05/03/26 00:39:31 KOygLYBj
結局自問しても堂々巡りになるわけですよ
しかも人間の一生は短い(少なくとも私はそう思ってる
一生考え続けてたら、それこそ生きている意味がないわけで
そこで私は「あきらめる」を選んだ(実際には再発して、その度にまた棚に上げ直して、の作業の繰り返し
気づいていない側の人間と違うのは、私は死を理解した上で棚上げにしていること
そしてたぶんこれは正しい(探していた答えとは違うけど、“私の”見える世界が美しくなった
フロイトは死に対する態度、タナトスの逆の感情をエロスとしたけど、私はアイデンティティ、独自性だと思う
死が怖いのは、“かけがえのない”私を失うから(と同時に世界も失う
私らしさは私を私であろうとさせ、より一層絶望を引き立てさせる
でもそれは一過性の大切さに気付き、一瞬に慎重になり、かつ今という時特性に気付き、一瞬に大胆な態度を取る
その判断はいつのまにか、恐れていた「一般的な」思考ではなく、独自の「私らしさ」の基準になっている
私が未来で死ぬとき、過去を振り返れば、それは結果的に「私」に満足を覚える(と信じたい
私らしく生きるということは、私らしく死ぬということになるからね(今も死に向かっている
こんなに苦しむならまだ考えたり、意識を私として感じることの無かった、生まれたての頃に戻りたい、否
それは「私の」無と、私の死と同義だから・・・
だから死の恐怖に打ち勝つには、さらに複雑な私らしさを追求するか、いっさいの私らしさを放棄することにある
それは「今の」私から変化「し続ける」ことになり、論理的に永遠の生を実感する
変化するということは意識してか知らずかはともかく、終わりを了承することにつながるから
はたから見れば棚上げそのものですが、それは私にとって心地よいことなのです(・・・と信じたい