06/07/12 02:39:34 v3/Qb2Lc
>>22新約聖書は本来聖書とは何の関係もない
その通り。よく判ってるな。
●「永遠の命」の思想は聖書の伝統からの逸脱だった。
キリスト教(新約聖書)は「永遠の命」の宗教です。キリスト教の救いとは「永遠の命」を得ることです。
キリスト教における信仰者の究極的目的は「永遠の命」です。
しかし、このことは、キリスト教が本来の聖書(旧約聖書)の伝統から逸脱した宗教であることを意味しています。
本来の聖書には「永遠の命」の思想なるものは存在しないからです。
(1)新約聖書(キリスト教)の中心思想
「永遠の命」という概念は、新約聖書(キリスト教)の中心概念の一つです。キリストを信じることによって得られる救いとは、他でもなく、「永遠の命」だからです。これがなければ、キリスト教は成立しないと言ってもよいでしょう。
したがって、新約聖書においては、
「永遠の命」こそ人間が得るべき最も大切なものであるという思想が、繰り返し繰り返し、述べられています。
2)聖書の伝統
ところが、驚くべきことに、新約聖書においてそれほど重要な「永遠の命」という概念が、旧約聖書ではまったくゼロに等しいと言っていいほどわずか(2回)しか取り上げられていません。
しかも、そのどちらの場合も、人間は「永遠に生きる」のではないことを言うために、否定的に語られています。
主なる神は言われた。「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。
こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。(創世記 3: 22-24)