07/10/30 04:01:41 bGQPc1240
>>312
社会の適応者と不適応者の違いは何なのかというと、
簡単に言ってしまえば、その社会の仕組みに抵抗せずに生きてゆけているかどうかって事だと思う。
たとえばワーキングプアの問題を一つ挙げてみても、
そうした問題を生み出すような社会の中でも、それに抵抗せずに生きてゆけている人々が「社会の適応者」なんだと思う。
じゃあ、賃金を上げろとデモをする人々は「社会の不適応者」なのかというと、オレはそう思う。
今の自分の貧しい待遇を作り上げている社会の仕組みに適応できずに怒りや不満が蓄積するというコトは、
そうした社会に適応しづらい、もしくは適応できていないという事で「社会の不適応者」だと思うんだよね。
だから社会っていうのは、そうした不適応者たちの手によって、形を新たに作り変えられていってると思うんだ。
じゃあ、宅間という一人の社会不適応者が抵抗していた社会の仕組みというのは、いったい何を指していたのだろうかって事になる。
つまり宅間が「形を作り変えたがっていた」社会の仕組みは、何だったんだろうかって思う。
ワーキングプアの問題で、賃金を上げろとデモをしている人たちは、社会の何に抵抗している「社会の不適応者」なのかは分かりやすい。
企業が空前の利益をあげているにも関わらず、一向に賃金があがる気配もない。
そうした状況を結果として作り上げている今の社会の仕組みに、デモ隊は「社会の不適応者」宣言をしてるんだ。
じゃあ、宅間は社会のなにを「作り変えたがっていた」社会不適応者だったのかって考えると、オレにはサッパリ分からない。
たしかに殺人を犯したり、他人に暴行を加えたり、動物虐待をする時点で、
宅間は法律という社会の仕組みに抵抗する立派な社会不適応者なんだけども、
それらの行為でもって、じゃあ一体社会の仕組みのどの部分を宅間は作り変えたがっていたの?って思うんだよね。
社会の不適応者が「自分が適応できる社会の姿を描きなさい」って命令されたとき、
宅間の描く社会って、一体どんな姿をしているんだろって思う。
そして当然ながら、宅間イズムに賛同する人の描く社会像と、宅間の描く社会像は近いものがあるはず。
だからこそ、宅間に共感するんだと思うんだけど、オレにはその像がまるで想像できないんだ。