06/05/09 21:43:44 8GLIlYKs
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>具体的なサービスを討論しても良い時期ではないだろうか
個人がそれぞれの生活の中で行うサービスについては
もちろん「具体的」以外にありえませんが、
たとえば「スピリチュアリズム的にこーいうサービスは是だ非だ」を
やりだすということは、ズバリ既存宗教的教条主義、戒律主義の始まりでしょう。
「自立のきっかけを奪うサービス」についてですが、
「自立」って一体どういう状態(心身共に)をいうのでしょうか。
経済的な自立ばかりが自立でしょうか。
どういうレベルの自立をもってよしとするかはそれこそ千差万別、
そしてまた、誰かが自立してるかどうかということを、
他人が判断できるものでしょうか。
仮に今生は「自立してない(と表現しますが)」生を送ったとして、
永遠の進化の過程の中で、それが一体どれほどの問題になるというのでしょう
現実の生活を軽んじてるわけではありませんよ、むしろ逆です。
「自立していない生活」に対する「原因・結果」は、
その人自身が霊界に帰ってからでも、また転生してからでも、
しっかり引き受けていくのです。
周りがとやかくいえることではないと思います。