07/06/18 19:52:23 bhUI5XIb
先日、NHKアーカイブスで、約八年前のとある東北地方の小学校の
「作文教室」の授業を取り上げた特集を見ました。
その、決して豊かとはいえない地区の山村の公立小学校での、ささやかな取り組み。
宮沢賢治の小説の舞台になったとも言われるその小さな小学校で、子ども達は、
けなげに、生き生きと、自らの運命を正面から受け止め、家族の愛に何かを感じ、
泣いたり、笑ったり、それはそれは豊かな感情を、不器用にかつ暖かく、原稿用紙に綴っていました。
その子が、まだ低学年だった時のある日の朝、些細なことで母親と喧嘩してしまった。
その日は、つい、売り言葉に買い言葉で、朝食も食べずに家を飛び出したところ、
校長先生のもとに、母親から、たった一つの大きなおにぎりが届けられた。
遠足などの行事の際は、必ず二つはあるおにぎりが、この日は一つだけだった。
(まず、おにぎりが届けられたということ自体が感動ものだが)。それはなぜか?
毎日、家族のために、遠く離れた店で、パートとして働く母が、朝の一刻を争う時間をさいて、
自分のために握ってくれたおにぎり。たった一個が限界だったのだろう。
あんなに喧嘩をしたのに、あんなに悪態をついたのに、朝の忙しい時間を割いて、
わざわさたった一つのおにぎりを握って学校に届けてくれた母の気持ちが
高学年になった今、痛いほど解る。
こんな内容の作文をしたためた男の子。
病弱で普段は入院している母親の代わりに、祖母や父親を助け、弟妹達の面倒を見、
畑仕事や、家事をしっかりこなしている女の子。
ある日、一日だけ、母親が病院から一時退院した日。
甘えたいのに甘えられない。弟妹達の陰に隠れて、母親の帰り際、
隠れて泣いてしまった哀しい気持ちを綴った作文。
子ども達は、作文で自分達の感情を、それはそれは素直に表現していました。
そして、それを見守る地域の目の温かさ。
お金を積んで、小さな子供を狭い教室に詰め込んで、その結果、得られるものは何でしょう?
こんな世界を知った今、全てが馬鹿らしく思えるのです。
自分達の知らない世界で、美しい人間の生活が営まれているのだということを
知らずに過ごす子ども達は、本当に不幸だと思います。