07/03/04 21:10:34 LpMRZYL4O
ここは最悪な状況に陥った人が「最悪」を選ばず「次悪」を選ぶことが出来るようになるための場所。
多重債務とは自分の人生や存在価値すら否定されるべき災難と思いきや実は違うのだということを気付いてもらうための場所。
返すにしろ値切るにしろ踏み倒すにしろ、相談者が理解納得そして行動できるようになるための場所。
ざっと羅列してこんな感じですか。
ただ、そのための方法論はいくつかあるのではないかなあと僕は思ってるんですよ。
一つの論をただ推進させるのではなく、反対意見に対する見解を述べて対立点を明確にすることも有効と考えます。
本来ならば「荒らし」は完全黙殺が基本ですが、
常日頃SDQNさんや一部コテさんがされているように適度に荒らしに反反レスすることは良いことだと僕は思います。
さて、
法学を志した人間が必ずぶちあたる壁、
「法の恣意性」。
世の中を動かしているのは、その時々の人間の判断。
紛争が起きたとき、それを解決するのもその時々の人間の判断。
法律はとどのつまりが刺身のツマでしかない。
法律の解釈、運用は社会通念に則りなされます。
だから法律には画然とした恣意性がある訳です。
(法律の解釈がその時々の人間の都合で変わるなんて、法学初心者には童貞喪失的ショックですワケワカラン笑)
さて次からが本題。
多重債務問題をはじめとする債務超過による債務不履行、履行不能問題の解決基準として、
「返せなくなったものは仕方がない」
「責任を永久に負わせることは宜しくない」
という「法律以前の価値観」が存在するのです。
だから司法は債権債務問題の危険負担(ワリをくらう)を債権者に求めるのです。
法律以前の価値観とはなんでしょうか。
それは「社会通念」とか「道徳」とか呼ばれるものではないでしょうか。
ですから、アンチ踏み倒し派の「民事に逃げるな」とか「法律以前に踏み倒しは悪」という議論は必然的に崩壊します。
すなわち道徳論としても、「借りたものは返すべき」とは社会通念としていくつかある考え方の一つに過ぎないということです。
借金で苦しまれている方々、
だから無理をする必要などありません。
と、僕は声を大にして言いたいです。
(無名氏との議論も以上の結論に帰結させることができると思います)