【泣ける話】at HEALING
【泣ける話】 - 暇つぶし2ch2:癒されたい名無しさん
06/07/30 04:50:49 xe9+5Ksi
 「ください………………ここに………ここに先生の……あなたのおチ○チン、あたしの……お、おま○こに、入れてください!
 お願いっ! ずぶううって、つっこんで! あたしのおま○こ、あなたのそれで、ぐちょぐちょにかき回して! 奥まで入れて、気持ちよくしてぇ!」
 叫びながら優良さんは指で秘裂を広げてみせました。よほど興奮していたのか、白濁した蜜がとろっとこぼれてきます。
 男はこちらも興奮した目つきで優良さんにのしかかってゆきました。
 先端が唾液と先走りに濡れたペニスに手を添え、しとどに濡れそぼった秘裂にあてがいます。
 ちゅっと軽いキスをした様な音がしたかと思うと、男は一気に腰を突き出しました。
「あーーーーーーーーーーーっ!!」
 貫かれた途端に、優良さんはものすごい悲鳴をあげて、男の体の下で汗まみれの体を激しくのたうたせていました。
「いいっ! いいっ、ああ、すごい、す、すごいいっ! 気持ちいいっ! ああっ!」
 男が優良さんの右脚をかかえ、体を横向きにさせると、ピストン運動をはじめました。角度が変わってまったく別の快感が優良さんを襲います。
「ひっ! ああ、ふぅあ、ふ、ふかいっっ! ひあああ!」
 優良さんが顔を覆いました。すすり泣いているているようです。
 男はかまわず腰を振り続け、一度奥深く腰をたたきつけると、腰をくねらせながら、かかえ上げた右足を両腕で抱きかかえました。
 すすり泣く優良さんへ、満足気な視線を送りながら、足に舌を這わしてゆきます。
 男が突如くねらせていた腰を前へ前へと送り込み始めました。優良さんの最奥部をかさの増した肉棒がつつきます。
「あ、だ、だめ、これ、あ、ふ、ふかっ、ふかすぎ…………あんっ、あたし、だめ、
 これ、す、すき、ああっ、あんっ、あっ、くああっ、お、おかしく、おかしくなっちゃ………!」
 きつく目をつむる優良さんの目の前に、スパークが飛び交いました。
 今日初めてのオーガズムを迎えた優良さんは、そのままあごをのけ反らせ、全身をぶるぶる震わせます。
 優良さんの媚肉がすべての細襞をまとわりつかせてきました。男の精を搾り取ろうとするかのようです。

3:癒されたい名無し三鳥
06/07/31 00:18:57 LI7LtZPI
3取りー!!!

4:癒されたい名無しさん
06/08/01 00:26:55 6BaytjfB
4シド ジョウ

5:癒されたい名無しさん
06/08/01 00:58:22 JnsWnR+q
病気のドラマ

6:癒されたい名無しさん
06/08/01 05:09:46 zKFd/7/Z
目が覚めても無職

7:癒されたい名無しさん
06/08/01 07:23:20 ZjN/jLtH
初体験騎乗位でローション使って自分から…涙

8:癒されたい名無しさん
06/08/01 16:34:15 WouB5T2v
ワッフル ワッフル

9:癒されたい名無しさん
06/08/02 02:25:31 VIvsr6Ew
あげ

10:癒されたい名無しさん
06/08/02 02:39:36 E3dp23ns
>1

11:癒されたい名無しさん
06/08/02 10:04:58 IqZDHOZj
…メール相手好きになったら親だった…
親が構って欲しくて近付いてきた………

そんなに構って欲しかったのか…?


…もぉ、人好きになれない

orz


12:癒されたい名無しさん
06/08/02 11:35:22 9IKH87Kt
まんこ

13:癒されたい名無しさん
06/08/11 18:47:14 jeqQ5mkn
誰か見てるひといる…?
いるなら書きたいんだけど…

14:癒されたい名無しさん
06/08/11 19:12:33 SFg6UIpk
みてるよ!

15:癒されたい名無しさん
06/08/11 21:50:44 EVKPZSW6
           |;;|
           |;;|    
           |;;|  
      λ., ; . |;;|         
      、!::i;;ヽ  |;;|           
      '|:::ゞ;`ヽ_|;;|    
      |〃:::::,,;; '';;;;#-,,vv.;、   
     'l#"~";;:;,, バ;;カ;;ヾ;`;;`; 
    /#"~  ;___,     ○(;、; 
    l';;; ;;; l#‐) ;i⌒i υ  ! 
     ! *  `~ ,  !m! ( 、 /  
     \   ) ) 。゙∴;;'  ノ
      /`ニニー-、_=:,-ーニヽ
    /:#)/;;;;#;'; ;';;';;ヾ、,,     
    l糞;;;;;┌┼┐イ ┬ ;;; ヾ、
    l;:;;.i!!│人││.申ヾ;死;|
    l#.i;;;│人││メ_;|l#.i;
    ヽ、_ノ|    ' ; ;;;|ヽ_ノ
       l#; ",  ' ;;/
       |;;;";r臭y.;;;;/   
      . |   ;,イ; ,;i
      /l ;'∵/: |;`'.,;'l  ∞~
      /l ;'雑| : |`巾;l 
      | ヽ  ノ.:,ヽ__ノ
       i;' ! ̄ ゜・
       ヾヽ,  。   ∬
       ヽ、l  ' ∫
           ,
         ∬ .  ∫

16:癒されたい名無しさん
06/08/16 23:09:27 ROKVkJGm
みてま~す

17:癒されたい名無しさん
06/11/18 23:24:49 611TRnC9
緊急報告
電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。
銚子電鉄商品購入と電車ご利用のお願い
                                        
拝啓、時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。 
平素は、弊社鉄道事業並びにぬれ煎餅事業に対して、格別のご高配を賜り、
厚く御礼申し上げます。 さて、早速ではございますが、弊社は現在非常に
厳しい経営状態にあり、鉄道の安全確保対策に、日々困窮している状況です。 
年末を迎え、毎年度下期に行う鉄道車両の検査(法定検査)が、資金の不足に
より発注できない状況に陥っております。このままでは、元旦の輸送に支障を
きたすばかりか、年明け早々に車両が不足し、現行ダイヤでの運行ができない
ことも予測されます。 社員一同、このような事態を避けるため、
安全運行確保に向けた取り組むことはもちろんですが、資金調達の為に
ぬれ煎餅の販売にも担当の領域を超えて、取り組む所存でおりますので、
ぬれ煎餅や銚子電鉄グッズの購入、日頃の当社電車の利用にご協力を賜りたく、
お願い申し上げる次第でございます。                                              
敬具
平成18年11月 吉日
銚子電気鉄道株式会社 代表取締役社長 小川 文雄
銚子電気鉄道労働組合 執行委員長   常陸谷恭弘
従業員一同

18:癒されたい名無しさん
06/11/18 23:25:21 611TRnC9
涙が止まりません。
URLリンク(chodenshop.com)

19:癒されたい名無しさん
06/11/19 04:52:28 XeC6Pu6s
なんか今、すごく泣いてスッキリしたい気分です
映画でも音楽でも、小説でもブログでもサイトでも
主観的でもなんでもいいので、泣けるものを教えてくださいな?

20:癒されたい名無しさん
06/11/19 08:44:21 4sbZhUxU
ホラー映画

21:まめ
06/11/19 09:14:45 mD4I8N0J
私の独り言…①

私と彼との付き合いは小学生からの幼なじみ。

普段はお調子者でチャラチャラしているような彼が、毎日日記を付けているんだっと、私に手帳をみせびらかしてきました。中を開いてぱらぱらとみてみると、以外にまめに書いてるなぁ…
と思った瞬間、はい終了っと手帳を没収されてしまいました。        日替わりに女の子の名前書いてあったね~。そんな私の冗談にアホとつっこむ彼。
さらりとかわす彼の態度に少し安心する私でした。




その2ヵ月後、彼が死にました。
バイト帰りに居眠り運転をしてトラックに正面から突っ込み、完全にトラックの下敷きになったそうです。            (独り言なのに、文章が長くなってしまいそうなので、新しく書き込みさせてください↓スミマセン。)

22:まめ
06/11/19 10:37:19 mD4I8N0J
私の独り言…②

私は周りに何を言われてもお葬式に行きませんでした。正確には行けませんでした。
彼が死ぬなんてありえなかったから。もし式にいけば彼の死を認めなければならないし、そんか勇気はありませんでした。

私は学校もバイトもいかなくなりました。ひたすらひきこもっていると、私に彼のママから手紙がきました。…いつも○○と仲良くしてくれてありがとう。○○ちゃんの元気な顔みせてね。
彼のママとは何度か会っているけれど、彼とはいつもいる地元仲間たちと一緒に遊んでいたし、仲良くしてくれてって…なんで私に?ママには失礼だけど、正直うざく思っていました。もうほっといてほしかった。
(今回も書ききれないみたいです。ごめんなさい。自己満足で長文スミマセン。)

23:まめ
06/11/19 11:03:51 mD4I8N0J
私の独り言…③

親に言われて渋々彼の家にに顔をだしたのは手紙をもらってから2週間後。
笑顔で迎えてくれる彼のママ。彼の部屋へ通された私は無意識にソファーの左側にすわって、落書きされたボードの写真と、下に並ぶたくさんの就職本をながめていました
あいつちゃんと勉強してたんかな…ふっと笑って机に手をかけると見覚えのある手帳を発見。あいつに予定なんて立てる意味ないだろうと思いながら開いてみると
(次いきます。長文の連続すみません。)

24:まめ
06/11/19 12:04:02 mD4I8N0J
私の独り言…④

文字がびっしり。ちゃんと日記書き続けてたんだ。プライバシーの侵害ごめん~と思いつつ、私の名前をみつけると、次の日も、その次の日も私の名前は日記に登場するので夢中になって読んでしまいました。

平成×年8月9日
○○の誕生日だ。あいつに物はやらない。なぜならいつも愛情をあげているから。
平成×年12月24日
よっぱらった。○○酒つよすぎ。かわいらしくよっぱらったふりとかしろ。でも、みんなの介抱してくれてありがとう。
平成16年11月15日
○○とケンカした。昔のコトをひきずって泣く女は嫌いだ…やさしい言葉をかけられない自分も嫌いだ。明日電話で謝ろう。


平成16年11月16日
○○が電話にでない。やっぱり言いすぎたのかもしれない。反省。
明日バイトに行く前にプリン買って謝りに行こう。


これで日記は終わっていました。
            (もう独り言どころじゃないですね。)

25:まめ
06/11/19 12:19:03 mD4I8N0J
私の独り言…⑤

日記の後ろのポケットには中学生の頃に私があげた手紙が小さく折り畳んだ状態で入っていました。…内容は、秘密です! 


この世にうまれてたくさんの人に出会って、たくさんの感情をいだきながら、時を経て人は成長していく。彼との時はとまってしまったけれど、
生きている限り私はまたいろんな出会いと感情をいだいて時を刻みながら成長していかなければならない。彼と出会えた事で私は大きく成長できたし、彼との楽しい思い出、悲しい思い出は、充実した時を過ごさせてくれたと思います。
だからあたしはまだ生くよ?いいよね?
私は今この場をかりて、彼と出会えたことに感謝したいです。

ほんとうに、ありがとう。            (もし読んでくれている方がいたら、長々と私の自己満足に付き合っていただいてありがとうございました。)以上で終わります。
ありがとうございました。

26:癒されたい名無しさん
06/11/19 14:30:42 VpB0DJ9E

.     §
     ,§、 プラーン
   ,ー./ハ,§
   〈:://二§_
  /ヽ  ヽ ヽ   
  |:: |::..  |  |
.  |:: |:::.   |  |  
  〈:: 〉::   | / |
.  |:: |::   l  |
.  |:: |____∧_,|
  (((〈::: _ /  /)
   |::::  |::  |
   |::::   |::  |
.   |:: =|::: =|
    |::::  |::   |
.    |:::  ||:::: |
    |__,||__|
    /::__) /::__)
    / / /ノ,/ ))
    ~^~ ~^~
   ____



27:癒されたい名無しさん
06/11/22 01:00:33 03v9/Tkd
まめさん。
悲しいけど、素敵な話ですね。

28:癒されたい名無しさん
06/11/27 09:21:43 vLhbCauA
その男キモイ(((゜д゜;)))

29:癒されたい名無しさん
06/11/27 13:59:21 GNvNdtGE
彼に愛されてたお。まめさんに愛された彼も幸せだお。元気だすお(´・ω・`)

30:癒されたい名無しさん
06/11/27 13:59:52 b7vS2tMs
まんこ

31:癒されたい名無しさん
06/12/06 20:43:44 qC1rN8YZ
うちは爺さんの時代からずっと八百屋をやってたんだ。
爺さんが出兵しても婆ちゃんが女手ひとつで親父たち兄弟と
店を切り盛りしていた。
大きくないけど、そんな八百屋を来週で閉店することになった。

親父は八百屋に誇りを持っていた。
朝から晩まで、盆も正月もなく働いていた親父。
俺が小さい頃、小学校に父親参観ってのがあって
みんなの親父さんが学校へやってくる。
そん時友達の親父はみんなスーツにネクタイ。
でもうちの親父はジャンパーにチノパンにスニーカ、
市場の店番をつけた野球帽を被ってやってきた。
恐らく配達の途中でやってきたのだろう。
俺は嫌で嫌で仕方なかった。
その夜俺は夕飯の時に泣いて怒った。
「父ちゃんはなんでそんな汚い格好で学校に来るんだよ!
みんなの父ちゃんはちゃんとネクタイ付けて革靴履いて
仕事の格好で来てるんだ!恥ずかしいだろ?
そんな格好で来るなよな!!」
そんな俺を母ちゃんはひどく叱って、泣いていた。
「お前、どこにでも行っておしまいよ!そんなに
八百屋の息子が嫌なら、どこぞのお大臣に育ててもらえばいいだろう!!」ってね。
でも親父はいつも黙ってビールを飲んでいた。

32:癒されたい名無しさん
06/12/06 20:44:22 qC1rN8YZ
実際仕事は忙しかったんだ。大きな旅館や料理屋が出来て、
お客になった。店で売る他に、そこに配達をしていたりしていたんだ。
旅館なんて、GWや夏休み、冬休みなんて書入れ時だろ。
だから夏休みに海にも連れてって貰った記憶もないよ。
ご飯だってみんなは「八百屋さんじゃいつも新鮮な野菜が食べられて
いいね」なんて言うけど、それは誤解だよ。
新鮮なものはすべてお客へ、そんで売れ残ったり、半分傷んでしまった
ものなんかを食べるんだぜ。
市場は朝が早いから、外食だってしたことない。
いつも母ちゃんの作った傷みかけの野菜を使った料理や
テストでいい点取ってきた日なんかは
近所の来来軒のタンメンと餃子とチャーハンを取ってくれるくらいだ。
そんな時、親父は決まって自慢気にこう言う。
「おい、ここのタンメンうまいだろう!父ちゃんが売った野菜を
使っているからな。餃子だってそうだ。残さず食うんだぞ!」って
上機嫌だった。

33:癒されたい名無しさん
06/12/06 20:45:37 qC1rN8YZ
何年か経って、近所に大型スーパー建設の話が持ち上がったんだ。
うちの商店街はこぞって反対した。
でも街を活気付かせるため、役所も大賛成で、結局建つことになった。
親父たちはがんばった。スーパーに負けないくらいいい品物を仕入れて、
値段も安くして、配達だってちょっとくらい遠いところなら、
二つ返事で届けてたんだ。
商店街のみんなとどうしたら客の流れを戻せるか、毎晩遅くまで
話し合っていたこともあった。
でも、月日が経つに連れ、商店街は靴屋が減り、刃物屋が減り、
本屋が無くなりと、シャッターを締めっきりの店が増え始めた。
でも親父はがんばった。

俺が大学に合格して、遠くに引っ越すことになった。
親父は人一倍喜んで、「がんばって仕送りもするから、
悔いの無いように勉強して来い」と俺を送り出した。
妹には悪かったが、俺は家族と離れて暮らすことに希望を抱いた。

バイトもして、勉強もして、一生懸命学生生活を送ったんだ。
実家に帰ることも忘れるくらい。
夜遅く帰る俺は、いつも留守番電話で家族の元気を確認していた。
俺はすっかり忘れていた。商店街のこと、うちの八百屋のこと。
母ちゃんのこと、妹のこと、そして親父のこと。

34:癒されたい名無しさん
06/12/06 20:46:16 qC1rN8YZ
ある日、母ちゃんから手紙が届いた。連絡もろくすっぽ寄こさないで
心配してるんだと。それと、親父のこと。
うちの商店街も店を開いている店のほうが少なくなってしまったよ。
お父ちゃんもすっかり元気がなくなって、お客も減ってしまったよ。
近いうちに一度帰っておいでと。

正月まであと2日の時、俺は3年ぶりに実家に戻った。
すると親父が居た。なんとなく小さくなった親父だった。
久しぶりの家族の食事は来来軒のタンメンだった。
親父が言う。「このタンメンは…」俺がその話を遮った。
「うちから野菜を買ってるから、うまいんだろ?」
すると親父は寂しそうに笑ってこう言ったんだ。
「いや、味が落ちたよ。うちの野菜じゃないからな…」

俺は愕然とした。そんなに深刻だったなんて知らなかった。
思い返すと店に入った時、商品が昔よりも並んでなかった。
なんだか悲しくなった。売り上げが上がらなくなっていたのに、
俺にずっと仕送りを続けてくれてたんだ。
このタンメンうまくないよ、親父。

35:癒されたい名無しさん
06/12/06 20:46:57 qC1rN8YZ
妹がバイトから帰ってきて、家族全員が揃った。
すると親父はこう切り出した。

「この店はお前等の爺さんの時代から始めた店なんだが…
もう…やめようと思ってるよ…」
母ちゃんを見た。母ちゃんは下を向いたままずっと黙っていた。
「悪かったな、いつも傷んだ野菜ばっかり食べさせて。
もうだめだな。この店も商店街も。でも街は住む人のために
変わっていくんだな。悔しいなんて思ってない。わかるよ。
父ちゃんと母ちゃんも、ここの商店街のみんなだって、
この街の人のために生きてきたんだから。うまいものを
食べさせたいと思って今までやってきたんだからな。
英一(俺)、恵(妹)悪かったなぁ。どこにも連れてってやれなくて。」

俺達は黙って糞まずいタンメンを食べた。


36:癒されたい名無しさん
06/12/06 20:47:32 qC1rN8YZ
あんなに嫌だった八百屋。父親参観。
夏休みの思い出を書く作文に嘘を書いたこと。
友達の母ちゃんがうちに買いに来て、ばつが悪かったこと。
冠婚葬祭のときしか、ネクタイをしなかった親父。
革靴をはいてすぐ靴擦れになってた親父。
黒くなりかけのバナナしか食ったことない俺。
半分傷んだメロンを、妹と分け合ったこと。
たぶん思い出すんだろうな。

俺が生まれて育ったこの店は終ってしまうけど、
俺は親父の背中を見て育ってきたよ。
朝から晩まで休みなしに働いてきた親父。
俺は、親父の息子でよかった。
八百屋の息子でよかった。

親父、これからゆっくりと家族の思い出つくろう。


37:癒されたい名無しさん
06/12/06 20:53:28 T1ezmRWN

              ∧_∧
              (    )
──-㎜──/   \────
       \\   //\   \
..        \\//   \   \
          \/      ) ∴)ヾ)
                  /  / ⌒ヽ
                  /  /| |   |←>>1
                  / / .∪ / ノ
                 / / . | ||
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                 | |   | |
               (´ ノ  (´ ノ


38:癒されたい名無しさん
06/12/07 02:13:27 tmLX4Qa0
>>36さん。
とても良い話をありがとう。
家族のためにいっぱいがんばったお父さんを、これからも大事にしてあげてね(´;ω;`)

39:癒されたい名無しさん
06/12/07 04:48:20 LepUAkcx
氏ね

40:癒されたい名無しさん
06/12/07 05:07:15 gfxozvih
>>39
ワロタ

41:みー
06/12/10 19:09:00 rjN51GKV
私の家族は母と父と3つ年上の兄と2つ年上の姉です
両親は私が生まれる前から小さなお店を開いていて、長年続いたお店も不況の波で今年の春に店をたたみました。それからというもの定年間近の父はやっと
の事で給料は安いけど自分にあっている会社に再就職し、機械関係の専門学校に行くのが夢だった兄は『じゃあ俺は妹達の学費分くらいは払ってやるよ』と言
って専門学校の夢をあきらめ地元の工場に就職しました。
前よりは多少貧乏になってしまったけど、最近では人の温かさが身にしみるようにわかります。特に自分の夢をあきらめてまでも私達妹の事を考えてくれてい
る兄には申し訳ない気持ちでいっぱいです。


おにぃちゃんありがとう。何回言っても言い足りないけど本当にありがとう。
3年も経ったらきっとおにぃちゃんのような立派な大人になってるから…その時は絶対に恩返しするから…だからその時まで待っていてね!!!。

42:癒されたい名無しさん
06/12/10 19:28:22 nv9N+099

   ||
 ∧||∧
( / ⌒ヽ
 | |   |
 ∪ / ノ
  | ||
  ∪∪
   ;
 -━-


43:名無し
06/12/10 20:39:54 qXw+xaRy
自分の家のことなので、泣けるかわかりませんが・・・


僕は、おばあちゃん子です。物心ついた頃からおじいちゃんとおばあちゃんと住んでいました。
そんな僕のお話です・・・・・



44:名無し
06/12/10 20:40:25 qXw+xaRy
僕が物心ついた時、一緒に暮らしていたのは、優しくて厳しいおばあちゃん、頑固だけど何でも許してくれたおじいちゃん、そしてペットの犬。
このお話ではペットの犬が主役です。


45:名無し
06/12/10 20:43:36 qXw+xaRy
幼稚園児の僕のペットはチワワでよく吠えて活発な犬だった。
ずっと一緒に暮らしていたのに僕だけには全然なつかなかった。
僕と目が会っただけですぐ威嚇(いかく)してくる。エサをあげたりしても
全くなつかなかった。
だけどおじいちゃんとおばあちゃんだけにはシッポを振ってよくなついている。
イイ気分ではなかったと同時に犬を嫌いになった。

それから何年もしないある日・・・
うちにいつものクスリ屋さんがいつものようにやってきた。
家のチャイムが鳴ると同時に犬は高い声を張(は)って走り出す。
おじいちゃんが「ほら、早くつかまえて」と言った直後。
犬は玄関でピタッと止まってその場に倒れた。石のようだった。
おばあちゃんが慌てて犬に近寄った・・・



46:名無し
06/12/10 20:47:20 qXw+xaRy
すると犬は何事も無かったかのように起き上がり
高い声でクスリ屋さんを吠えはじめた。クスリ屋さんがいなくなったあと
さっきのは何だったのか僕は聞いてみた。おばあちゃんは
「もう歳(とし)なんだねぇ」とつぶやいた。
僕はそんなに気にしてなかった。まだ犬はなついていなかったから・・・
次の日
いつも通り幼稚園におじいちゃんが迎えにきた。
僕はおじいちゃんに色々話をした。
おじいちゃんはあまり言葉を返してくれなかった・・・
家にもどり、「ただいまぁー」と僕が叫ぶ。
返事がなかった。「おばあちゃんは?」とおじいちゃんに聞いてみたが
「いるよ」とだけ言った。
入ってみると確かにおばあちゃんがいた。



47:名無し
06/12/10 20:49:54 qXw+xaRy
しかし泣いていた。

ストーブの前にいるおばあちゃんの膝(ひざ)の前には
ぬるま湯の入った風呂桶(ふろおけ)がある。
さらにその桶の中には、犬が寝ていた。

おばあちゃんに「どうしたの?」と聞いてみても
しゃっくりをしながら犬にぬるま湯をかけているだけ・・・

犬は死んでいた。

おじいちゃんは無言でテレビを見つめている・・・
はじめは信じられなかった。
またすぐに目を光らせて僕を追っかけてくると思っていた。
しかし目をつぶったままピクリとも動かない。
数分後
だいぶ今の状況を受け止められるようになってきた。

でも僕は涙が出なかった。

あの犬がなついていなかったからだと思っていた・・・

そう考えた瞬間、今までの犬との思い出がドンドンあふれ出してきた。
あの犬とは、たいした思い出なんて無い。
しかしドンドン小さな記憶がよみがえってくる・・・

ふと気づいたらもう泣いていた・・・

おばあちゃんより泣いた
あの犬の鳴き声に負けないくらい大声で泣いた
本当に思い出なんて無い。あえて言うなら一度もなつかなかったことくらい。
けど泣いた。ずっと泣いた。


一度くらいだっこしたかった・・・

二人で散歩に行きたかった・・・

寄りそって一緒に寝てみたかった・・・

けどもういない・・・

涙と声が枯れるまで泣いた

次の日からはペットの犬のチワワがいない、静かな生活が始まった・・・


48:名無し
06/12/10 20:50:35 qXw+xaRy
連続で書き込んですみませんでした

49:癒されたい名無しさん
06/12/10 21:15:29 nv9N+099

   ||
 ∧||∧
( / ⌒ヽ
 | |   |
 ∪ / ノ
  | ||
  ∪∪
   ;
 -━-


50:癒されたい名無しさん
06/12/10 22:15:45 OLFPHGoD
ニューヨークの郊外にその喫茶店はあった。
店の名前と

“水曜 定休日”

とだけ書かれたぶっきらぼうな看板の奥にひっそりと佇む。
店のマスターは無口で頑固。
その店のジュークボックスには
マスターが好きな、イギリス出身で世界的に大ブレークした、
今はもう解散してしまったグループの曲しかない。


ある年のちょうど今くらいの季節。
その日は昼下がりに突然大雨が降り出した。
通りには濡れながら急ぎ足で行き交う人々。
その中の1人が店に入ってきた。

全身が濡れそぼり寒さでガタガタ震えるその男は、
マスターが好きなバンドのメンバーの1人だった。
おそらくその事に気付いたのであろう。
マスターは一瞬目を見張り動きを止める。
しかしすぐに手馴れた作業に戻り、
注文されたコーヒーと乾いたタオルを差し出す。

続く


51:癒されたい名無しさん
06/12/10 22:17:15 OLFPHGoD
身体を拭き、眼鏡をふき、コーヒーを飲みながら店内を見回す男。
店の隅に佇むジュークボックスに目を留める。
自分がやっていたバンドの曲しか入ってない事に気付いた男は
照れくさそうにコインを取り出し、曲を演奏させる。
流れ出した曲を聴きながら男は
自分たちが走り抜けてきた青春時代を懐かしむように目を閉じ、
ゆっくりゆっくりとコーヒーを飲んだ。

何曲か聴き、コーヒーを飲み終えて店を出ようとする男に、
マスターは黙って傘を差し出した。
外はまだ雨が降り続いている。
男は受け取り、礼とともに笑いながら言った。

「今度雨が降ったら返しに来るよ。」

しかし、男が傘を返しに来ることはなかった。
それから数週間後、男は自宅前で凶弾に倒れたのだ。

それから20数年が経った今でも
その喫茶店は同じように看板の奥に佇んでいる。
年老いたが相変わらず無口なマスター。
ジュークボックスも同じバンドの曲ばかり。
店の中は何一つ変わっていないが、
看板に書かれてる文字はいつからか変えられていた。

“水曜 定休日
 ただし、雨の日は営業いたします”

誰のことでしょう?




52:癒されたい名無しさん
06/12/10 22:37:02 nv9N+099

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53:癒されたい名無しさん
06/12/17 00:20:54 C+TOgiX4
私は、共働きの両親に代わって祖母に育てられた。
母は不幸にも三歳で母を亡くし、父親を五歳で亡くした。姉は叔父に引き取られたが、本人は母方の実家で引き取られたそうだ。
時代がそうさせたのか、祖母達は運命を分けられたらしい。祖母の姉の家は会社で三階建て。ウチは祖母が離婚した爺さんの後妻に嫁いでボロ屋。

54:癒されたい名無しさん
06/12/17 00:41:10 C+TOgiX4
私は家を建てたかったけど、夢も叶わないうちに祖母は逝ってしまった。
三月の寒い朝、眠るように。私はサヨナラも言えないまま。
両親に恩が無いわけではない。ただ只、無償の愛で育ててくれた祖母に「ありがとう」を言えなかった自分を悔やんでいる。
祖母のオムツを替えたり、両親を手伝い介護のまね事をしてもまだ満たされない。

55:癒されたい名無しさん
06/12/17 01:13:27 ATU1w8G4
小学校の時、いじめられた
消しゴムを勝手に使われて、怒ったら相手が学年のボス格の女子でそれ以来、クラスから無視された
それが中学に入っても変わらなくて、真剣に自殺まで考えてたけど、音楽とか聞いて救われた
中2の時に転校して、そこでは友達にも恵まれた
高校に入ってすぐバンドを始めた。多分、後にも先にも人生で1番私が輝いてた時期だと思う

地元の楽器屋に寄った帰り、私をいじめていたあの女子と再会した
親戚の法事で来たらしい
彼女は、あやまってくれた
私は、もうとっくの昔に大丈夫だと言った
それから、私の初恋の相手や向こうの近況なんかを聞いて別れた

56:癒されたい名無しさん
06/12/17 01:38:00 ATU1w8G4
>>55
彼女の乗ったバスを見送り、私も自転車に乗ろうと振り替えった時だった。後ろから、それまで聞いた事のなかった音がした
振り向くと、彼女が乗っているバスがひしゃげてひっくり返っていた。すぐ側には、大きなクレーン車が横転していた
すぐに私は走って近づいた
だけど怖くて近づく事しか出来なかった
彼女を助けようと思っても、野次馬と同じ位置から先に進めなかった
すぐにレスキュー隊が到着して、割れた窓から血まみれになった彼女が運び出された
それからの記憶はなぜか曖昧ではっきり覚えていない。半日かけてやって来た彼女の家族と一緒に病院のベンチに座っていたのは確か
記憶がはっきりしたのは、なぜか私の兄が病院に来たあたりだった
兄と一緒に病室に入ると、あちこちに包帯を巻かれた姉がベッドに寝ていた
姉もあのバスに乗っていたのだった

57:癒されたい名無しさん
06/12/17 01:58:18 ATU1w8G4
>>56
ぐっすり寝ている姉は、両足がそれぞれ膝の辺りで途切れていた
さらに医者の話しで、高い可能性で植物人間になってしまうとの事だった
そこから、とうとう何も考える事が出来なくなった

家に帰り、そのままベッドに入って寝た
起きても学校に行かず、丸一日食事も風呂に入る事もなくひたすら天井を見つめていた
私がひさしぶりの食事をとりにキッチンへ来た時、私をいじめていた彼女が死んだ事がわかった
そして、姉の容態は安定したが、目覚めない事も

一月ほど経って、私は電車に乗って彼女の家に行った
葬式にも通夜にも出席出来なかったので、せめて仏壇に手を合わせたいと思ったからだ

58:癒されたい名無しさん
06/12/17 02:28:16 ATU1w8G4
>>57
仏壇に手を合わせ、帰ろうとする私を彼女の両親が引き止めた
その内の彼女の母親が、小さなメモ帳のような物をいくつか出して来た
それは、死んだ彼女がつけていた日記だった
その中には、私をいじめて後悔していた事。始めたのが自分である以上、引っ込みがつかなくなってしまった事。私が転校し、とうとう謝る事が出来なくなった事などが綴られていた
そして、中学の時の先生に私の転校先を聞き、そして私に謝りに行くという決心が日記の最後だった


親戚の法事なんて嘘だった

読み終えた私に、彼女の母親が「あの子を許してくれましたか?」と聞いてきた
私は一言、「はい」とだけ、多分涙声で答えた
すると彼女の母親は私の手を両手で掴み、「ありがとう」と言って鳴咽を漏らし出した
彼女の父親も余っていた私の手を掴み、私の目をまっすぐ見ながら「ありがとう」と言った
二人とも何度もむせび泣きながら、何度も「ありがとう」と言った

それから半年後、姉が奇跡的に目覚めた
足が無くなったという事実に最初はショックを受けていたが、すぐにリハビリと義足の訓練を始めた。今では杖無しでも普通に買い物に出かけているぐらいだ

今でもふと、彼女の両親が「ありがとう」言った時の顔を思い出す。彼女の一周忌がもうすぐなので、それには出ようと思っている

59:癒されたい名無しさん
06/12/17 09:05:41 VEadIVDs
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60:ややや
06/12/27 23:53:01 Ns9CrZcJ
事故で松葉杖生活になって半年、電車に乗るのが嫌なっていた。
池袋に行くことが多い俺は山手線をよくつかうが一度も席を譲ってもらったことがなく、空いた席に座ろうとすると押し退けて座られる。
この国は終わってる。
だんだん心も荒んできて、もう池袋に来るのをやめようと思っていた夕暮れの中、お金を下ろしに銀行へ行くと16、7の少年達が車椅子用の入口を使ってスケボーを練習してた。

直感うぜー!!
本当にこの国は終わってるって思った。
お金を下ろして外に出ようとするとスケボーの少年が走ってドアを開けてくれた。
『ありがとう』心の底から言えた。その少年は『いいえ、自分にもこうゆうことがあるかもしれないから』と笑いかけてくれた。
嬉しかった。
スゴく嬉しかった。
帰りのタクシーの中で嬉しくて泣いた。


61:癒されたい名無しさん
06/12/30 23:02:56 aWqws9QW
呆けてしまった祖母の話。

1~2月に1回の頻度で、伯母2人が祖母の様子見に行っているそうだ。
4人兄弟で末っ子の母は遠距離のため伯母方から電話で様子を聞いている。
…が、その話が(不謹慎だが)面白い。

1番上の伯母が行った時は『○○(2番目の伯母)が死んじゃって……』
2番目の伯母が行った時は『△△(母、末っ子)が死んじゃって……』

次々と祖母の脳内で(祖母の)娘達が死んだり生き返ったりしているのだ。

62:癒されたい名無しさん
06/12/30 23:17:21 aWqws9QW
>>61 続き

そんな中、お盆にようやく母と私が会いに行けた。
1年半ぶりに会った祖母は、とても小さかった。

「ばあちゃん、来たよ。私のこと、わかる?」

ベッドの横で母が祖母の手を握りながら聞くと、

「ん~▲▲だっけ?」
「違うってば~△△でしょ?貴方がお腹痛めて産んだ娘よ、忘れないでよ~」

こうして目の前で言われると結構辛い。少しだけ母の顔が歪んだように見えた。
次は私の番。ちょっとだけ覚悟を決めた。

「ばあちゃん、今日は私も来たよ。分かる?」
「あらあら、■■じゃないの」

吃驚した。私の顔を見て間髪入れずに名前を言ってくれた。
1年に1度会うか会わないかの孫の顔を、名前を覚えていてくれた。

よく見ると、枕元に置いてある薬の隣に、私の成人式の時の写真。

泣きたいのをこらえ、両手で祖母の手を握った。
しわしわで細くなった手に、ありったけの温もりを注いだ。

63:癒されたい名無しさん
06/12/30 23:31:58 vEOsVQKk

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64:たーc
06/12/31 06:09:55 kKvhKAKF
くるったくらい泣くことあんのよ… 

別れるとき…あれはね
何回経験してもダメだな…ずっと前1月から付き合ってた彼女が居たんょ 
初チューも初エッチもこいつやったのょ… 俺ら中学生なのに結婚の約束までして…
本当このまま結婚して良いと思ったくらぃ…
そんな経験なぃ??
まぁそれで11月のことですわ…
それまで束縛しあって ダチとの遊びも断ってた俺が ダチの彼女のとこ ついていったんょ…それが原因で別れたんょ… 

まぁ泣いたな… 俺初めてふられた… 

まだ続きがあるんょ それから次の日くらぃかな…彼女のホムペ見たんょ…彼女がみせなかった… 少しは凹んで別れたの後悔してるかな…なんて…
なんて書いてたと思う??

彼女夏休みくらぃから男泊めたりしてたんょ…見た瞬間涙がとまらなくなってね… 初めてやな…死…って考えたの… あのときダチからメール来てなかったら死んでたな…まぢで

向こうがやり直そうって言ったらやり直すつもりだった… けどもぅ無理だって分かった束縛なんか良いことないって… 

今ゴロあいつ何してるんかなぁ… 
仲直りのために買ったお前が大好きだったスティッチのキーホルダー…いまだに袋あけられねぇ

65:癒されたい名無しさん
06/12/31 06:12:46 a30K/4kw

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66:癒されたい名無しさん
06/12/31 23:40:11 K60gclVs
URLリンク(ip.tosp.co.jp)
みんな死にたいとか言ってる人もいると思うけど、このサイト見て!生きたくても生きられない人だっているから↓私も辛い事たくさんあるけどこのサイト見て励みになって毎日頑張ってます!だからみんなも見てください!勇気づけられるから☆

67:癒されたい名無しさん
07/01/07 00:03:23 DL95RUhK
今からもう12年前の話。
オヤジは中国が大好きだった。
だからという訳ではないが、中国人の人と再婚すると
言い出した。もちろんみんな大反対。でも結局一人で
中国に行き淑子さん(日本ではそう呼ばせた)を連れてきた。
始めは「まあ連れて来たならしょうがない」という感じで
仲良くしていた。俺と年齢が7歳しか変わらなかったから
もうお姉さん感覚だよ。だけどこの淑子さん、全然働かない。
料理はたまに作っていたけど、とにかく部屋にこもりっきり。
俺もだんだんと頭にきて冷たくあたるようになった。
今考えたらホントかわいそうな事してた。ひどいことしてた。
オヤジにもひどいことしてた。「早く返せ」ってばっかり云ってた。
あまりにも俺を含め家族が2人を追い詰めていたからとうとう
淑子さんは半年で帰っていっちゃった。
そのときの俺はせいせいした。とても嬉しかったと思う。

68:癒されたい名無しさん
07/01/07 00:15:20 DL95RUhK
そんなオヤジも死んでからもうすぐ4年経つ。
俺はオヤジの後継者でいわゆるボンボンだったから
甘えてばっかりいたんだ。『2代目は潰す』まさにその通り。
オヤジでもっていたの、会社は。死んでから半年で店じまい。
俺は居られなくなって東京に出た。そりゃ東京だもん。
甘ちゃんには厳しかった。地獄の苦しみだった。
でも人の痛みが判った。生きるという意味も何となくわかった。
そしたら・・・・・・バカでした。俺ホントバカだった。

69:友子
07/01/07 00:18:06 ZVuRleTR

  真夜中に
  目が醒めたのは
  不安だったから

  君からの
  連絡がなくて

  夜中2時に
  君の指定着信音
  ごめんねって

  同じメールの
  スクロールした後
  好きだよの4文字

  それだけで
  安心出来るなら
  涙は零れない

  どうしてなんて
  追究しても
  見えてこなくて

URLリンク(osaifu.com)

70:癒されたい名無しさん
07/01/07 00:20:01 9/Moe3+s

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71:癒されたい名無しさん
07/01/07 00:24:28 DL95RUhK
何で淑子さんに優しく出来なかったんだろう。
なんでオヤジを憎んでたんだろう。
オヤジは死ぬ前に本を出版した。
もう長くはないと悟ったときに書き始めたみたい。
普通の小説だけど実は俺へのメッセージ。
俺はオヤジが再婚してからほとんど会話がなくなった。
ケンカしかしなかった。なんか知らないけど憎くてさ。
亡くなった直後も別に悲しくなかった。
小説は知っていた。けど全く読む気はなかった。
むしろとても嫌だった。

72:癒されたい名無しさん
07/01/07 00:26:36 9/Moe3+s

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73:癒されたい名無しさん
07/01/07 00:43:08 DL95RUhK
東京に出てしばらくして故郷が恋しくなって
なんとなく人恋しくて初めてオヤジの本を読んだ。
オヤジが高校時代の頃のエピソードなどが書かれている。
そのとき初めて知った。オヤジも人間だったんだなあと。
まっ、そりゃそうなんだけど。

つらかっただろうなあ。よく淑子さんと2人で近くの川で
釣りしてたなあ。
「いい年こいてガキみたいなことすんなよ」
「近所の笑いものになるからやめろよ」
俺、ボロクソ云ってた。

74:癒されたい名無しさん
07/01/07 00:44:21 9/Moe3+s

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75:癒されたい名無しさん
07/01/07 00:56:14 DL95RUhK
嬉しそうに俺にさ、
「ジュン、ウナギがつれたぞ」
「ハゼもこんなにいっぱいいるぞ」
「チヌもこんなでかいのが釣れたぞ」って云ったって
俺キライだったし、2人が嬉しそうなのも嫌いだったし。
不機嫌な顔してさ。いっつも「あっそう」だったよな。
唯一淑子さんが笑った、活き活きとした顔見たのもそのときだった。
なんで俺、不機嫌だったのだろう。
実はウナギ焼いてる時、声かけたかったんだ。
実は俺も一緒に釣りたかったんだ。
実は俺もとっても嬉しかったんだ。

76:癒されたい名無しさん
07/01/07 01:13:17 DL95RUhK
おとうさん
俺結局、あなたの子供です。
今、東京で釣りの仕事をしています。
遠い昔あなたが教えてくれた釣りをあなたほどはうまくは
教えられないけど、自然と遊ぶことを忘れかけている
子供たちに教えていきます。そしていつの日か、
あなたと淑子さんが楽しんだ本当の釣りを俺もやりたいです。


77:癒されたい名無しさん
07/01/07 08:30:00 CIK6WTeG

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78:癒されたい名無しさん
07/01/10 17:47:27 g0+N+moH
靖国神社にある『遊就館』人生で一度は行ってみて
行ったら泣ける
行ったことある人はここみたら泣ける
URLリンク(www.yasukuni.jp)


79:癒されたい名無しさん
07/01/10 17:48:57 g0+N+moH
『遊就館』

URLリンク(ime.nu)

自由記述ノート

80:癒されたい名無しさん
07/01/12 16:49:17 kRpY0kBJ
3m
BH
スレリンク(download板)

81:癒されたい名無しさん
07/01/12 21:51:02 Wj6ELl8E
昨日じいちゃんが死んだ

オレは親が離婚してから親権を持った親父と暮らしている
離婚の原因は母親のアルコール中毒とホスト遊びだった

親父はじいちゃんが死んだことを今日の朝にオレに伝えた、そしていつものように「早く学校行け」と軽い説教

親父は「めんどいなぁ」などと言いながら通夜へ行くため熊本へ行った、だがオレみたいなバカ息子にも分かっていた
その背中は明らかに震えていたし泣いていた

オレの前で男泣きしたくなかったんだろう、貧乏な家庭で生まれ、三兄弟の中で一番最初に上京しの次男の親父

なぜかオレ自身も泣いていた、色々なものが胸をうった

親父よゆっくりしておいでよ、いつも迷惑かけてごめん

オレは親父を尊敬してるよ

82:癒されたい名無しさん
07/01/12 22:12:09 xr42oKHc

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83:癒されたい名無しさん
07/01/14 01:24:34 vnpV2im/
これはわたしが実際に体験したことです。

私に1歳年上の兄がいました。とても優しく、また賢い子でした。
だから私も兄に甘えっぱなしで、ほんとに我侭な子でした。
当然、親の期待も兄にいっているのも小さいながら感じていました。
ある日兄の体に異変が起きました。
手足に青あざがたくさんあるのです。それもみな、軽くぶつけただけなのに。
心配になった両親はおおきな病院につれていきました。
そこで1週間ほど検査入院すると、兄の病名が分かりました。
白血病でした。
それから兄は一人、入院生活を続けていましたが1年間ぐらいたつとやっと退院することができました。
幸運にも移植せずに直ったかとおもったのですが、幸せは長くと続きませんでした。
再発してしまいました。
それからの生活はまえの入院していた時とははるかにちがいました。
兄が臍帯血移植をしたのです。
移植をするため、兄は隣の県の病院に転院になりました。
となりの県まで母は毎日通っていました。私も週一回お見舞いに行っていました。
無事に移植が成功し兄は地元の病院に戻ってきました。
外泊もできるぐらいまでに回復したのですが、肺炎を起こしてしまいました。
それから1週間後兄は短い人生を閉じました。
私が小学校4年生のときでした。

お葬式のとき、母からきいたのですがいつも兄は私のことばっかり聞いていたそうで
見舞いにいっても顔をみせなかったので兄は
『また僕のところにきてくれない・・・』
とつぶやいていたそうです。
思えばあの時、ずっと兄のそばにいてあげなかったのだろうと今でも思います。

今、私は兄の分まで両親の期待をしょっています。その期待を裏切らないように頑張ってます。
そして兄のようなに病んでいる人を救ってあげたいと思い、看護師になるために勉強しています。

今では兄といた時間は人生の半分ぐらいですが、私の心のなかではずっと一緒です。
ありがとう、お兄ちゃん。



84:ポポ
07/01/14 04:46:43 h2llDlS9
32のまめさん&八百屋の人
まめさん:読んで泣いてしまいました・・・。とてもステキな彼ですね!!
そんなマメな人なかなかいないですよね~。私も目の前で彼がバイクの事故で
亡くなってしまい私も死のうと思っていましたが・・・。今の彼のおかげで
生きています!!今は毎日が楽しくて生きててよかったとおもってます。

彼(私の彼とまめさんの彼)はいつでも私たちの心の中にいますよね?


八百屋の人:家族みんなが元気なだけで幸せだなぁ~って本当よくおもうけど
忘れちゃうとき多いよね?八百屋さん残念だったけど、みんなでいっぱい思い出つくってってね。


85:朝鮮バーガー′s
07/01/14 06:42:06 50AY5XKf
糸冬

86:癒されたい名無しさん
07/01/14 08:02:47 rtulXbW1

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87:癒されたい名無しさん
07/01/14 20:51:20 1Hloa84z
中学二年生になる数日前、私は告白された。 あまり話した事がない男の子からの告白だった。
私は少し気になっていたのでもちろんオッケーした。 春休みが終わる一日前に彼から電話があった。
「同じクラスになれるといいね」

期待に胸を膨らませて学校へ行った。 昇降口の前にみんなが集まっていた。
私の友達の一人が「彼氏と同じクラスだよ!」と叫んだ。 嬉しかった。

88:癒されたい名無しさん
07/01/14 20:52:46 1Hloa84z
教室に行くと座席表が書いてあった。
私の席は廊下側の前から二番目。彼は窓側の一番後ろの席。離れてしまった。
でも同じクラスで本当によかった。

クラスになじんできた頃、私と彼は一緒に帰った。 一言も話した事がない。もちろん帰りも全然話さなかった。

その日メールで「話せなくてゴメン」ってきた。私は「ううん、私もだから」と返した。
私と彼は帰れる日は一緒に帰った。少し話せるようになった。 でも私と彼は学校では話さなかった。

それから彼が学校に来る日が少なくなっていった。 誰に聞いても理由はわからなかった。
でも毎日メールをした。理由を聞いても「風邪」しか言わなかった。

ある日、彼の友達が私に言った。
「あいつ、ガンで入院してるよ」
私は泣いた。声を上げて泣いた。
哀しかったからじゃない。私に本当の事を言ってくれなかったから。
お見舞いに行こうと思った。でも彼は私に会いたくないと言った。
ガンの抗がん剤の副作用で髪の毛が抜け、私に見られたくないらしい。

それでも私は毎日メールをした。 時々返ってこなかった。
返ってきても「死にたい」「辛い」などしか言わなかった。 私はこのとき彼に何もしてあげられなかった。
ただ、学校で起きた一日を彼に送り続けた。 そして、よくなることを願った。

文化祭の日。 私は楽しめずに、ただボーっとしていた。 誰かが私を呼ぶ声がした。

後ろを振り返ると車椅子に乗った彼がいた。 私は彼のところへ走った。
泣きそうになったが、彼が「お前が泣くと俺も泣きそうになるから泣くな!」 と言ってくれた。
学校で話した事のない彼がみんなの前で私に話しかけてくれた。初めての事だった。

だけど、文化祭の日で、彼にあったのが最後になった。
 
私は文化祭の日から彼とメールができなくなっていた。 一週間たっても・・・二週間たっても・・・・
ある日先生が言った。
「文化祭が終わってから4日後に亡くなった」

初めて知った。 ちょっと具合が悪くなったと私達は聞いていた。
周りの友達はみんな泣いていた。 私は涙が出なかった。ワケがわからなかった。
家に帰ったら一通の手紙が来ていた。 消印は文化祭の次の日。
母に問い詰めた。 母は言った。「今日届いたのよ」
私は手紙を握りしめて自分の部屋へ走った。 ベットの上に座り、手紙を読んだ。

「マミへ
この手紙は文化祭が終わって3週間後に届けられるようにしてあるんだ。
これを読んでるときは俺はもうマミの側にはいないかな。 マミにはたくさん謝んなきゃいけないことがある。
学校でしゃべれなかったし帰ってるときも話せなかった。 恥ずかしかったんだ。言い訳だけど・・・・
文化祭の日、マミに会えて嬉しかった。かわいくなった?(笑)
マミは俺に会わなかったほうがよかっただろう。俺、変わってたべ?
今、俺はすごく怖い。いつ死ぬかわからない。 でもコレだけは言っておく。マミ、好きだよ
俺を忘れて、いい恋してください。」

涙が溢れてきた。そして止まらなくなった。
封筒にはもう一枚紙が入っていた。
そこには「泣くな」と書いてあった。
それから数日、私は泣いて過ごした。 彼のことが忘れられなかった。

中学三年生になった今、私は教室に入ると笑顔で「おはよう」って言う彼がいるのを
期待して学校へ通っている。 文化祭の日は絶対彼の姿を探す。
後ろを振り返ると彼がぎこちなく笑って顔を赤らめて「マミ」と呼んでくれている気がする。

今は彼が行きたがっていた高校を受験しようと思っています。

89:癒されたい名無しさん
07/01/14 20:53:45 1Hloa84z
↑どっかにあったやつコピペしてみたw
以外に俺泣けた・・・・・・・・・

90:癒されたい名無しさん
07/01/15 03:39:34 OYRNIuIF
また、毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。



 遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
 「あそこでみんな死んでいったんだ……」
 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

 太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
 老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
 日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。

 やがて戦況は日本に不利となり、
 いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

 仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
 日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
 それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
 

 「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
 

 日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
 裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。

 船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
 村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

 しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。

 そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
 先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。

 その瞬間、彼は悟ったという。
 あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。
 


91:癒されたい名無しさん
07/01/15 05:04:58 OX/LJ6sO
>>90
> また、毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。



>  遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
>  「あそこでみんな死んでいったんだ……」
>  沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

>  太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
>  老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
>  日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。

>  やがて戦況は日本に不利となり、
>  いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

>  仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
>  日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。
>  それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
>  

>  「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
>  

>  日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。
>  裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。

>  船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
>  村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

>  しかし船が島を離れた瞬間、日本

92:癒されたい名無しさん
07/01/15 05:07:08 OX/LJ6sO
↑めっちゃ泣けた(T_T)生きてることに感謝して受験がんばります!

93:癒されたい名無しさん
07/01/15 08:37:37 YaB9ex0Y
        |/|
        |/|
     ∧ |/| ∧
    /!.ヽ |/| /:: ヽ
    /  >|/|/;,;  ヽ
  / ::/    ̄ ,;.;::. ヽ\
  /..:::: ==-、 '  、-== 丶
/* .:.:"" _┃_ ""  \
\ #;;:.. .:: lニニヽ|   ::::::/
  ヽ.;;;//;;#:::`ー‐' #  ノ
   >;;;;::..    .....;,.;-
    ここここここ)''
   /ヽ \∧ノヽ
   |:: |::..  Y 在 |
   |:: |::::   .|.日 |
   〈.:: 〉::   .| ./|
   |:: |::   .l  |
   |__ .|._____,|._,|
   .((〈::: _ ノ  /リ
    .|::::  |::   |
    .|::::   |::   | 三
    .|=   .|=.  |
    .|::::  .|::   |
    .|:::   |::::  |
    .|.__,||.__|
  ((  し.ノ し.ノ  ))≡

     -━-

94:癒されたい名無しさん
07/01/24 03:43:51 9d7n15Ck
ある家庭に脳に障害のある男の子がうまれた。そして数年後さらに次男誕生。
小さい頃弟は喧嘩のたびに「兄ちゃんなんかバカじゃないか}
というのを聞いて母親は悲しんだ。
だが母はなにも言わずじっと待つことにした。

兄が小学1年生になった時、兄の同級生を招いて兄の誕生日の
祝いをしたが、兄は悲しいかな急に招待した同級生を殴りはじめた。
そのとき弟が飛び出してきて
「お兄ちゃん殴るんだったら僕を殴って、ぼくなら痛くないから!」
それをきいた母は心の中で「ぼうやありがとう」と言った。

その弟が小学一年生に入学した時、隣の席は手に障害のある子だった。
体育の授業のある日は体操服に着替えねばならないので当然その隣の子は
着替えに手間取って遅れてきた。
しかし二回目からは時間どうりに来たので先生は不思議に思い、体育の授業の
ある日そっと教室をのぞいてみた。
するとあの弟が一生懸命になってきがえをてつだっているのを見た。
先生はこのことをみんなに話そうかとも思ったがせっかく弟が自主的に
やっていることなので黙っていた。

さて、七夕の前日授業参観日があった。
先生が児童の書いた短冊の願い事を読んでいた。
子供らしいおもちゃがほしいとか、の中に
「神様、どうか隣の子の腕を早く直してください」
と書いてあるのを見つけた。そうあの弟の書いたもの。
先生はたまらなくなって皆の前でこの弟の着替えのことを話しだした。

自分の子が手に障害があるのでみんなに迷惑をかけているのでは
ないかと廊下の隅で小さくなって授業を見守っていたある母が
教室に飛び込んできて弟の足元で号泣した。
「坊やありがとう。ありがとう。ありがとう。ありがとう

95:癒されたい名無しさん
07/01/24 10:40:28 uDHGKhhZ
↑本当に良い話だな。何か泣きそうだ。

96:癒されたい名無しさん
07/01/24 10:58:37 Y37aAsCs

   ||
 ∧||∧
( / ⌒ヽ
 | |   |
 ∪ / ノ
  | ||
  ∪∪
   ;
 -━-


97:泣ける話?
07/01/24 11:03:05 EEKDBIqJ
あたしは今25歳。ごく普通の家に生まれて、中学まで友達もいたし、部活だってがんばっていた。体を動かす事が好きだったから。
そしてあたしは高校に入った。最初の頃は楽しかった。他の中学から来た子たちとお昼を食べたり、授業も新鮮で。
友達だってたくさんいたと思う。
そして、高校でも部活がやりたかった私はボート部に入った。 
しかし、私が入った高校は工業高校で、女子がとにかく少なかった。その少ない女子の中、高校に入ってまで部活をやる女子なんて
あたしのほかにはいなかった。
ボート部は他のメジャーな部活に比べて遠征が多かった。そのため、学校にいる事もすくなくなり、気がついた頃にはあたしはクラスで浮いていた。

98:泣ける話?
07/01/24 11:32:58 EEKDBIqJ
最初の頃は「どこまでいってきたの?」とか「男に混じって女一人ですごいね」なんて言われていた。
でもそのうち、あたしに話しかける子なんていなくなった。移動教室だって誰も誘ってくれず、
あたしから声をかけても何故か友達は逃げて行ってしまう、そんな日が毎日だった。
同じクラスに男のボート部のやつもいた。そいつが部活の先輩にあたしがクラスで虐められていることを
いってしまったのか、あたしは部活でも虐められた。だんだん毎日が嫌になった。
そこまでして、なんでボート部なんて入ったんだろう。でも辞めたいなんて考えた事はあんまりなかった。あたしはシングルスカルという競技で
一度川に出てしまえば、そこからは地上とは無縁の世界。そんなところに惹かれていたからかもしれない。
でもそんな思いも、それも長く続かなかった。ある試合の時、あたしは気付いた。他の学校は、自分の学校がレースをしているとき、大声で応援する。
しかし、あたしのレースの時、あたしを応援する人は顧問の先生だけ。他の部員はあたしの対戦相手の他校を応援しているのだ。
あたしにはとても耐えられなかった。目の前で言われた事だってある。「○○さんがんばってくださいね」(他校)、「でもDさんだってこの試合でるんだよ?」(あたしの事)
「あーいいのいいの」とか笑い混じりの顔で目の前でいわれた。
学校では相変わらず友達なんて一人もできなかったし、体育祭だって文化祭だっていつだってあたしは一人だった。
学校に行くのが嫌になった時だってある。親に隠れて早退したり、学校に行くフリしてサボった事だってある。
そんなある日、サボった事が親にばれた。親はあたしが学校で虐められていることを知らなかった。
そのときあたしは初めて親に虐められている事を話した。最初親はそれでも学校へ行け!と厳しい顔をした。
あたしは嫌々学校へ行く。そして部活へいくが、部活でも虐められる。
そんなある日の朝、あたしは倒れた。

99:癒されたい名無しさん
07/01/24 11:43:11 Y37aAsCs

    ||
 ノ⌒||^ヽ
彡/∥ ̄ ヽ
 | |`====′
 | |__|
 凵 ##ヽ
 ∪###ゝ
  ^T TT´
   | ||
   「 「 |
   し'し'


100:泣ける話?
07/01/24 12:04:19 EEKDBIqJ
突然のことだった。あたしは学校へ行く準備をしている途中目を真っ白にして倒れたらしい。
(記憶にない)救急車で病院に運ばれて。。。目が冷めたときは、手術室のようなところだったと思う。
「ここがどこだかわかりますか?」
あたしは「はい」とは答えているが、どこだかわからない。それからしばらくして、意識がはっきりしてくるようになって
いろんな検査をして、待合室で母と二人名前が呼ばれるのを待った。
そして名前がよばれた。先生ははっきり言った。「特に以上ありません、ストレスが急激にたまった結果でしょう。一応精神科に回しますので話を聞いて下さい」
そしてあたしは精神科で何かの薬をもらって母と家へ帰った。
家に着くと母は泣いていた。「そんな追い詰められるまで辛いのなら、学校やめてもいい。倒れるまで頑張らせてゴメン」て。
あたしは学校辞めようとも思った。だけど辞めてなにすればいいんだ?回りに迷惑かけてしまう。その日、雪の降る夜、あたしは死のうと思った。
本気で思って、二階の窓から体をのぞかせた。あたしが死んだらそれでみんな終わる。ほんきでそうおもっていた。
でも出来なかった。死ぬ勇樹が土壇場で出なかった。あたしは涙を流しながらその場に座り込んでしまった。
あたしは「学校やめたって、特にする事ないし、友達もいないけど、とりあえず学校に行こう」と決意した。
これ以上母を泣かせたくなかったから。
それから高校卒業するまで、あたしはクラスで3年間一人だった。そんなあたしも部活を3年間やった甲斐があったのか、
就職難と言われていたが何とか就職が決まった。
高校のとき出来なかった友達だって出来た。その友達とであって2年がたって、
あたしは一緒に飲みに行ったときだったかな?高校時代友達が居なかったことや、
イジメにあっていたことを始めて親以外の人に話した。内心ドキドキした。嫌われるんじゃないか、変な目で見られるかもしれない。などと。。
ところがその友達はそれを覆す言葉を言った。
「Dみたいにこんなにいい子を虐めるなんて許せない、もっと早くうちら2人が出会っていればDは
一人ぼっちじゃなかったかもしれないね。。。」
周りに人がたくさんいたが、あたしはそんな事関係ナシに、その場で大泣きしたのを今でも忘れない。

101:泣ける話?
07/01/24 12:16:39 EEKDBIqJ
友達の大切さを教えてくれた、たった一人の親友と呼べる彼女にあたしは感謝している。
あたしは、その子に友達を教えてくれた。その子を連れて今度一緒に実家に帰りたいと思っている。
きっと母も喜んでくれる。
同時にあたしはあのとき高校を卒業してよかったと思う。それこそ友達もいなかったが、あのとき辞めていれば、
こんな出会いも無かったから。死ななくてよかったと思う。生きててよかった。
奇麗事かもしれないけど、生きていればきっといい事あると思う。あたしはそう信じたい。


泣ける話ではなかったのかもしれないですね…あたしが一方的に話してしまいました、すいません。。。
今まで付き合ってくれてありがとうございました。

102:癒されたい名無しさん
07/01/24 20:39:47 n1Nngv3y
ブログ
URLリンク(blog.livedoor.jp)

103:癒されたい名無しさん
07/01/24 20:42:31 6ajTLEtz

(うω;)
感動しますた。


104:泣ける話?
07/01/25 09:41:14 wiFLtv8T
ありがとうございます。その事が本当でも嘘でもそう言ってくれて、嬉しいです。ありがとうございます。

105:泣ける話?
07/01/25 10:03:22 wiFLtv8T
あたしはちなみに今でも高校時代そんな嫌がらせやイジメを受けた事は忘れる事ができません。
さっきの話には書き足りないです。同じ中学からきた子にも裏切られ。周りの人達は、あたしを
汚い物を見るかのような扱い。確かに高校生にしては筋肉だって男波にあったのか見知れないけど。今でも高校生時代の卒業アルバムは見たくありません。
でもあたしは変わった。今は友達だってたくさんいるし、一緒に住んでいる人だっている。
だっている。あたしの実家は田舎だけど、向こうに帰りたいとは思わない。こっちの友達と
別れたくないからだし、今まで虐められたやつらに会いたくないから。

106:癒されたい名無しさん
07/01/25 17:09:10 HBPSfOO3
本当でも嘘でもって、そんな卑屈にならんでも。
泣けるっつうかただの愚痴やん。気分悪い。

107:癒されたい名無しさん
07/01/25 20:00:44 BDC3v+mu
宋文洲:捨て子の少女の死と、脱・格差社会のもと
URLリンク(www.nikkeibp.co.jp)

 1996年11月の四川省の寒村。若い未婚の男性農夫が草むらに捨てられた女の子の赤ちゃんに気づきました。
赤ちゃんを育てるのは、貧乏な彼にとって重い負担。そう考える彼は何回も赤ちゃんを抱き上げては下ろし、立ち去ってはまた戻りました。
最後、彼は命が尽きそうな赤ちゃんに呟きました。

 「私と同じ、貧しい食事を食べてもいいかい」と。

 独身のまま1児の父親になった農夫は、粉ミルクを買うお金もないため、赤ちゃんはお粥で大きく育てられました。
病気がちな体は心配の種でしたが、聡明で近所からとてもかわいがられたのは、お父さんの救いでした。

 女の子は5歳になると、自ら進んで家事を手伝うようになりました。
洗濯、炊飯、草刈りと、小さな体を一生懸命に動かして、お父さんを手伝いました。
ほかの子と違ってお母さんがいない少女は、お父さんと2人で家をきり盛りしました。

108:癒されたい名無しさん
07/01/25 20:01:23 BDC3v+mu
●突然押し寄せた不幸
 小学校に入ってからも、少女はお父さんをがっかりさせたことはありませんでした。
習った歌をお披露目したり、学校での出来事を話したりと、お父さんを楽しませました。
そんな平和な家庭に突然の暗雲がたれ込みました。

 2005年5月。ある日、少女は鼻血がなかなか止まらない状態になりました。
足にも赤い斑点が出たため、お父さんと病院に行くと、医者に告げられた病名は「急性白血病」でした。

 目の前が真っ暗になりながら、お父さんは親戚と友人の元に出向き、借りられるだけのお金を借りました。
しかし、必要な治療費は30万元。日本円にして400万円です。
中国よりずっと裕福な日本でも、庶民にとっては大金になるような治療費を、中国の農民がどうにかできるはずもありません。
集めたお金は焼け石に水でした。

 かわいい我が子の治療費を集められない心労からか、日々痩せていくお父さんを目にして、少女は懇願しました。
「お父さん、私、死にたい。もともと捨てられた時に、そのまま死んでいたのかもしれない。
もういいから、退院させてください」と。

109:癒されたい名無しさん
07/01/25 20:02:27 BDC3v+mu
●自ら治療を放棄すると退院
 お父さんは少女に背を向けて、溢れ出た涙を隠しました。
長い沈黙の後、「父さんは家を売るから、大丈夫だよ」と言いました。それを聞いて、女の子も泣き出しました。
「もう人に聞いたの。お家を売っても1万元しかならないのでしょ。治療費は30万元ですよね」と。

 6月18日、少女が読み書きできないお父さんに代わって病院に「私は娘への治療を放棄する」との書類を提出しました。
彼女はまだ8歳でした。幼い子につらい思いをさせてしまったことを知ったお父さんは、病院の隅で泣き崩れました。
そして娘を救うことのできない自分を恨み、運命の理不尽に怒りを覚えました。

 娘は生まれてまもなく実の父母に捨てられたうえに、貧乏な自分と1日も豊かな生活を経験したことがありません。
8歳になっても靴下さえ履いたことがありません。
それでなくてもつらい人生を歩まなくてはいけなかったのに、さらに追い打ちをかけて病に苦しめられるとは。

 退院して家に戻った少女は、入院する前と同じように家事をし、自分で体を洗います。
お父さんに、自分は勤勉で、かわいく、そして綺麗好きな娘として記憶に残してほしい。
そう願いながら、1つだけお父さんに甘えました。

 新しい服を買ってもらい、お父さんと一緒に写真を撮ってもらったのです。それもお父さんを思ってのこと。
「これで、いつでも私のことを思い出してもらえる」と。

110:癒されたい名無しさん
07/01/25 20:08:22 BDC3v+mu
●70万元の寄付が集まり、治療を再開
 ささいな幸せの日々も、終わりが見え始めてきました。病気は心臓に及び始め、ついに彼女は学校に行くのもままならなくなりました。
苦痛から、学校に向かう小道を、1人カバンを背負って立ち尽くすこともありました。そんな時には、目は涙で溢れていました。

 少女の死が近づいたころ、ある新聞記者が病院側からこの話を聞き、記事にしました。
少女の話はたちまち中国全土に伝わり、人々は彼女のことで悲しみ、わずか10日間に70万元の寄付が集まりました。
女の子の命はもう一度希望の火が灯され、彼女は成都の児童病院に入院し、治療を受け始めました。

 化学治療の苦痛に、少女は一言も弱気を吐いたことがありません。骨髄に針を刺した時さえ、体一つ動かしません。
ほかの子供と違って、少女は自分から甘えることをしないのです。


111:癒されたい名無しさん
07/01/25 20:09:59 BDC3v+mu
●訪れた運命の日
 2カ月の化学治療の間に、何度も生死をさまよいましたが、腕のよい医師の力もあって、一時は完全回復の期待も生まれました。
しかし、…。やはり化学治療は、病が進行し衰弱していた少女の体には、無理を強いていたのです。

 化学治療の合併症が起き、8月20日、女の子は昏睡状態に陥りました。朦朧とした意識の中で彼女は自分の余命を感じます。
翌日、看病に来た新聞記者に女の子が遺書を渡しました。
3枚もの遺書は彼女の死後の願いと人々への感謝の言葉で埋め尽くされています。
8月22日、病魔に苦しめられた女の子は静かに逝きました。

 少女のお父さんは冷たい娘をいつまでも抱きしめ涙を流しました。
インターネット上も涙に溢れかえり、彼女の死のニュースには無数の人々がコメントを寄せました。
8月26日、葬式は小雨の中で執り行われました。少女を見送りに来た人にあふれ、斎場の外まで人で埋まりました。

 女の子の墓標の正面には彼女の微笑んでいる写真があります。写真の下部に「私は生きていました。
お父さんのいい子でした」とあります。
墓標の後ろには女の子の生涯が綴られてありますが、その文面の最後は
「お嬢さん、安らかに眠りなさい。あなたがいれば天国はさらに美しくなる」と結ばれています。

112:癒されたい名無しさん
07/01/25 20:13:54 0sduHl61
●殺人は微増にとどまるが…
 紹介した話は、僕が中国で旅している間に偶然に耳にしたものです。
詳細に興味を持つ方はどうぞ僕のブログ(URLリンク(bsou.seesaa.net))をご覧ください。

 セレブの奥さんが夫を、医師を目指す兄が妹を、バラバラ殺人する事件が相次いで報道されたり、息子が父親のしつけに耐えられなくなり、母親と幼い兄弟を放火殺人してしまったり、とここ最近、家族同士の殺人事件のニュースを聞かない日がないくらい増えています。

 家族同士の殺人事件は、今に始まったことではありませんが、どうも最近はこれまで以上に凄惨になり、数も増えている気がします。

 2006年版の警察白書によれば、刑法犯で警察が被害届を受理した件数(認知件数)は2001年度に273万5000件だったのが、2005年度には226万9000件と減り、殺人事件は同じく1340件が1392件と微増、放火は2006件が1904件と減っています。
検挙件数で見ると、殺人は1261件が1345件と、これも増えてはいますが、目立って増えているわけではありません。

 白書の統計の中で、家族間の殺人がどのようになっているのか分からないので、凄惨な家族殺人が増えているというのは単なる印象論なのですが、どうも現代の日本は、家族の絆や生命の重みを大事にする気持ちが、薄まりつつあるのではないかと感じます。


113:癒されたい名無しさん
07/01/25 20:14:58 0sduHl61
●カネや国に頼る前に、必要なこと
 もちろん勘違いだとは思いますが、そう感じるのは「カネ」さえかければ的な議論が先行し、何をするにしても基本である人の気持ちが置き去りにされているようだからです。
例えば、現在、安倍内閣が掲げている教育再生や少子化対策などの是正の議論の中では、必ずといっていいほど、国が対策を講じず、必要な予算をつけなかったから「学校が荒廃した」「子供を産めない夫婦が増えている」というものがあります。

 カネがないからダメになった、という意見に、僕は素直に賛成できません。紹介した中国の少女の家庭は貧乏だったけれども、少女を優しい思いやりのある子供に育てました。
お金はなかったですが、少女には夢があり、家族愛が育まれました。

 この少女が生きた四川省の農村部では、1人当たりの年間現金収入は1000元(約1万4000円)も届かないと聞いています。
ですから治療費の30万元というのは、年間収入が500万円の人が15億円の治療費を負担するようなものです。


114:癒されたい名無しさん
07/01/25 20:17:23 kCwIxGmx

●70万元の寄付が集まり、治療を再開
 ささいな幸せの日々も、終わりが見え始めてきました。病気は心臓に及び始め、ついに彼女は学校に行くのもままならなくなりました。
苦痛から、学校に向かう小道を、1人カバンを背負って立ち尽くすこともありました。そんな時には、目は涙で溢れていました。

 少女の死が近づいたころ、ある新聞記者が病院側からこの話を聞き、記事にしました。
少女の話はたちまち中国全土に伝わり、人々は彼女のことで悲しみ、わずか10日間に70万元の寄付が集まりました。
女の子の命はもう一度希望の火が灯され、彼女は成都の児童病院に入院し、治療を受け始めました。

 化学治療の苦痛に、少女は一言も弱気を吐いたことがありません。骨髄に針を刺した時さえ、体一つ動かしません。
ほかの子供と違って、少女は自分から甘えることをしないのです。

115:癒されたい名無しさん
07/01/25 20:18:18 kCwIxGmx
>>114間違えました。すみません。

●思いやる心がない社会の寒さ
 少女の話がまたたくまに中国全土に広がったのは、中国も最近の経済発展でカネがすべてという退廃した空気が充満し、そして日本をはるかに凌ぐ格差社会の実態があるからだと思います。
少女の話からお金よりも大事にしなくてはならないものがある、いくらお金があっても得られないモノがあるのだということに気づかされ、それがなんの見返りもない寄付という形になったのだと思います。

 お金は、あることに越したことはありません。予算もそうです。
教育再生、格差社会の是正に限らず、どんな改革を実行するのにも、予算は少ないより多い方がましです。
しかし、お金をかければ、必ずいい結果が出るものでもありません。

 学校が荒れているのは、教育予算の規模も関係しているかもしれませんが、僕には家族が、人を思いやる心を子供に与え、教えていないことに根本の原因があると思えます。
もちろん家族だけが人を思いやる心を教えるものではありません。家族が教えられなくても、教師、地域、仲間が代わりを務めることもあるでしょう。

 暖冬の中、寒々しい話をたびたび聞くにつけ、心のぬくもりについて考えてみました。

※作者のブログ。URLリンク(bsou.seesaa.net)


116:癒されたい名無しさん
07/01/25 20:24:03 i2PkkGBC

(;ω;)
つ旦と
( )( )
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


117:こうき
07/01/26 11:39:27 eoUol4V1
先生
僕の先生はとても泣けます。いつも僕たちを見守ってくれています。 新しい春が来ました。僕たちは初日登校日に1-9
の教室にいき。代理の先生がきて、{先生はお亡くなりになりました}僕はがっくりしました。終わり

118:癒されたい名無しさん
07/01/26 22:08:21 C+twUR0q
私は去年の冬休みひいおばあちゃんがいる老人ホームへ行った。
もう96歳

昔は折り紙教えてくれたり、毎日のように遠くまで歩いて散歩に行った。
よく喋るひいばあちゃん。
口癖が「いつか動物園に行こうね^^」だった。
毎日その言葉聞いてたよwww

でも今年久しぶりにひいばあちゃんの顔見に行った。

髪は真っ白、まるで死んでいるように寝ていた。
もう1人で起き上がる事もできない。

たまに言葉を発するが何を言っているかわからない。
ボケが酷くてな。
ひ孫の私さえ分かっておらず「かわいいおじょうちゃんね」としか言わない。

あんなに「○○ちゃん」いってたじゃないか。
一緒に動物園に行くっていったじゃないか。

だからトイレの中で声を殺して泣いた。

119:癒されたい名無しさん
07/01/27 03:45:18 CATd/TFD
昨日おまいの命日だったじゃん。
すっかり忘れてたよ。

たしか去年も忘れてたな、俺。
でも、必ず次の日に思い出してやんの。

でもコレって、おまいのこと忘れてないって事だよな 笑。

おまいの姉ちゃん、綺麗になったな。

120:癒されたい名無しさん
07/01/27 11:06:45 YCRbtR/r
>>119 カレンダーとオマイの手の甲とチソポに書き込んで桶
このボケナス!
毎年忘れるだと?
とぼけるのもいい加減にしろ!
オマイが漏れの命日忘れる訳ねーだろ?

だって漏れを殺ったのはオマイじゃんか
姉ちゃんがキレイ?そんなん前からじゃん
ただオマイが漏れを刺した時、姉ちゃんにそれを見られたのがオマイの唯一の誤算だったな…
オマイには見えなかったんだろうな…卑怯者のオマイは漏れの真後ろから近づき刺したがら…
あの時漏れのチソポが姉ちゃんのオマンコを貫いていたからな…
もう姉ちゃんは永遠に漏れのものさ
そう、姉ちゃんの「時」はあれから止まったままさ
そしてオマイはもう二度と勃起できないんだ
ザマーミロ

121:解約する名無し
07/01/28 00:00:04 uZYWHCo3
今月でネットを解約するので記念に2ちゃんに書き込みさせていただきます。

私には6歳年下の妹がいました。
母は再婚で父が違う兄が2人います
小さい頃は両親が夜の仕事だったので私たち二人はほとんど祖父母と一緒に過ごして
いました。

祖父母が他界した後も両親の夜の仕事は変わらず私たち4人は子供だけで
夜を過ごしていました。
すごく仲が良かったわけでもなくうっとうしく思ったりする事もあったのですが
仕方なく面倒をみていました
妹が保育園の時は母が朝起きれないので送り迎えは私の役目でした


122:解約する名無し
07/01/28 00:16:33 uZYWHCo3
一緒に笑って喧嘩して

あっという間の16年

私は20歳を過ぎ、この先二人とも結婚して子供ができて
今まで喧嘩した分これからやっと大人の付き合いが出来る様になって
行くんだろうなと思っていました

一人暮らしをしていたあの日
どうしてもどうしてもどうしても家に帰らないといけない気がした
何故かわからなかったけどとにかく帰らないといけない

すぐに仕事を辞めて家に帰りました

そしてちょうど一ヶ月目のある日


123:解約する名無し
07/01/28 00:18:30 uZYWHCo3
「友達とカラオケに行くけどあんたも行く?」
「うん行く!」


「ごめーん友達が遅くなるからカラオケ明日にしよう」
「わかったー」

母・父・兄 帰宅

「ママ、お風呂入っていい?」
「うんいいよ」

1時間後・・・


124:解約する名無し
07/01/28 00:22:35 uZYWHCo3
「友達とカラオケに行くけどあんたも行く?」
「うん行く!」


「ごめーん友達が遅くなるからカラオケ明日にしよう」
「わかったー」

母・父・兄 帰宅

「ママ、お風呂入っていい?」
「うんいいよ」

1時間後・・・

ドンドンドン!!
「○○○!!!!○○○ーーー!!!」

!!!
救急車!!!
妹が持病の「てんかん」の発作で湯船に浮いてました




125:解約する名無し
07/01/28 00:23:25 uZYWHCo3
あれから8年私には3人の子供がいます
妹が生まれ変わってくれないかなと思っていましたが女の子
が出来ませんでした
こんな意地悪な姉の子
供には生まれたくないんでしょうね


126:解約する名無し
07/01/28 00:24:36 uZYWHCo3
時々子供達を忘れてしまってもいいからあの日に帰りたいと思ってしまう
時もあります。家族の中で自分の呼び名が変わったのは私だけです


もう一度だけでいい
○○○に「ねえちゃん」と呼ばれたい
自分を「ねえちゃん」と呼びたい

いつも私の後をついてきた
いつも私の服を着たがった
いつも私の真似をした

○○○ こんなねえちゃんでもねえちゃんはあんたと姉妹でよかった

長文で本当にすいません
すいません


127:癒されたい名無しさん
07/01/28 19:08:21 dhh+oNtO
先日の日記に自分はこう書いていた。
どうせ明日の朝にでもなれば元に戻ってはいるんでしょうけど、今は本当に何もかもがどうでもよくて、自分の生きている価値でさえ見えなくて
その日は色々とあってむしゃくしゃしてたから、そんな事を書いてたんだと思う。
でも、自分の生きている価値がないなんて事はないんだよね。
人は誰しもが誰かに期待を持たれながら生きているんだよね。
そんな事を書いてたら、今まで期待を持ってくれていた人たちみんなを裏切る事になるんだよね。
一番に期待をしてくれている人、それはこの世に俺を生み出してくれた両親だ。
今まで何回も何回も迷惑かけてきたよね。
小学校の時に窓ガラスを割った時も、近所のお店でお菓子を万引きした時も、間違って池に落ちた時も。
最初は怒って、終いには頭をなでてくれたよね。
小学4年生の時、夜になると居間でいっつも親父とお母さんが口論をしていた。
そんなある日、お母さんは一時実家に帰った時があった。
親父が朝の準備をしてくれてる最中に言った一言
『お母さんはこういうのを毎日してたんだな。』
高校3年生になった今でも、そう言った親父の顔は何処か寂しげだった事を覚えている。
今思えば、あれは俺に言ったわけじゃないんだよな。
それから2~3日してお母さんが帰ってきた。
お母さんが帰って来て言った。
『今日は美味しいもの作るからね』って
その日の晩飯は、俺の大好きな鶏の唐揚げだった。
また別の話なんだけど、俺のいつかの誕生日の時だった。
その日は親父が残業で帰って来るのがかなり遅くなるらしい。
兄貴も友達の家に泊まりに行ったらしい。
それまで誕生日はいつも祝ってもらってた俺は凄く悲しくて親父に電話した。
「なんで帰ってきてくれないの!」って
凄い泣きながら電話で話してて、途中で親父が何を言ってのかわからなかった。
俺も自分が何を言ってたかはもう忘れた。
でも、それでも覚えてる事がある。
そんな時でも、お母さんはケーキと鶏の唐揚げを作って祝ってくれた。
翌朝、俺が寝てるのを親父が起こした。
これから会社に出かけるみたいで背広を着てこう言ってくれた。
『誕生日おめでとう、昨日は本当にごめんね』


128:癒されたい名無しさん
07/01/28 19:09:11 dhh+oNtO
高校1年生の時に、ちょっとした事で俺は家出をした。
今からしたら本当にくだらない理由だった。
その日は友達の家に泊まって、翌日学校に行った。
学校に着く前に携帯の電源を入れてメールを確認したら数十件の着信と十数通のメールが来ていた。
それらはどれも親父とお母さんからだった。
家出してるのになんで「寒かったら家に帰ってきなさい」とか言うんだよ。
留守番メモも何件かあって聞いた。
どれもお母さんの泣きじゃくった声が入ってた。
バカじゃねーのとか思いつつ、俺は電車の中で涙を流してた。
学校に着いて、担任から呼び出された。
バカやろうって言った後にパチンってビンタをされた。
その後、うちの親が色々な所に連絡をしていた事を教えてくれた。
先生が連絡したのか、お母さんがわざわざかなり離れてる学校まで来てくれた。
対面した時、お母さんの顔は泣きつかれた様な感じだった。
家に帰って親父に会って、お母さんが風呂掃除をしてる間に
『お母さんが一番お前のことを心配して、昨日は寝てなかったんだぞ』って
そんな両親に支えられて俺も今では高校3年生になった。
去年の父の日に、柄にも無く親父にネクタイを送ってあげた。
駅の中で売ってた2~3千円ぐらいの安物のネクタイ
それが多分、初めての親父へのプレゼントだったんじゃないかな?
最初は、どうせ洋服架けの所に吊るされて終わりかなって思ってたんだけど、一昨日の夜に俺が風呂に入ってる時に親父が風呂の扉を開けた。
『今日、大事な取引があってな。お前がくれたネクタイを付けて行ったんだ。』
そう言って、付けているネクタイを見せてきた。
正直、俺はネクタイの柄も覚えてなくて、ただそうなんだって頷くぐらいしか出来なかったのに、親父は凄い嬉しそうにネクタイを持っていた。
お母さん、お父さん。
まで散々迷惑かけてごめんね。
俺、頭悪いから結局良い大学に行って親父を見返す事が出来なかったよ、自分に価値がないなんて言ってごめんね。
それでも、お父さん、お母さん。
『ありがとう』
自分でも呆れるほどに馬鹿な事をしてきたのに、決して見放さないでくれて
『ありがとう』
俺がここまで成長出来たのもお父さんとお母さんのお陰です。
『ありがとう』
いっぱい我侭聞いてきてくれて
『ありがとう』
うん、ありがとうなんかじゃ本当に言い表せないぐらいにいっぱいいっぱいお世話になりました。
お父さんとお母さんからしたら、出来ないどうしようもない息子かも知れないけど
俺からしたら、俺なんかには勿体無い程の良い両親に出会えたなぁって思います。
心から『ありがとう』


129:癒されたい名無しさん
07/01/28 19:12:45 S/yloYWF
泣ける2チョンねるってか?
バロスwwww w

130:癒されたい名無しさん
07/01/28 22:57:02 frt+EcMx
スレリンク(download板)




131:癒されたい名無しさん
07/01/31 14:58:17 W676R+ow
476 :ほんわか名無しさん :2006/03/29(水) 02:18:58 0

4月から大学生です。
でも、前期で第一志望を落ちてしまって、後期試験で第二志望の大学に行くことになりました。
今日は手続きがあって、電車で甲府まで行きました。

家を朝6時過ぎに出て、最寄りの駅に思ったより早く着いてしまって、ホームに行ったらもう電車がホームに止まって発車を待っていました。
電車に乗って待っていたら車掌さんがいたので、「この電車八王子行きますか?」と聞いたら親切に教えてくれた。
で、「朝早いねぇ。八王子に遊びにでも行くんかい?」と聞いてきたので「いえ、今年から大学に入るんで、甲府まで行って手続きしてくるんですよ」
と言ったら、「おぉ、それはそれはおめでとうございます!」と言ってくれた。

発車まで時間があったので話はすすんで、私は第一志望に落ちたことがひっかかっていて「でも行きたい大学があったんですよ。。。」と言ったら、その車掌さん。
「うーん。でもその大学に行くことになったのも運命だいねぇ♪
第一志望じゃなくても、あなたが選んで受けたんじゃないんかい?
あぁあの大学行きたかったなぁ。。。って大学生活を始めるよりも、これも運命だから4年間を楽しむぞ!って思って行った方が、卒業する時に「4年間本当によかったなぁ。」と思えるよ!
そんで4年たったら、ひとまわり成長してまたこっちに帰っておいで」と言ってくれた。

八高線の車掌さん。
あなたのおかげで、胸を張って入学式に行けそうです。

132:癒されたい名無しさん
07/02/01 23:43:16 axGR5UKy
でも第1志望に受かった方がよかったね

たぶん、これからずっと第1志望だった大学の学生を見るたびに
クソーと思いながら生きていくんだよ

あのとき受かっていたら…って

133:癒されたい名無しさん
07/02/01 23:56:08 H5xmwvpX

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 ∧||∧
( / ⌒ヽ
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 ∪ / ノ
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  ∪∪
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134:癒されたい名無しさん
07/02/05 07:45:34 0lecUq0j
11年前のはなしです。当時付き合っていた彼女が妊娠しました…僕は

周囲の反対を押し切り、結婚し出産させた…なぜ、反対されたかというと

、彼女には精神的に弱いところがあったからだ…僕は子供さえ生まれれば

強くなる と勝手におもいこんでいた。あまかった…若かった…

出産後、やはり、彼女はおかしくなり、とても子育てどこではなく、一緒に

いる僕までもが、おかしくなりそうだった…恥ずかしいことだが、僕には、

まだ、他人の責任を負う事はできなかった…離婚までの話は半年位、かかった。そして、互いの生活が続いていたある日、彼女から、連絡があった



135:癒されたい名無しさん
07/02/05 07:46:15 0lecUq0j
「息子を保育園に迎えに行って欲しい」との事だった…僕は了解し、車で迎え

に行った。三ヶ月ぶりのわが子を膝に置き、車を走らせた、久しぶりの息子

はちょっと重くなっていて、以前よりもよくしゃべるようになっていた、そして

車内から目つくもの全てに「あれ何?これ何?」としゃべりかけてくる…

はじめのうちは「あれは信号だよ」とか「車だよ」とか応えていたけど、そのうちに僕は応えられなくなっていた…これから、こうして 息子に喋りたい時に喋って

やれないと思うと、僕は涙が止まらなくなっていたんだ…その涙で息子が何を

指差してるのかが わからなかったんだ…息子はまだ片言の言葉で笑いながらこう言った…「つめたいよー」…僕の涙が息子の頭にボタボタかかっていた…

僕は声はでなかったから、心の中で…『ゴメン…』


136:癒されたい名無しさん
07/02/05 07:47:13 0lecUq0j
それから、数日たったある日また彼女から連絡があり、新しい彼氏ができ、息子を引き取って欲しい と言ってきた…僕は その時の仕事のことも考え 実家の母に相談し 引き取ることを決めた。

あれから8年が経ち、僕は再婚し 今では二歳になる娘と四人で裕福ではないが、なんとか、暮らしている。最近、娘がどこかに出かけるたびに「これは?これは?」と聞いてくる…そのたびに、あの日の車の中での気持ちが今でも、

鮮明に頭に蘇る…もう二度と自分の子供達にあんな 思いはせたくない…

子供達に教わり続けてる、駄目な僕だ…


137:癒されたい名無しさん
07/02/05 07:47:49 0lecUq0j
(長文をよんでいただきありがとうございました。)


138:癒されたい名無しさん
07/02/05 07:51:14 coZgkJ9I

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   し'し'


139:癒されたい名無しさん
07/02/08 14:16:01 eeUbRzKM
友人が以前に勤めていた会社での出来事。
20代前半でややぽっちゃり気味の後輩OLが、
昼食抜き&晩ご飯も満足に食べないという
過激なダイエットを始めた。
当然周囲は心配して、「ちゃんとご飯を食べなきゃだめだよ」「体に悪いよ」
と促しても、頑として聞き入れない。

努力の甲斐あって、彼女はスリムな体を手に入れた。
そして、ようやくダイエットの理由を話してくれた。
「物心つく前に亡くなった私のお母さんが着ていた洋服を、
どうしても着てみたかったの・・・。」

140:癒されたい名無しさん
07/02/08 14:21:03 GBbZkTDZ

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(  ⌒ ヽ
 ∪  ノ
  ∪∪


141:癒されたい名無しさん
07/02/09 07:53:38 Z2Oth7Ir
俺には息子がいる。
離婚して今は会えないが息子がいる。
離婚して名字も変わったが、俺の息子だ。
結婚生活は、嫁に男が出来て呆気なく終わった。
全て気付いていた。浮気も。
自分の不甲斐なさにも。
親権は獲られなかった。
面会もさせて貰えない。居場所もわからない。
自暴自棄だった。
仕事も頑張れなかった。
自殺しようと決意した。
でも、夢を見た。
息子の夢だった。
息子が話すだけの夢。
それが日常だった、
あの頃の様な。
その日の報告を、
笑顔でする息子。
笑って聞く俺。
とても幸せな時間。
二人で満面の笑顔。
必死に話す息子。
一言一句、聞き逃さないように聞く俺。
最後に息子が言った。
「父ちゃん、またね」
俺は息子を抱きしめた。
目が覚めた。
俺は号泣していた。
本当に目が覚めた。
同時に決心した。
「息子に恥じない男でいる」と。
まだ俺は生きている。
息子に恥じない男でいる為にと、生きている。
「ありがとう○○○。
父ちゃん、
頑張って生きてるよ。
お前の笑顔のお陰で。」本当にありがとう○○○

142:癒されたい名無しさん
07/02/09 08:15:26 3JI2zVU7

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143:癒されたい名無しさん
07/02/09 16:48:14 phfquvY1
大学の友人たちと夏休みに山にキャンプに行ったときの話…

なるべく買える物に頼らないでキャンプをしようという約束だった
俺は薪を集めに山の奥に入っていった
そろそろ十分に集まったと思いながら最後の薪を拾おうとしたとき
マムシに噛まれた
ヤバイと思ってお決まりの応急処置をした後
なるべく血流を活発にさせないようゆっくりと山を下りて行っていた
マムシに噛まれながらも薪を片腕いっぱいに抱えていた俺は
毒が少し廻っていたせいか草むらの中にころんでしまった
そこでまた別のマムシに噛まれた
5分以内にマムシに2回噛まれる
これぞ泣けるはなし

この後は薪を投げ捨てて急いで山を駆け下り
近くにあった診療所で血清を打ってもらった
2日間高熱が出て目が見えなかった
仲間に迷惑をかけただけで感動は一切無し

144:癒されたい名無しさん
07/02/10 16:37:52 upA4Dfav
どんまいです。


145:励ましたい名無しさん
07/02/10 17:05:50 swcS6Fzn
五分以内に2回マムシにかまれても生きてる自分に感動
しろよ!

146:癒されたい名無しさん
07/02/11 00:51:41 n8T6gXa3
手遅れの末期がんの母を看病するために、私は乳飲み子を抱えながら毎日病院に通い、家でも母の介護にせいを出した。
母は孫をお抱いているだけで楽になれると、いつもいつも、病床でも風呂でもどこでも孫と一緒だった。

ついに母が危篤状態になった。もう私の顔も、孫の顔もわからない。
だけど、父だけはわかる。
「お父さんはどこ?」
うわ言のように母が掠れた声で言う。
「出張でいないよ」
「お父さんはどこ?」
目線はいつも、父を探していた。
駆け戻ってきた父に、意識はもうないはずなのに、二人とも黙ったまま見詰めあっていた。
毎日、ただ見詰め合っていた。
言葉なんて要らない絆を感じた。

父が母の名前を呼ぶ時だけ、ぴくん、と指が動いた。
「お母さん」と呼ぶだけで、握り締めた指が反応した。
どこまでも「母親」で「お父さん大好き」な人だった。

指先からどんどん冷たくなったいく母の手を私は離せなかった。
だけど、母は最後まで、父のみを見詰めたまま、息を引き取った。

父の涙を見たのは、生まれて初めてだった。

どれだけお互い尊敬しあっていたんだろう。

父は今でも母のことを「あんなにすばらしい人はもういない」と言い続けている。
亡くなってもう10年が経つのに、父はまだ納骨をしていない。
骨を手放し、墓の下の冷たい土の中に埋めてしまうのが、かわいそうで、寂しいのだ。

こんな夫婦になりたい、と思った。

こんな夫婦の子に生まれた誇りが、今の私を支えている。

長文にお付き合い、ありがとうございました。

147:癒されたい名無しさん
07/02/11 01:27:22 8h6YIyHI
俺と妹にとって、ばあちゃんはばあちゃんであり母親だった。
俺の家は母子家庭で おまけに母親は心の病ってやつにかかっちまってて 実際に俺達を育ててくれたのは、ばあちゃんとじいちゃんだった。
あの日、俺は友達の家に泊まって帰る途中だった。
妹から電話があり、ばあちゃんが動かないと言われた。
なにを言っているのかわからなかった 妹に落ち着けと言いながら俺自身がパニックになっていた。
家の前で妹は泣いていた。 ソファーの上でばあちゃんが寝てた。
俺が触ったときは、まだ冷たくはなかった。けど心臓の音は聞こえなかった。
救急車で病院に運ばれたけど助からなかった。
ばあちゃんは あと2日で65歳になるはずだった。
体は強くないけど俺達のために働いてくれてた。俺が進学すると言ったときは、応援してくれた。俺が困ったとき、いつも助けてくれるのはばあちゃんだった。そして、いつも俺達にご飯を作ってくれた。
俺は、ばあちゃんみたいな人は、長生きするんだと思い込んでいた。
今思えば、後悔ばかりしてしまう。

まだ、思い出にはできないけど ばあちゃん
ありがとう。



オマエ等、家族を大切にしろよ


148:癒されたい名無しさん
07/02/11 08:48:36 zbSjEX41

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149:癒されたい名無しさん
07/02/11 11:45:21 d900NAJJ
URLリンク(www1.kcn.ne.jp)すきま風

150:背番号7 名無し
07/02/11 15:56:17 e/jkv1Ss
~熊のぬいぐるみ~
「ママ~、このぬいぐるみ、なんでいつもここに置いてるの?」
と娘の声がした。
私には、8歳になる娘が居る。
娘はぬいぐるみを抱えて持ってきた。
私は、そのぬいぐるみを受け取ると「懐かしいなぁ」とつぶやいた。
そして、ぬいぐるみと友達の思い出を語り始めた

      ―数年前

あれは、私が物心ついて間もなかった。
いきなり父親の転勤が決まって遠い県へと行く事になった―。
嘘だという事を信じるしかなかった。
その頃私には幼稚園から仲の良かった親友が居て
その子と別れるのが嫌だった。しかし日に日に転勤の話は嘘では
無くなって来た。
そして、後1-2ヶ月で引っ越す事になった。
まだ友達にも知らせていない、友達を傷つけるだろう…
しかし何時か言わなければいけない…
私は決心して友達に転勤の事を言った。
『父親がさ…転勤決まったんだ、それで遠くに引っ越すことになったんだ。』
と言うと友達は、俯いてしばらくするとどこかへ行ってしまった。
そして学校も終わり家路ほトボトボと歩いていると
玄関に友達が居た。
友達は可愛い便せんと熊のぬいぐるみを渡すと
涙ながらにこう言った
『引っ越しても忘れないでね。離れてても友達でいようね』と……
私は、「うん」と頷いて指切りをした。
そしてこの町で友達との最後の思い出を作り
その友達思い出と一緒にこの町を出た。

語り終えるといつの間にか泣いていた。
とてもいい友達だったから


151:癒されたい名無しさん
07/02/11 16:18:57 GuVk9kec

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152:あの日の俺
07/02/12 00:50:34 avWcmI0+
今どなたかいますか・・?


153:癒されたい名無しさん
07/02/12 01:12:09 sltZ3OLX
URLリンク(blog.m.livedoor.jp)

154:臆病者
07/02/12 16:11:02 74bMc09e
一昨日、父の様子がおかしかったので、病院に連れて行くと、脳梗塞との診断を受けそのまま入院する事になった。
昨日まで普通にしてた父が、今は上手く言葉が話せない。何が言いたいのか、ちゃんと解っているのかそれすら考えがたい。
その日、家族みんなで泣いた。ドラマみたいに、父の前で泣かない・・そんなの無理だった。
今日、また病院に行ったら、何か言いたそうな感じだったけど詰まるらしくて。。
少しして、ハッキリとした口調でもう帰っていいよ。だって。一番言いたかった言葉だったかもしれない。
明日も行くよ。あさっても。早く良くなってね

155:癒されたい名無しさん
07/02/12 16:20:39 nWJXIbRF

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156:励ましたい名無しさん
07/02/12 17:14:59 t6LqAyl2
お父さんが、元気になることを信じて看病頑張れよ!

157:癒されたい名無しさん
07/02/12 23:33:03 JRw3HMsZ
親父に伝えられなかったこと。

自分が子供のころ親父は厳しかった。自分に非はあるが、なんか悪いことをすると、
力いっぱい引っ叩かれた。冗談ではなく首の骨がおかしくなるんじゃないかと思ったほどだ。
そのくせ、普段仕事ばかりで自分が子供のころ、親父に遊んでもらった記憶はほとんどなく、
子供の目にうつる親父は自己中心的だった。

親父が優しかった思い出はあまりないけど、小学校低学年のころ道端で犬の糞をふんで
近所の子供に馬鹿にされて、悔しくて泣きながら家に帰ったことがあった。たまたま母親
がいなくて、たまたま家にいた親父は、自分の糞まみれの靴と足を何も言わずに洗ってくれた。

高校に入る頃には親父の押し付けがましい考え方が嫌で、なるべく顔を合わせるのを避けるようになった。
高校時代さして成績がよかった訳でもなかったが、卒業後は多浪して大学にすすみ、親父と同じ職業に就くことを選んだ。
今にして思うと、親父と対等になりたかったのかもしれない。

俺が親父と離れた土地で就職、結婚して家庭をもち何年かたった頃、親父は病気になった。何度か見舞いに行ったけど、
相変わらずの親父の身勝手な態度が許容できず、口喧嘩をして帰ることが多かった。「どうして親父は周りの人間の苦労や
、迷惑を省みないでわがままばっかり言うんだ。」病床の親父にそういって帰った数日後、親父は息をひきとった。

何年か経ったけど、時々親父の夢をみる。口論しているか、親父の具合が悪い時の夢がほとんどだ。たぶん親父が今、
生きていたとしても、やっぱり喧嘩するだろうと思う。ただ、親父の夢をみて朝起きたとき、いつも心に思うことがある。

生きているときに伝えたかったことだ。

今俺が生きているのは、親父のおかげだ。死に目に間に合わなくてすまなかった。
育ててくれてありがとう、心から感謝している。



158:癒されたい名無しさん
07/02/12 23:37:22 9Mm3Wy6V

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159:癒されたい名無しさん
07/02/13 11:39:02 NKXb5LTR
去年の話です
2ch歴ぜんぜんないけど書きます

私の母には姉がいて、東京に住んでいました。私は北海道に住んでいるんですが…。おばちゃんは毎年子供(私のイトコ)の夏休みに合わせ北海道にある私の祖母の家に1ヶ月くらい滞在していました。
数年前からおばちゃんは糖尿病と診断され、一時期70~80はあったと思われる体重が去年の夏には60前後くらいになっていてかなりやせ細ってしまいました。(身長は165くらいはあったかと)
その痩せ方は見るとつらくなる程でした。
東京の病院には週1(もしかしたらそれ以上)でインスリンを打ちに通っていたそうです。

去年の夏、例年通りおばちゃんは来ました
実は私は16で子供を産み、高校も中退したのですが、おばちゃんはこっちにくる前に電話でいつも優しい言葉をかけてくれ、何度も娘におもちゃや布おむつ、育児の本などを送ってくれて、娘にあうのも凄く楽しみにしていました
私は、おばちゃんがきた頃は今の旦那と住み始めていて一度しか祖母の家に行けませんでした。

会いにいった時はさっき書いた体重くらいに痩せていてびっくりしたものの、優しく迎え入れてくれたおばちゃんに、さして疑問はいだきませんでした。

160:159
07/02/13 11:49:45 NKXb5LTR
イトコとも結構遊んで…(イトコは小学生です)
おばちゃんともとりとめのない世間話をして…
夕方になるころに、私と母は帰ることにしました。
そして、帰るときに
「●●、また遊びにおいでね」と笑顔で見送ってくれました。それが最後に交わした言葉でした。
私は忙しかったこともあり、それ以降は祖母の家に行けず、そのままおばちゃん達も東京へと帰りました。
その時私は、また来年もある…そう思っていました。

おばちゃんが帰って1ヶ月くらいたち、9月下旬に入ったころでした。
今の旦那との結婚も決まり、23日に婚姻届の保証人の欄に母に名前を書いてもらう為に、家に母にきてもらいました
来て早々に母は
「時間がない!おばちゃんが倒れた!これからおばあちゃんと東京に行ってくる」と言い、婚姻届を書きながら状況を説明してくれました
頭が真っ白になりあまり覚えていないのですが…
おばちゃんが倒れて病院に搬送されたこと。意識がないこと。
大まかですがテンパってしまいこれだくしか頭に入りませんでした…
婚姻届を書いてくれた後、母は祖母を迎えに、そして飛行機に乗るために空港へ行きました

161:159
07/02/13 12:06:51 NKXb5LTR
それから夜、9時はまわったころかな?母からメールが来ました
「間に合わなかった。○○おばちゃん死んじゃった。お母さんついた時、五時くらいだったんだけど、もう亡くなってた」
最初意味がわかりませんでした
何かの冗談だと思いました
目で何度も読み返して、五回くらい読み返した頃、やっと理解ができ、ボロボロと涙が出ました
丁度居間で笑いながら話してた時だったから、旦那も義母もさぞ、驚いたことでしょうね(^_^;)

泣きながら(泣かないように我慢してたのですが)父に連絡をいれたり、母とのメールでイトコの心配したり…
意外とやることはちゃんとやってたんですよね…でもちゃんとそういうことしてても頭の中はパニックでずっと泣いていました

私は行きたかったのですが葬式には参加できなくて…49日と納骨はこっちでやるとのことだったので行ってきました
行ってもまだ…否、今もまだおばちゃんが死んだことに納得できていません。
夏になれば「びっくりした?」と笑いながらおばちゃんが来てくれるんじゃないかと思ったり
コンビニで後ろ姿がそっくりな人を見つけると、
「いつこっちに来たの?」と話しかけそうになりました。正面から見ると別人で泣きそうにもなりました。

小さいころから私に優しくしてくれたおばちゃんはもう居ません
私をほんとの子供のように叱ってくれたおばちゃんはもう居ません

今でも納得できないけど…お盆には祖母の家に行ってこようと思います
おばちゃんを探しに、思い出を探しに…

長文駄文すいません
まだ納得できていないところがあるし、高校中退なんで文章もまとまらなくて…
書かせていただきありがとうございましたm(_ _)m

162:癒されたい名無しさん
07/02/13 12:10:01 +YEOj4oL

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 ノ⌒||^ヽ
彡/∥ ̄ ヽ
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   し'し'


163:癒されたい名無しさん
07/02/14 20:07:36 Dvg9clB5
>>1-400

164:癒されたい名無しさん
07/02/14 22:18:10 4YTSNirR
はじめまして。いつも読ませてもらってます。
突然ですが昨日、失恋をしました。

僕は19歳。去年、高校を卒業し中学時代の先輩が誘ってくれた社会人バスケをはじめました。

練習には女子の先輩も来ていて1人の先輩を好きになりました。


19年生きてきましたが、こんなに人を好きになったのは初めてで。

3歳年上の方でした。
少しでも話ができるようにと練習の時後ろに並んだりと、自分なりにアピールをしました。

少しは話すのですが、結局「彼氏いるんですか?」とか「良かったらメールアドレス教えてください!」なんて言葉は出ませんでした。


話は飛びますが、昨日友達が「Aさん婚約しかかってるらしいよ。」と教えてくれました。

ショックでしたよ。
テレビの音が聞えなくなり
空の色が分からない。全ての景色が真っ黒に見えました。


ダメでも構わないから伝えるだけの事は伝えようと決意を決めていたんです。

後悔は出来るだけ少なくしたかった。


ですが今は伝えたら伝えたでAさんもきっと迷惑だと思います。


好きな人には幸せになって欲しいと願います。
ですが他の人と幸せになるのは自分は悲しくて悔しいです。
何か言葉では言い表せない感情で。


昨日は荒れまくり、泣きまくり。

僕の中ではいつになっても苦い思い出になりそうです。

もう夢にも出てきて欲しくないと願います。
ですが出会わなければ良かった何て思いません。


僕にもこんな気持ちあったんだって分かったから。


どうしても誰かに聞いてもらいたくて投稿します。
板違いだと思いますが読んでくれた方感謝ですm(_ _)m
駄文、長文すみません。

ありがとうございました。


165:癒されたい名無しさん
07/02/14 23:05:15 +bInHWiW

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166:名無しさん
07/02/15 21:29:01 JowXdCeb
僕ともういない彼女のこと誰かに知ってほしいので書きます

2週間ほど前、16歳の恋人が亡くなった。生まれつき弱かった彼女の心臓が止まった。
僕と彼女が出会ったのは小3のとき、髄膜炎でとある県病院に入院したときだった。
病気のせいで一時的に足が不自由になった僕は松葉杖での移動を余儀なくされていた。
最初の出会いは最悪だった。病院内の曲がり角でぶつかった。彼女は大丈夫だったけど、僕は倒れて後頭部を強打した。
気がつけばベッドの上にいた。周りを見ると、看護婦さんと彼女がいた。彼女は僕に向かって何度も謝った。僕は状況が分からず、キョトンとしていた。
看護婦さんが何があったのか説明してくれた。僕は気絶したのだった。納得した僕は謝り続けている彼女に戸惑いながら、いいよいいよ、と許した。それが始まりだった。
お互いの病室を知った僕らは毎日会うようになった。同い年ということもあり、小3らしく無邪気に遊んだ。
僕が退院するとき、手紙のやり取りを約束した。理由は思い出せないけど1ヶ月に一通というやり取りだった。
書くことは毎回似たようなものだった。僕は学校での出来事を書いて送った。彼女は入院生活でのちょっとした出来事を書いて送ってきた。
そんなやり取りは中1の11月まで続いた。いや、11月で終わった。
彼女からの手紙が11月から止まった。12月の半ばまで待ったが彼女からの手紙が来なくなった。不安になった僕はもう一枚手紙を書いた。返事は3日後に返ってきた。
送り主は彼女が入院していた病院だった。内容を見て、呆然とした。
彼女は別の病院に移ったのだった。しかも彼女は自分のことは一切誰にも言わないように言っていたのであなたには何も教えられない。ということだった。
彼女は僕のことを捨てたんだ・・・そう思って僕は彼女のことを忘れようとした。
中2になってからはすっかり彼女のことは断ち切ったと思っていた。そう思っていた矢先、僕は学年1かわいいと噂されていた女の子に告白された。
放課後、学級委員長の仕事で一人で教室に残っていた僕にその子は告白してきた。多分誰もがOKするような感じだった。
でも、僕はためらいつつもこう言っていた。「ごめん、俺には大切な人がいるから。」
彼女がどう思っていても僕は彼女のことを忘れられなかった。告白されても断ってばかりいた僕はいつの間にか中3の冬、受験にむけて励んでいた。
彼女からの手紙は一度も来なかった。
2月の始め、塾の帰りに交通事故に遭った。頭から出血していて、僕は救急指定のある大学病院に搬送された。
怪我はたいしたことなく、2日で退院できると医師は告げた。
事故の翌日、ふと彼女のことをこの病院の人に尋ねてみた。もちろんダメもとだった。
尋ねた看護婦の返答は素っ気なかった。
「○○さんなら入院してますよ。△△△号室に。」
偶然なのか、必然なのか、彼女はこの病院にいた。
僕はすぐにその病室に向かった。その病室のドアの名札には確かに彼女の名前があった。
深呼吸をして、ノックした。中から女の人の声がした。どうなってもかまわない。そう思っておもいっきりドアを開けた。



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