06/06/26 00:04:20 aQZs8oLY
*** 目00 1/8 27ページ 一般的な習慣に対する平衡の取れた見方 ***
かつては問題のある慣行と結び付いていたにしても,今日ではおもに社交上の礼儀とみなされているようなものについては
どうでしょうか。例えば,指輪の交換やケーキを食べることも含め,結婚式の一般的な習慣の中には,もともと異教に由来
していると思えるものも多くあります。それは,クリスチャンがそうした習慣に従ってはならないという意味でしょうか。クリス
チャンは,地域社会の習慣を一つ一つ事細かに調べて,それがある場所またある時代に否定的な意味合いを持っていたか
どうかを確認するよう要求されているのでしょうか。
パウロは,「エホバの霊のある所には自由があります」と指摘しています。…エホバの証人は,聖書の原則に明らかに違反
していない物事について厳格な規則を作ることはしません。むしろクリスチャンは,直面している状況を各自がよく考慮して,
個人的に決定すべきです。
これは,ある種の習慣が聖書の教えに直接反していないかぎり,それを行なうのはどんな場合にも差し支えないという意味
でしょうか。いいえ,そうではありません。…クリスチャンはおもにどんな点に関心を持つべきでしょうか。特定の習慣の由来
について調べるべき理由もあるかもしれませんが,ある場合にさらに大切なのは,その習慣が今の時点において,またその
人の生活している地域の人々にとってどんな意味があるかを考慮することです。もしある習慣が,一年の特定の時期や特定
の状況のもとでは非聖書的であるとか,好ましくない意味合いがあるという場合は,クリスチャンは分別を働かせて,その時
には行なわないようにするでしょう。