06/07/07 00:18:25 hNyw5kuw
>>743
>ありがとうの理論は正当な仏教理論をベースにしていると思う
ここは、正しく言い当てられていないと思います。仏教では、悟りに関してを説いている一方で、
四無量心、慈悲喜捨 という形で、ある種世俗的な面に関わるものとして
チベットなり、大乗 上座、すべてに共通した定型みたいなものがあります。
それは、あくまでも感謝ではなく、慈悲、慈しみです。
慈しみ という心が内にはぐくまれることによっていろいろな苦しい結果<便宜上>を避けられることもあると解説に
あります。(のがれられない業は避けられませんが)
これも言葉をいくら繰り返し念じても、内面で慈悲がととのわなければ結果はでないといわれております。
もちろん、苦しい結果を避けたいがために、あるいは、楽<苦に対して>な結果を得たいがために
そういう目的でやろうと試みても、結果はでないということです。
なぜなら、それは 「私」という 自我の殻を強くするだけであって、慈悲の状態とはまったく逆のベクトルです。
もし仮に、仏教の内容的で、ありがとうの結果が出ると考察するなら、
何も求めず、ありがとう を言う ⇒
⇒その結果たまたま純粋な慈悲の心がはぐくまれた
⇒慈悲がはくくまれたので楽果が現象として現れた
ということになるかもしれません。
しかしながら、それは、 ありがとう に力があるのではなく、自我のない 純粋な「慈しみ」がはぐくまれることによって
そうなる可能性があるということで、慈しみにポイントがある と仏教を一応学んでるものからは
申し上げるしだいでございます。