06/04/02 20:32:33 i6hsOFg7
>>635 ご評価いただきありがとうございます。ですが私は怠け者で、多煩悩のしょうがない仏教徒です。
サンカーラ、サンスカーラについては村上真完先生の「諸行考I - IV」『仏教研究』16-19、1987-1990
が正に徹底的で公平正確な研究だと思いますので、機会がありましたら参照してみてください。
その中で行が業と同じとするのは、異論がないようです。木村泰賢、赤沼智善、船橋一哉、宇井伯寿も
そう解釈していますし、水野弘元先生『仏教要語の基礎知識』で十二縁起の各支の解説で、
「行 身行・語行・意行の三行とされ、それは三業に同じい」(171頁)としてます。
もっとも120頁では十二支の行は「業の意味に近いものであって」ともなってますが、問題ないでしょう。
平川彰先生『インド仏教史』上74-75頁では、
「十二縁起の行は、識を色づける形成力を指すのであり、これは業であると説明される。
過去の業が識を色づけており、それに影響されて識は判断や活動を行うからである」
この行の性格を巧く表しているのが『サーンキャ・カーリカー』67、
正智の証得から法などが(輪廻の)原因でなくなっても、
行の力で轆轤(ロクロ)が廻るように、身体も存続する。
つまり悟ることで、無明という輪廻の原動力がなくなっても、
惰性で死ぬまで身体が維持され、その死をもって輪廻から解脱すると。