の持ってる一番いいバッグ貸してくれた。兄は靴買ってくれた。嬉しくて嬉しくて泣いた。
学校出てたまたま県立病院に入れて今は姉より給料貰えるようになって
2年くらい前かなあ、ボーナスから10万円あげたら要らない要らないとビックリして
あの時の修学旅行の支度、今でもお金で返せないと思ってるからって言ったら
泣きながら受け取ってくれたのに私の娘に6万円もする七五三の晴れ着買ってよこした。バカだよね。
貧乏辛かったけど、父さんの言った通り兄弟残してくれて良かった。