04/12/08 01:54:26 eyPYy8yh
シバケン こと 多賀井けんじ、月曜、火曜日と出て来てないね。
クッキーから、接続がばれるのを、警戒してるようだ。
しかし、覗いてはいる。
なので、移転の知らせを、あちこちには、貼れない。
以前、5,6,7章の3章にわたって、粘着され、スレが、成立しなくなった、苦い経験がある。
いわゆる、「おかしなひと」であろう。
この手のヒッキー君には、放置プレー しかないらしい。
ただ、ここへ来て、クッキーの設定をしないと書き込みが出来ないよう、システムを変えたらしいので、個人の特定が、簡単になったのだろう。
9章も、ご苦労をかけて建てていただいたので、様子を見ながら、どちらも大切にしていけたらいいなと思います。
並行的に、進行していけないものでしょうか?
8:アトランタ
04/12/11 14:57:03 9orGqk4o
Jane View
URLリンク(www.geocities.jp)
Doe版が、おすすめ、です。
以前のお気に入りが、そのまま、移動してくれる方法が、分からなくて、苦労しました。
その点、工夫してください。
9:ぬゑぽ
04/12/11 22:35:50 xSo7fuDv
>>5
こっちが消滅するでしょう。
10:名無しさん@3周年
04/12/12 12:59:12 hNkxu+Ya
>>7
>シバケン こと 多賀井けんじ、月曜、火曜日と出て来てないね。
詳かいところまでよく観察してますねえ
特定人物ウォッチャーですか~
実体のない「仮名」を追いかけるのも、禅スレにしてはダサ過ぎまっせ
11:警察板にも張り付けしておきました(w
04/12/12 13:22:05 jCBNOk8O
よんだか?
おい、オカルト板高木泰ぞうよ、
いいかげん、俺の誹謗中傷を消さないと、刑務所ぶち込むぞ、コラ
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
スレリンク(police板)l50
12:警察板にも張り付けしておきました(w
04/12/12 13:23:44 jCBNOk8O
こんなスレあるんならはやく連絡しろよwww
13:警察の方へ、2ch運営に個人情報を書き込まれて困っています。
04/12/12 13:28:20 jCBNOk8O
警察の方へ
これが2ちゃんねる運営マルチ犯罪者たちですw
14:警察の方へ、2ch運営に個人情報を書き込まれて困っています。
04/12/12 13:37:55 jCBNOk8O
この犯罪スレを作った本人は、アンチネットワークシステム、
KSプロデュース ロムランド信頼獲得実践工房・
シアターグループの連中です。
その中でも、もっとも極悪な詐欺師は、
鈴木、新田、高木、古川の4人です。
詳細はこちらから、ぐぐる検索
URLリンク(www.google.com)
15:警察の方へ、2ch運営に個人情報を書き込まれて困っています。
04/12/12 13:40:37 jCBNOk8O
URLリンク(www.transpace.jp)
いろんなところに、こいつらの悪事が晒されています。
おそらくかなりうらみをもたれているのでしょう。
16:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
04/12/12 13:46:02 3HVUwg2q
>>3
「わからない」。
と、おっさりながらもチャンとわかってらっさるではないですか。
<ROM記念>
17:警察の方へ、2ch運営に個人情報を書き込まれて困っています。
04/12/12 13:48:22 jCBNOk8O
スレリンク(bouhan板)l50
2ちゃんねる武道板プロ固定
元龍貴売春斡旋疑惑スレとも同時進行で(w
18:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
04/12/12 13:48:27 3HVUwg2q
田賀井どの。オヒサしぶりです。
机は、今だ健在です。
よろしこ。
19:警察の方へ、2ch運営に個人情報を書き込まれて困っています。
04/12/12 13:51:52 jCBNOk8O
URLリンク(temp.zope-nippon.org)
URLリンク(temp.zope-nippon.org)
URLリンク(temp.zope-nippon.org)
URLリンク(temp.zope-nippon.org)
URLリンク(temp.zope-nippon.org)
URLリンク(temp.zope-nippon.org)
URLリンク(temp.zope-nippon.org)
URLリンク(temp.zope-nippon.org)
URLリンク(temp.zope-nippon.org)
20:警察の方へ、2ch運営に個人情報を書き込まれて困っています。
04/12/12 13:55:00 jCBNOk8O
机龍之介とは、あの有名なマルチまがい商法の
鈴木
公一
という、計画倒産マルチ詐欺を働いている香具師か。
君ははシアターグループとは関係あるのか?
21:警察の方へ、2ch運営に個人情報を書き込まれて困っています。
04/12/12 13:56:16 jCBNOk8O
2ちゃんねるプロ固定、鈴木・公一の悪質商法
信頼獲得実践工房の計画倒産、投資金の持ち逃げ計画爆弾発言
机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. :04/09/06 22:29 ID:1Cph9ca9
>>39 あなたは、ずいぶん痛い人だね。ネットとか操作できるのだから
馬鹿じゃないんだろうけど。あなたより頭が悪い人間でも、マルチの嘘は見抜ける。
100人いたら99人は見抜けるかとおもうよ。残りの一人だけ引っかかる。
この引っかかる。って人は馬鹿ではないんだろうけど、いわゆる世間では
「お人よし」って言われてる人だよ。資本主義ってのは、どんな理由にせよ
【金を握った】方が有利。このことをよく知ってれば・・・・世間は上手に生きてい
ける。
>騙そうと思っていろんな準備して、寸前にばれるのは、もっと馬鹿だということ(w
会社で言えば計画倒産だから、当然、一番美味しいとこで倒産させるのが
賢いやりかただよ。いわゆる短期勝負。投資して・・・寸前に倒産させれば、
投資した金はまるっきり自分のものになる。そこが資本主義だよ。
資本主義は投資によって成立つシステムだから。投資される側(資本家)は
優遇されるように最初からそういうシステムになっている。
つまり貴方が勘違いしてるのは、投資をする。ってことは貴方は
資本家側で、経営陣なんだよ。もし会社が倒産したら、文句を言える立場じゃない。
22:ぬゑぽ
04/12/12 13:57:34 1Is+9SJS
>>16 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1タン
はゐ?
をやぢ、逝きてたか。
23:名無しさん@3周年
04/12/12 13:58:54 jCBNOk8O
マルチ詐欺犯罪者、
2ちゃんねるオカルト板運営の高木泰ぞうの住所
東京都
目黒区
鷹番2-7-19-102
24:キチガイ犯罪マルチ集団・信頼獲得実践工房
04/12/12 14:00:38 jCBNOk8O
マルチ詐欺犯罪者
シアターグループ
山崎・泰男の住所
東京都
多摩市
豊ヶ丘1-60-7
25:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
04/12/12 14:03:38 3HVUwg2q
>>21
般若。とは、生きる智慧のことだね。
生きる。とは、今ここにしかない。
「今に生きる」。とは、どういうことなんだらうか?
禅とは、これひとつなり!
鑑みなされましm(__)m
26:キチガイ犯罪マルチ集団・信頼獲得実践工房
04/12/12 14:04:19 jCBNOk8O
鈴木
公一が今度計画倒産
金の持ち逃げを計画中の
法人名KSプロデュース←逮捕してください。
URLリンク(www.google.com)
27:キチガイ犯罪マルチ集団・信頼獲得実践工房
04/12/12 14:05:36 jCBNOk8O
URLリンク(66.102.7.104)
28:ぬゑぽ
04/12/12 14:13:47 1Is+9SJS
し
ら
ん
29:キチガイ犯罪マルチ集団・信頼獲得実践工房
04/12/12 14:18:44 jCBNOk8O
URLリンク(f28.aaa.livedoor.jp)
30:キチガイ犯罪マルチ集団・信頼獲得実践工房
04/12/12 14:32:15 jCBNOk8O
URLリンク(www.soutokuhu.com)
31:名無しさん@3周年
04/12/15 14:48:59 zWmQGBOz
>机居士
ガンとの噂が流れておりますが、
お身体の具合、いかがでしょうか?
しばらくお見えになられていなったようなので、
ずいぶんと心配しておりました。
32:名無しさん@3周年
04/12/15 20:50:54 6uQ8tYXb
机さん、感謝します。
ありがとう、ございました。
おかげさまで、蜘蛛の糸で、がんじがらめに、絡め取っていただきました。
33:机龍之介 ◆8Z1PfzdK1.
04/12/16 17:52:52 WWROhIrR
>>31
>お身体の具合、いかがでしょうか?
私はビョーキではありません。
男たるもの、生活となれば仕事に執着するもんだ。
そういったことにやっと気がついたとき・・・
そこから(仕事)から離れたときに智慧が浮かぶ。
これこそが般若なんだろう。
そもそもが「禅的生活」などといふのはないのだが・・・
般若には、生きる智慧がイパイ、イパイあるんです。
この智慧を、現代の精神疾患患者に生かせたらいいのだが・・。
>>32
それはヨカタですね。ヨカタ、よかた。
34:名無しさん@3周年
04/12/16 21:30:34 gRNK6TMQ
>>33 さん
>>32
>それはヨカタですね。ヨカタ、よかた。
誘導スレの役割を、になってくれました。
おかげで、9章も、スムースな展開です。
ありがとうございました、<(_ _*)>ぺコリ
35:名無しさん@3周年
04/12/17 03:25:26 Hm0G3S3A
Live 2ch 実況 版
URLリンク(www.forest.impress.co.jp)
36:名無しさん@3周年
04/12/17 03:28:37 Hm0G3S3A
強力な検索機能を備えた“2ちゃんねる”ブラウザー
ギコナビ
URLリンク(www.forest.impress.co.jp)
37:名無しさん@3周年
04/12/17 03:31:45 Hm0G3S3A
Jane Doe Style
「OpenJane」を機能拡張した“2ちゃんねる”ブラウザー
URLリンク(www.forest.impress.co.jp)
38:無門関
04/12/17 22:59:43 Hm0G3S3A
第十六則 鐘声七条
和尚が言った。「この世は広く限りなく大きい。
それなのにどうして合図の鐘が鳴ったら袈裟を付けて出頭せねばならないのか」。
無門和尚の解説:禅を学ぶということは耳で聞いたり眼で見たりしたものに従うことを嫌うものだ。
何かを聞いて悟ったとか、何かを見て分かったといってもそれは普通のことである。
禅の僧は聞いたこと、見たことを越えてその上にある働きを見なければいけない。
では考えてみよ。音が耳に達するのか、耳が音を聞くのか。
たとえ音も静寂も共に超えた忘我の立場になったとしても、それをどう説明すればよいか。
耳で聞くというのではまだ判らないであろう。眼で聞いてこそ始めて観ることが出来るのだ。
無門和尚の解説の意味は、音も色も忘却するという心境になったとしても、音や色を自在に使いこなせなければいけない、ということでしょう。
すなわち、見えるもの、聞こえるものにどう対処するかは個人の自由です。
では何故禅の修行をする者が、禅堂の厳しいしきたりやきまりに従わねばならないのでしょうか。
きまりとか規定は何のためにあるでしょう。
39:無門関
04/12/17 23:00:26 Hm0G3S3A
禅には無門関のように公案を中心としたものの他に、座禅を重視してひたすら座るという宗派もあります。
この宗派では日常生活から禅堂の中の一挙手一投足まできまりが非常に厳しいです。
食事作法から各種の鐘や板木による合図の鳴らし方とタイミング、重ねた教本を運ぶ場合の腕の形や歩き方まで細かく規定され、それらに外れることなく厳密に従うことを要求されます。
これは茶道の細かい動作のきまりにも通じるものがあるようです。
禅寺の謹厳な環境、細かいしきたりやきまりに従った厳しい修行は一般社会に共通なものではなく禅の修行を専門に行う人々だけのものが多い。
ともすると世間からの隔離、外界からの逃避、自己の世界への没入と見られるかもしれません。
それは時間と空間と事象の全てを理解するための思考の場作りなのでしょう。
しかしいかに禅が座禅による煩悩からの解脱を説くといっても、国民全部、世界の人類全員が同じように座禅だけしているようになる事が目標ではないでしょう。
禅といえども実践があり実世界との接点があるはずです。托鉢に限らず、様々な外部からの支援協力なくして禅は成り立たないでしょう。
それを認識し感謝するだけでなく、現実の社会との交流を通じて全ての事象、心象を理解するべきだと思います。
ここで無門和尚が提唱することは、鐘が鳴ったら出ていかねばならないのではない、出ていくのだ、ということでしょう。
出ていきたくないということなら出ていかなくてもよいでしょう。それで自分としての本質が得られると思うならそれでもよいのです。
40:無門関
04/12/17 23:01:23 Hm0G3S3A
しかし果してそんな勝手なことで答が得られるでしょうか。まずは鐘が鳴ったら出てゆき、まず先人の残したものに従って修行をしてみることでしょう。
但しそれで終わりだと思ってはなりません。無心にしきたりに従っていることによって到達する本来の自分を見出すことが目的なのでしょう。
またいかに悟りを得たからといって全くしきたりを無視し、鐘がなっても知らん顔をしているというのは問題外でしょう。
意識によって無視することが出来る自分の髭とは異なり、鐘は伝達の意図を持つ外界からの積極的な働きかけです。
悟りを得て安心を得るということは外部世界からの働きかけを拒絶することではないでしょう。それらを正しく理解し、対応せねばなりません。
外界からの影響を絶ちきって自らの世界に閉じこもるというのは、禅の目指すところではないでしょう。
41:第十八則 洞山三斤
04/12/17 23:17:45 Hm0G3S3A
僧が聞いた。
「仏とは何か」和尚が答えた。「麻三斤」
無門和尚の解説:この和尚は蛤の禅を体得し、殻を開いて胎の底まで見せている。
では言ってみよ。
この和尚の提示したものは何なのか。
に詠って言う。
善悪の価値判断をする人は善悪の二元の価値しかない人だ。
仏とは何か、達磨がはるばるやってきた理由は何か、などという本質を問う質問に対し、禅の和尚達は様々に応えています。
糞掻きべらだ、と言ったり、いきなり顔をなぐった和尚もあります。
この無門関の中にも類似の一見奇妙な答がいくつか現れます。
解説書でも、必ずしも麻三斤でなくともよいとする解釈がほとんどです。
これを正しいとか否定するとか考えるものは自分自身が是非の判断のレベルに留まっているものだという無門和尚の解説は、麻三斤をとやかく言うものはだめだ、とも解釈されています。
しかし、私は敢えてその意味を解釈してみます。
これは、麻三斤というものをここにもたらしている全てのもの、全ての関連を示している、と解釈したいです。
種が生まれ、土壌に根をはって育ち、麻が実り、取り入れられて、そして計られて三斤というものになりますその全ての過程、事象の中に仏が宿ります。
42:第十八則 洞山三斤
04/12/17 23:18:56 Hm0G3S3A
私の小さいころは、お米の一粒ひとつぶにはお百姓さんの心が入っているのだよ、と言われました。
それを思えば粗末にはできないよ、と。
一本いっぽん手で植えられ、手で刈り取られ、千刃こきやとうみで籾を落とし、手で編み上げた俵に詰められた米には本当にそれを作り上げていく人々の努力が感じられました。
半ばが自動化された今でも、種から稲となり穂を実らせる自然の働きはそのままです。
麻の実もその命の繰り返しの中から生まれ、収穫という人間の働きを経て、三斤という目方を与えられます。
しかし、変わらないはずの自然の連鎖、大きな時の流れの中でほんの僅かずつ変化を積み重ねてきた自然界には今、これまでとは桁違いに大きな変化をもたらす人間の介入が始まっています。
最近の遺伝子組み替えの技術はまず植物から実用に供され、作物の中には虫が食用に出来なくなったものが産み出されています。
意図的に組み替えられたのではない自然の植物の中にも遺伝子変化がみられるようになったということです。
貴重な蝶の食草が影響を受け、滅亡の恐れがあるとも言われます。
それが遺伝子を組み替えられた作物とどのように関連しているのかはまだ不明ですが、人間が手を付け出した遺伝子操作の影響であることは間違いないようです。
それを考えると、もはや麻三斤と言って澄ましてはおられなくなっています。
今目前にある麻三斤は、自然界の大きな流れを示すものであると同時に、人間とも強く結びついたものでしょう。
今は育て収穫するだけでなく、本来あるべき姿にまで人間がかかわってきています。
43:第十八則 洞山三斤
04/12/17 23:19:34 Hm0G3S3A
前の二則にて無門和尚は、物事をただあるがままに受け流していてはいけない、また同じことに同じ反応をする決まりきった自動人形になってしまってはいけない、と諭してきました。
物事の本質とは、それが変化してゆく過程、自然界の全ての働きの中にあります。
麻三斤、とは、自然界の移り変わりゆく現象の本質、そしてそれに関わる人間の働き、それらの全てを理解し受け入れる大いなる心の働き、それが仏なのだ、と言っているものと思います。
それを可能にするのが禅の心であり、禅の道なのでしょう。
遺伝子組み替えに限らず、今後人間はもっともっと自然に関わってゆくでしょう。
やがては著名なSF画家の描く未来の地球のように、今見られるような「自然」は特別に保護された公園のような区域だけにしか見られなくなるでしょう。
その時代になっても麻三斤の公案は残るでしょう。
そしてその麻三斤は新しく変化し産み出されてゆく自然の連鎖を現すものとして、この公案に向かう者に感銘をもたらしてゆくものと思います。
44:第二十一則 雲門屎厥
04/12/17 23:32:01 Hm0G3S3A
僧が聞いた。「仏とは何ですか」 和尚が答えた。「乾いた糞かきへらだ」
無門和尚の解説:この和尚も言ったものだ。
家が貧しくて粗末な食事しか出せず、忙しくて原稿も作らなかったような答だ。糞べらなどを持ってきて門戸を支えている。仏法の興衰を見るようだ。
無門和尚は第十九則、第二十則の二則に亘って心のあり方を説き、再び第十八側の本質とは何か、という同じ問いに戻っています。
そして今度ははなはだ汚いものを示します。
乾屎厥とは禅の世界では一般的な言葉になっているようですが、解説書によりいろいろと解釈されている。
排便のあと尻をふくもので、竹で出来ていて使用後は脇に盛ってある砂に突き刺して清掃し、また使うというもの、木切れで作ったへらであり使い捨てだというもの。
または糞かきへらとするのは全くの誤りで、乾いた糞の棒そのものである、とするものなどがあります。
しかし無門和尚の解説の中では、これを以って禅の門を支える、という記述があり、糞の棒ではどうもしっくりしません。
ここでは糞かきへら、として考えます。
45:第二十一則 雲門屎厥
04/12/17 23:33:37 Hm0G3S3A
但し一貫しているのは、きたないもの、という解釈で、有名な小説の中では禅の小坊主が悪口として床屋の親方に「咄この乾屎厥」と憎まれ口をたたく場面があります。
禅の和尚は仏とは何かという質問に対し、あるときは麻三斤、あるいは糞かきへら、庭の柏の樹、など様々に答えています。
これは何でもよいので、その答で示されたものに囚われていると本当の所はわからない、とも言われます。
しかし、目の前にたまたまあったから麻三斤、きたないものでも本質は同じだから糞の棒、庭の木が目に入ったから柏の樹、ではちょっと浅薄な感じです。
それを題材にして考えよ、というからにはそこには何らかの意図があるはずでしょう。
ここでは何故無門和尚が二つの則を挟んで同じ設問を設け、最初は麻三斤、次は糞かきへらを持ってきているのかを考えてみましょう。
麻三斤では自然の中の連鎖とそれに関わる人間の営みを示していると解釈しました。その後の二則で無門和尚は本当の平常心とは何か、本当の行動とは何かを提示しました。
そしてまた本質の問題に戻って、糞かきへらです。
糞かきへらは人間の営みの自然の中の連鎖の最後に位置する排泄物を始末するものでしょう。糞となり、排出され、それを掻きとるへらがあります。
育てられ摘み取られ、計量された麻三斤を人間への入り口とすれば、糞かきへらはその出口でしょう。
ゆりかごから墓場までを人間の時間的広がりとすれば、麻三斤から糞かきへらまでは人間の自然界との関わりの広がりを示すものと考えられます。
46:第二十一則 雲門屎厥
04/12/17 23:34:26 Hm0G3S3A
それは大きいとも言えますし、たったそれだけ、という小さなものともとれます。
美人屁もすりゃ糞もする、という俗歌があります。悟ろうが悩もうが、人間としての営みは避けて通ることはできません。
れを始末するのが糞かきへらでしょう。それを面倒見るのが仏性であるとも解釈できるでしょう。
仏というものは人間の全てを理解し、糞まで扱っていただけるものだ、という意味だったのかもしれません。
しかし、ここでは無門和尚は、それを麻三斤と対比させ、自然の世界とその中の一つである人間とを示したのでしょう。
そしてそれらを大きく包む仏の世界、本質の世界を示唆しているのだと思います。
第七則から始まった物事の本質とそれに対する学びの姿勢を示す課題は、ここまでで一応区切りがついているものと考えられます。
日常の生活の中の生命の活動から説き、心のあり方、周囲の物事への対応、自然界の連鎖、心と活動、と説いて、最後に人間の生命体としての宿命に戻っています。
ここまでの則でこのテキストの主な内容は全て含まれていると言ってもよいと思います。
47:第二十三則 不思善悪
04/12/18 00:07:45 Scu+DHPS
南方に旅立った六祖を追って不満な弟子が追ってきた。
六祖はそれを見ると五祖から伝授された衣と鉢を石の上に投げ出して言った。
「この衣は禅の悟りの象徴である。力で争うものではない。持っていってもよい」 弟子はそれを持ち上げようとしたが山のように動かなかった。
弟子は恐れて、「私が来たのは仏法を求めてのことで、衣のためではありません。ご教示ください」と言った。
六祖は「善とか悪とかを思わないそのときの貴方の本来の自分とはどのようなものか」と問うた。
弟子はこれを聞くと悟って、全身に汗し、涙を流し、「今伺った秘法の他にまだ教えてくださらない極意はありませんか」と尋ねた。
六祖は「今貴方に説いたことは極意というものではない。
自分自身の本質に気付いてそれになりきることが出来ればそれでよいのだ」と言った。
弟子は「これまで五祖の下で修行しましたが自分の本質に気が付きませんでした。
これからは貴方が師匠です」と言うので、六祖は「それなら一緒に五祖を師としよう。自分自身をしっかり保持しなさい」と言った。
48:第二十三則 不思善悪
04/12/18 00:09:25 Scu+DHPS
無門和尚の解説:六祖は言った。
このことはせっぱ詰まった老婆心であり、果物の皮を剥き種をとって口の中へ入れてやり、ただ呑み込むだけにしたようなものだ。
六祖とは釈迦の六代目の弟子であり、五祖の認めにより上位の弟子を抜かして禅の本家の印である衣と鉢を伝授されました。
これを知った弟子達が追いかけていった、というのがこの状況だということです。
衣なら欲しければ持っていくがよい、と言われてそれだけを持ちかえるような弟子ではありませんでした。
弟子は五祖が認め、伝授した本質とは何かを熱心に求めました。これに対する六祖の答は非常に明快で親切なものです。
善や悪を思う、とは、理解し判断するレベルでしょう。私が無門関を勝手に解釈しているのもこのレベルの心の動きです。
これを読んでいる読者の方の心の動きも、言語に従った理解の世界です。
49:第二十三則 不思善悪
04/12/18 00:10:20 Scu+DHPS
ではその下にある本来の自分とは何でしょうか。
言語を理解し、過去の知識経験に照らして判断し、行動に移している心のレベルを現在のレベルとすれば、その下にはそれらを全て扱っている基本レベルがあるのでしょう。
心の捉え方として、大きい方へ、上の方へ、全てを包含する上の階梯へと広げていく方法と、内部へ、原因へ、基礎となるものへと深く突っ込んでゆく方法とがあります。
無門関の中ではその双方を取り上げています。この則では下へ下へと分析し、心の本質を捜すことを説いています。
現実の世界は人間を中心として、大小二つの方向へ広がっています。
小は原子分子素粒子から大は無量宇宙まで、その広がりは無限とも言える広がりです。
古来この広がりを言葉で表す方法として様々な単位が用いられてきました。
日本で古く用いられた桁取り単位は、大は億、兆、京から無量大数まで、小は分、厘、毛から清浄まであります。
その大きさには議論がありますが、無量大数、または大数で10の68乗または10の88乗、清浄で10の-21乗または10の-23乗です。
中国では10の8192乗というものもあり、人間の考えた単位は大きいものの方に広いようです。
一方実際の世界は、人間の寸法に近い1mを単位とすると、現在推定されているこの宇宙の理論的に観測可能な範囲の直径は10の26乗、小さい方の最小単位はプランク長さで10の-37乗です。
我々の認識している現実世界の広がりは、小さい方の側が広いのです。
もし素粒子の世界に立って人間の大きさを眺めると、人間は現在の宇宙の数億倍の大きさになってしまいます。
最近は宇宙の大きさを現在の観測可能な宇宙の外側まで含めて検討されるようになってきていますが、大きい方の広がりを想像することは我々人間にとって難しいことではないようです。
50:第二十七則 不是心仏
04/12/18 00:28:53 Scu+DHPS
和尚に僧が聞いた。「まだ人に説かれなかった法がありますか」 和尚は「ある」と答えた。
「それは何ですか」との僧の問に和尚は答えた。「心でもなく、仏でもなく、物でもない」
無門和尚の解説:この和尚はこの問を受けて、家財を全て持ち出さねばならなくなって、大いにうろたえてしまった。
これまでにいろいろなことが説かれてきたが、まだ説かれなかったもの、説くことができなかった法とは何か、との問いです。
心とは精神の働きであり、それは何らかの媒体の上で作動するソフトウェアでしょう。
物とはそれを支えるハードウェア、仏とはそれらを統合する法則、と考えることが出来ます。
仏とは何か、という問いは、ハード、ソフトを統合している本質の法則とは何かということでしょう。
それはある宗教では万能の神であり、真理であり、教義でしょう。
ここで提起されている仏でもない、ということは、その法則すらがこの世界に依存しているということ、これら全ての背景となっているものがある、ということでしょう。
これまで説かれなかった法などを求めるよりも、まずこれまでの教えをよく学べ、と無門和尚の指摘であると思います。
51:第二十七則 不是心仏
04/12/18 00:29:36 Scu+DHPS
物事の背景となっている舞台を、場、という言葉で表すことがあります。
運動場、会議場などという現実のものから、磁場、力場、ベクトル場など計算上のものもあり、ミクロの世界にはニュートン引力と全く異なる弱い核力、強い核力などの新しい力の作用が現れる場、また素粒子の位置を決定することが不可能になる量子効果が現れる場があります。
大きい方には、現在の宇宙を表す時空の場、ビッグバンの開始直後に現れたという空間自体が強い相互反発力を持ったインフラトン場、さらにビッグバン以前の時間も空間も物質もない、まだ確定した名前すらない場があります。
それぞれの場にはその場を支配する法則があり、それに従ってその場の中の物、または時間や空間が変動します。
禅の世界においても、心、仏、物は、全てひとつの「場」の中で動いています。
それは何でしょうか。その「場」はまだ禅の説法の中では説明されていないし、それを表す言葉も確立されていません。
この和尚が意味したのは時間と空間と物質が渾然となる物理的な意味での事物の根源の場ではないでしょう。
心がありそれを支える物質がありそれを統合する本質論があるが、それらを存在させ、成立させている場のことを言っていると思います。
この和尚は、そのような場を扱う法は「ある」と断言します。そしてそれはまだ誰も説いていないと言います。
これまで沢山の説法があり沢山の和尚達が検討結果を残してきました。
52:第二十七則 不是心仏
04/12/18 00:30:18 Scu+DHPS
しかしこの基本となる場については誰も説いていません。それが説かれなかったということは、それが説くことが出来なかったともとれますし、説く必要がなかったとも考えられます。
著名な作家の短編で、あんな恐ろしい話は誰も聞いたことがない、というのがあります。
その恐ろしさだけが伝わっていて誰もその話自体は聞いていない、というのが落ちですが、まだ誰も説いたことがない法は、誰かが説いてしまえば消失します。
最後まで残る誰も説いていない法とは、その存在の背景となっている場自体に関するものでしょう。そしてそれはその場の構成要因である心、物、法則を超えたところにあります。
人間は科学の世界では、その先はどうなってるの、その前はどうだったの、という背景の場についても質問を繰り返し、とうとうこの宇宙の始まる前、ビッグバン以前のまだ名前のついていない場にまで到達しました。
まだその新しい場の中での心、物、法則にあたる構成要因は解明されていません。きっと人間はそれらへの追及もあきらめないでしょう。
現実の世界での心を扱う禅においても、心、物、そして仏性を生み出している場、それを意識し理解しようとすることは意義あることかもしれません。しかし、それは誰も説いたことはありません。
説かれる必要がなかったのかもしれません。お前が敢えて繰り返し問うから答えたのだが、それにどう取り組むかは、お前自身が考えることだ、と和尚は言ったのでしょう。
無門和尚は詠って言います。この和尚は親切に教えすぎている。説明すればするだけ良いということではない。
説明することによって却って仏を貶めることになる、と。
いかに心の階梯を遡り、または駆け下って本質を求めても、現在の段階を否定していたのではその現在自体を見失ってしまうでしょう。
いたずらに答を現在の状態の外に求めてはならない、それなら却って考えない方がよい。説明しない方がよい。それがこれまでに説かれなかった理由でもあるのでしょう。
心、物、法則を超えたものを理解しようとするなら、それなりの覚悟と理解が必要です。
53:第二十八則 久響龍潭
04/12/18 01:13:18 Scu+DHPS
和尚が、教えを受けていた僧に「夜がふけたので帰ったらどうか」と言った。
僧は別れの挨拶をして外へでると真っ暗なので引き返し、「外は真っ暗です」と言った。
和尚は手燭に火を付けて渡した。僧が受け取ろうとしたときに和尚はふっと吹き消した。
僧はそこで悟って深く礼拝した。和尚は「お前は何を悟ったのだ」と聞いた。僧は「私は今日から世の大和尚達の言うことを疑いません」と答えた。
翌日、和尚は説法の際に言った。
「この中に、歯は剣のよう、口中は血のように赤く、棒を食らわせてもびくともしない男がいる。
これは将来我が道を打ち立てるであろう」と言った。
僧はそこで金剛教の解説書を取り出し、法堂の前で松明をかざして言った。
「いかに理論を極めようとそれは広大な空間に髪の毛を一本置いたようなものである。
肝腎な所を体得しても、一滴の水を大峡谷に投じたようなものである」 そして解説書を焼いて立ち去った。
しかし無門和尚は解説の後に更に詠って言います。 鼻孔を救ったが目をつぶしてしまった。
ひとつ悟らせたはいいが他の方をだめにしてしまった、と。
これは、人に会い人に学ぶことを教えたことはすばらしい、しかしそれによって自分で見て自分で判断するということが出来なくなってしまった。
ひょっとしたらこの僧は自分のものを突き詰めて独自の大きな悟りを得たかもしれない、その個性というものを潰してしまった、と解釈出来ます。
無門和尚によればこれも一つの茶番です。
54:第二十八則 久響龍潭
04/12/18 01:16:04 Scu+DHPS
無門和尚の解説:
この僧はまだ故郷にいるときは憤りに充ち、口で言うももどかしいほどであり、南方を訪れ教下別伝などどいう禅を滅ぼしてやろうとやってきた。
その途上、一人の婆さんに点心、軽食を買おうとした。
婆さんが問うた。「貴方の荷物の中は何の書物ですか」
僧は答えた。「金剛教の注釈書です」
婆さんが言った。「そのお経の中には、過去の心は得られない、現在の心は得られない、未来の心も得られないとありますが、貴方はどの心に点心されるのですか」
僧はこの問を受けて、口が棒のようになってしまった。
しかし僧はそのまま婆さんの言葉にまいってしまうことはなかった。
そこで婆さんに問うた。「このあたりにはどんな禅僧がおられますか」 婆さんが言った。「五里ほどの所に和尚さんがいます」
そこで僧はこの和尚を訪ね、完全に打ちのめされた。。 故郷を出たときに言っていたこととは大違いだ。
和尚も子供をかわいがるあまり、その醜さに気付いていない。
僅かの火種を見て慌てて頭から水をかけたようなものだ。冷静に見ればこれも一場の茶番だ。
文字を否定し、言語による知識を否定し、解説書を否定して表現方法を全て否定してしまえば、誰にも認知されず、他の者にとっては存在しないと同様です。
それでよしとするもよし、またより多くの心への認識を目指して修行を務めるもよし、でしょう。
この解説書を焼いて立ち去った僧はその後偉大な和尚となりました。
55:第二十八則 久響龍潭
04/12/18 01:17:05 Scu+DHPS
第十三則で食事時間前に出て来て弟子にたしなめられ、誰からも素直に学ぶ姿勢を見せた和尚です。
自分なりに勉強を続け、自信を持ってやってきたこの僧は一人の婆さんの問いにも答えることができませんでした。
夜遅くまで指導を受けたものの、挨拶をして外へ出たこの僧はまだ全く自分の問題に対する回答が分からず、暗黒の状態、これから自分がたどる家路のように真っ暗で先が見えない状態だったのでしょう。
そこへ和尚が灯かりをぽっと灯してくれました。その灯かりを頼りに道を歩もうとして受け取ろうと思った瞬間にそれは吹き消され、また元の暗黒に突き戻されてしまいました。
この僧は和尚に一日中話を聞いていたが答えが分かりませんでした。
それはまだ自分という立場に囚われ、自分の意見に対する和尚の意見という対立の立場を脱しきれなかったためでしょう。
示された灯火も自分のものとしなければ、自分の目だけで見えるようにならなければ、吹き消されてしまうとまたもとの闇にもどってしまいます。
以後天下の和尚の言うことは疑わない、ということは、自分勝手に解釈しているだけでなく、他の和尚の言うことを信じ採用してゆく、自分のものにしてゆくということが不可欠であることを悟ったということでしょう。
これが幼児といえども学ぼう、老人にも教えようという、伝え伝わることを重視するこの和尚の信念の発端となりました。
自分だけで解釈した注釈書などは役に立たないということを悟りました。
自分一人でやっていることは大海の中の水一滴のようなものだ、と言って自分がそれまでに積み重ねてきた注釈書を焼き捨ててしまいました。
56:第三十則 即心即仏
04/12/18 01:24:02 Scu+DHPS
和尚は僧に「仏とは何ですか」と問われて、「心がそのまま仏である」と答えた。
無門和尚の解説:
もし直ちにこの和尚の言ったことが判ったなら、法衣を付け、仏の食事をし、仏の教えを説き、仏の行いを行う。
これすなわち仏である。
とはいっても、この和尚は多くの人を引き寄せて仏法の基準を誤らせてしまった。
仏という一字を口にしただけで三日間も口を漱ぐ人がいることを知っているのだろうか。
一人前の男なら、心がそのまま仏であるなどと聞けば耳を塞いで逃げてゆくだろう。
前則で示したように人間の意識を心と捉えれば、全ての事柄は心で意識されねばならず、心で意識されないものはその個人にとって存在せず、従って心がなければ仏も存在しません。
何かを理解するということは精神活動としての心の動きなしにはあり得ません。
その意味では仏も鬼も全て心です。心はそのまま仏にもなり得るし鬼にもなります。
真剣に禅に取り組んでおられる人達は、そのまま仏となる心が持ち得たなどということは決して考えられない究極の目標であり、仮にもそのようなことを言うことはないでしょう。
それは本質を捉えようとする心の最終的な目標としてのみ存在します。
57:第三十則 即心即仏
04/12/18 01:24:24 Scu+DHPS
無門和尚は、もしそんな心を持っているなら、袈裟を付けて禅を説ける達人になっているのだ、といいます。
この和尚は心が仏だなどどいって多くの人々を騙してしまった。
本当に禅に取り組んでいる人だったら、心が仏だなどと言ったら耳を塞いで逃げ出してしまうでしょう。
心が仏だ、ということは、そのような最終目標としての心を目指せということでしょう。
無門和尚は、前則で万物を認識しその存在意義を与えるものとしての心を提起し、心こそが物事の基本であることを示しました。
ここでは、その心がそのまま仏にも鬼にもなり得るということを示し、心とは一体何かということを今一度見詰めなおしてみよ、と言っているのだと思います。
私は、ここで言う仏と言ってよい心とは、今このように言葉で考えているレベルの脳内の活動の上にある言語を超えた思考、非言語思考をもたらす脳の働き、と考えたいです。
これについては後の第三十三則で述べます。
58:第三十二則 外道問仏
04/12/18 01:37:35 Scu+DHPS
釈迦に異教徒が聞いた。「喋ってもよいし喋らなくともよい」 釈迦は黙って座っていた。
異教徒は「私の迷いを払い、悟らせていただいた」と礼をして去った。
そこで弟子が「あの異教徒は何を悟ってあのように礼をして去ったのですか」と聞くと、釈迦は「駿馬が鞭を見ただけで走り出すようなものだ」と答えた。
59:第三十二則 外道問仏
04/12/18 01:41:35 Scu+DHPS
現代の解説書では、駿馬とは優れたものとし、鞭を見ただけで走り出すことを肯定し、悟ってしまえば弟子も異教徒も同じ、と悟った異教徒を高く評価するものが多いようです。
しかし私は、ここで提起されているのは、わかるということの個人によるレベルの差の問題と考えます。
この異教徒は釈迦の黙って座っていた態度に対して自分の理解を反映させて悟りました。
そこに産まれた悟りの状態は異教徒が自ずから得たものであり、釈迦の座っていた姿は触媒として働いたと考えられます。
釈迦からテレパシーのように以心伝心で異教徒へ新しい悟りが伝わったのではないでしょう。
優れた指導者というものはこの触媒の働きがすぐれています。
弟子の手をとり足をとって自分と同じ考え方に矯正するのではなく、弟子の中に存在するもの、生まれつつあるものを適切に育て、そして場合によっては指導している自分以上のものへと高めて行きます。
この異教徒は自分の中の最良のものを釈迦に相対することによって発現させることが出来ました。
一方、弟子の方はまだその準備が出来ていませんでした。機が熟していなかったとも言えます。
しかしいずれこの弟子も、釈迦の指導の下に大きく成長するときがくるのでしょう。
60:第三十二則 外道問仏
04/12/18 01:42:33 Scu+DHPS
よい馬が鞭の影を見ただけで走り出す、とは、馬の方に走る準備が出来ているということです。
いかに千里を駆ける名馬であろうと、まだ鞭を見たこともない子馬時代では目の前に鞭をかざしても走り出すことはないでしょう。
そこには走ってもらいたいという主の意思を理解する段階が必要です。
鞭の意味を知っている十分訓練された、走る条件の整っている馬と、産まれたばかりでまだ鞭の意味を知らない馬とでは、どちらが本当に早いのかは判りません。
鞭を見ただけで走り出す馬が、尻を叩かれ腹を蹴られなければ動かない馬より速いとも限りません。
この場合、釈迦の前で悟って礼を言って去った異教徒と、その内容について尋ねた弟子との間に優劣はありません。
ただ、異教徒はその準備が出来ており自分で自分なりの答を見つけた、というに過ぎないでしょう。このことを無門和尚は指摘しています。
悟りを焦ってはならない。また悟ったからといって安心してはならない。
それはこの礼を言って去った異教徒のようにただ自分のそのときの状態に対して答を得ただけなのかもしれません。
まだ悟れないからといってこの弟子を下に見てはならないでしょう。
禅ではそのために、ただ実参あれ、ただ座禅あれと強調します。
安易な答を求めてそれに満足することのないよう戒める。
それが否定形の多い禅の真髄でもあるのでしょう。
61:第三十五則 倩女離魂
04/12/18 02:11:30 Scu+DHPS
和尚が僧に聞いた。「魂と肉体が別々になっていた女があった。どちらが本質か」
無門和尚の解説:もしこの本質が分かれば、殻を出て殻に入るということ、旅館に泊まるようなものだということが分かるだろう。
しかしもし分らないのならば、一生懸命走り回ってはならない。突然天地が飛び散ってしまい、熱湯に落ちた蟹のように手足をもがくことになろう。
何も言われなかったなどと言うでないぞ。
これは古い物語の中の話が元になっています。ある美少女が親の用意した結婚でなく、好きな男と駆け落ちしました。
永らくの時を経て戻ると、実家にはその少女の肉体が意識のないまま寝ていたが、その肉体は起き出して、戻ってきた少女と一体になったということです。
62:第三十五則 倩女離魂
04/12/18 02:12:08 Scu+DHPS
この物語は一見怪談風ですが、現実に意識と肉体の分離が可能になる時代がくるかもしれません。
まだSFの段階ですが、人工知能が進めば、人間の意識をコンピュータの中に創り出すことが可能になるかもしれません。
更に進んで、コンピュータの中に自分の全ての意識要素を転写することにより、自分と全く同じ意識と非言語思考を含む全ての心の動きを持つ人格を創り出すことも可能になるでしょう。
その場合、意識を写し取られた肉体の方はコンピュータへ移された人格との干渉を避けるため、そのまま目覚めさせずに保存することになるかもしれません
第八則のところで、自分の意識をコンピュータに移植した科学者が、目覚めたときに自分がコンピュータ側にいることに気付き、得意そうに覗き込んでいる自分自身と対面するというSFを紹介しました。
この小説ではコンピュータ側に閉じ込められた自分の意識が発狂しそうになり、人間側の自分がスイッチを切り、安定回路を組み込んでから再起動することになっています。
このコンピュータ側の意識は人間でしょうか。人間であるとしたらどちらが自分の本質か。
写し取られた生身の人間が従来通り併存すればいいですが、コピー操作の過程で損傷を受け、覚醒不能になるか、または変化を受け、コンピュータ側に転写された方が以前の自分に近いとしたらどうなるでしょう。
人間の頭脳からの転写ではなくても、新たに創出した人工知能をそっくり複製することも考えられます。
コピーされた当初は二つの人工知能は基本的に全く同じ反応を示すことでしょう。
63:第三十五則 倩女離魂
04/12/18 02:17:19 Scu+DHPS
しかしそれらを入れている二つのハードウェアに全く同じインプットを継続することは困難です。
微妙な揺らぎが偶発的な変化を産み出し、また因果に従うがそれをくらまさない変化を積み重ね、二つの意識は一卵性双生児の成長のように異なった道筋をたどり、異なった人格を産み出すことになるでしょう。
しかしここで和尚が問うのは、まだ精神同士のパラレルワールドの段階ではなく、肉体に縛られている自分と、肉体から離れた心としての自分はどちらが本質か、ということでしょう。
この和尚の時代には人工知能の認識はなかったでしょうが、心というものは何らかの方法で肉体から分離保存することが出来る。
または別個に考えることが出来るという予感はあったものと思われます。
それは不滅の魂、霊魂、仏性などと認識されてきましたが、現代の感覚で言えばハードウェアの肉体とソフトウェアの精神の差でしょう。
殻を出でて殻に入る、旅館に泊まるようなものだ、という無門和尚の解説は、移動しても本質はそのソフトにあり、ハードとしての殻ではない、と言っているのだと思います。
我思う故に我あり、とは、自分の存在はハードではなく、ソフトにこそ本質があるということを意味します。
「コンピュータ、ソフトなければただの箱」であり、人間の本質はそのソフトにあります。
64:第三十五則 倩女離魂
04/12/18 02:17:53 Scu+DHPS
これに従えば意識を取り戻すことが絶対にない人体は人間ではなく、意識を持ったコンピュータソフトは人間であるべきです。
コンピュータとは必ずしも無機的なものであるとはかぎりません。
バイオチップ、生体組織を活用した人工脳髄、または意識を持たないまま人間の生体構造を成長させ、後から人格を書き込むことの出来るクローンでもよいでしょう。
人間の特性を備えた人工頭脳を作成するための唯一の技術的課題は、現実の人間の脳の中で発達した意識や人格を構成するプログラムを転写または創生することができるかどうかです。
現実にロボットは歌を歌いダンスするだけでなく、数十人の顔を覚え、ある程度状況に対応した会話が出来るまでになっています。
技術的には人間と同程度の能力を持つハードウェアは製作可能であり、人間の頭脳の中の働きが解明できれば人間と同等の人工頭脳は実現するでしょう。
宗教的、または倫理的観点からこれを是としない動きは生ずるでしょうが、自分自身をも分析し解明したいという人間の知識欲は留まることがないでしょう。
無門和尚は意識が人間の肉体を離れて存在することの可能性を既に見通していたのでしょう。
禅はキリスト教と異なり、人間の本質の人工的創生も許容しているのかもしれません。
脳の活動能力を完全に失った人間の肉体は仮に心拍や呼吸が継続し、生殖能力を有していたとしても人間とはみなされません。
反対に肉体を失った精神、意識構造だけが存在したとするとそれは人間でしょう。
65:第三十五則 倩女離魂
04/12/18 02:18:37 Scu+DHPS
この少女の場合、実家で寝ていたのは人間ではなく、家出していた精神の方がその少女の本体でしょう。
精神がソフトウェアであるとすれば、精神の本質は、それを担うハードウェアは充分な性能と容量さえ持っていれば何であるかを問いません。
SFの世界では超意識体として宇宙の原子、素粒子や場の変動そのもの全てをハードウエアとして利用した不滅の意識体が登場します。
それは一般宗教での神に似た万能に近い存在として描かれています。
そこまで極端にならずとも、精神のデータ化さえ可能になれば、巨大なプログラムとしての精神活動を支えるハードウェアは人間の脳である必要はないでしょう。
の新しい入れ物は自然科学の発展の延長線上にあるのかもしれないし、この公案のような超自然現象の中にあるのかもしれません。
しかしいずれにしても本質は人間の肉体にあるのではなく、その心にあるのだ、と無門和尚は提言しているものと思います。
66:只官打坐
04/12/18 14:25:06 Scu+DHPS
禅とは,禅定三昧(ぜんじょうざんまい)の力によって,
一切の相対を超越した絶対界,
いわゆる父母未生以前の世界に打入(たにゅう)し,
本具の仏性・本来の面目を徹見し,
さらに悟後の修行によってこれを長養鍛練(ちょうようたんれん)し,
一切の言行云為(げんこううんい)みなそれの
おのずからな流露(りゅうろ)となることを目標とする行の宗教である.
いたずらに禅籍(ぜんせき)を読みあさるのは,
仏祖の涎唾(えんだ)をなめ,古人の悟りのかすをしゃぶって得たりとするものである.
初心の間は,禅籍など読む暇があったら,大いに坐るべしである.
咄(とつ・バカモン)!!
67:世尊陞座(せそんしんぞ)
04/12/18 14:34:12 Scu+DHPS
「従容録」第一則
「従容録(しょうようろく)」は「碧巌録(へきがんろく)」とともに、禅門の二大禅録です。
この両禅書は、それぞれ中国曹洞禅の法系と、臨済禅の法系において成立したことから、「従容録」は曹洞宗で重視され、「碧巌録」はおもに臨済宗で尊ばれています。
「従容録」の成り立ちは、万松行秀禅師が天童覚和尚《天童山・宏智正覚(わんししょうがく)》禅師の頌古百則を、従容庵において示衆・著語・評唱を加えたものが、この「従容録」です。
この両禅書は、それぞれ先人の頌古という禅文学を禅的に解釈したものですが、著作形式は類似しているものの禅風には違いがあります。
すなわち、臨済宗では参禅に公案を用いる、いわゆる看話禅(かんなぜん)の路をたどり、曹洞宗では黙照禅(もくしょうぜん)とも称される宏智正覚禅師の只管打坐の禅風を伝えるものとして「従容録」が重んぜられます。
宏智正覚禅師が頌古百則を選するにあたり、この本則を第一則とされたことは「従容録」の性格を知る上で重要な意味を持つのです。
すなわち、釈尊の法とは何かということと、釈尊の正法を継承するものであるということを示すものだからです。
「碧巌録」ではこの世尊陞座は九十二則にあげられています。
しかし、宏智正覚禅師は「法」とはいかなることかを釈尊から学ばしめるために第一則と第四則(世尊指地)の公案を示されました。
68:世尊陞座(せそんしんぞ)
04/12/18 14:38:44 Scu+DHPS
第一則 世尊陞座(せそんしんぞ)
【本則】 (原文は漢文です)
挙(こ)す。世尊、一日陞座す
文殊、白槌(びゃくつい)して云(いわ)く、諦観法王法(たいかんほうおうほう)、
法王法如是(ほうおうほうにょぜ)。世尊、便(すなわ)ち下座(あざ)す。
頌(じゅ)あり、頌は開口(かいく)の口頭(こうとう)に分布す。
【頌】
天童の覚和尚、頌に云(いわ)く、
一段の真風(しんぷう)見るや。綿々として化母機梭(けぼきさ)を理(おさ)む。
織り成す古錦春象(こきんしゅんしょう)含む。
東君(とうくん)の漏泄(ろせつ)奈何(いかん)ともするなし。
〔獅子吼、不尽(ししくふじん)〕
【本則大意】
公案(本則)を取り上げて大衆に示す。お釈迦様がある日説法の座に登り、一言も語らなかったが、弟子の文殊は、大衆に槌を打って知らせ、申し述べた。
よく注意し明らかに見ればお釈迦様の法(仏法)とは、まさしくこれこそがお釈迦様の教えであると告げて、この法座を終えた。
このように、真実の説法は説くことができないのであって、真理は言葉で言い表しえないものである。
この公案に頌(宗旨、解説、見解)あり、頌は法を説くもの(首座)に対して最初に問答をかける僧(弁事)の言葉でより広く知らしめよう。
「如是」とはいかなることでしょうか。「如の是」ということであります。
如」とは「不染汚(ふぜんな)」ということです。それでは「不染汚(ふぜんな)」とはいかなることでしょうか・・・。
道元禅師は「不貪染(ふとんぜん)は不染汚(ふぜんな)なり、不染汚というは平常心なり」(正法眼蔵神通の巻)とあります。
不貪染とは清浄の意で、貪染や染汚のないことをいいます。次々と心移りのないこと、常にかわらない心をいいます。
道元禅師の教えは、修行と証悟(さとり)は一つであり別々に考えてはいけないのです。
別々と考えるのことが染汚ということなのです。
太祖瑩山禅師は、高祖道元禅師の平常心を、平常の身構え心構えの根本として「平常心是道」と仰せられました。
69:世尊陞座(せそんしんぞ)
04/12/18 14:39:04 Scu+DHPS
【頌大意】
天童の覚和尚、頌に云わく。
一句の真理の風光、真実のありさまというのは、長く、絶えることのない百花繚乱というような自然のありさまこそが真理のあらわれである。
それこそがお釈迦様の無言の説法の意味するところである。春を司る神(釈尊)による現身説法(季節の移り変わり)そのものが真理である。
仏の説法は獅子のほえる声のごとく雄大で、その真理は絶対で不滅である。
言葉というものは大変便利なものではありますが、不完全なものでもあります。
例えば「つめたい」とか「暖かい」という感じはどう表現したらいいでしょう。
辞書で「冷たい」をしらべると「つめたし」とあり、「つめたし」をしらべると「ひややかである」とあります。
そこで「ひややか」をしらべると「ひえているさま、つめたいさま」となって堂々めぐりです。
しかし、文字や言語であらわすことができなくても、体験すればわかることです。
ですから禅では「冷暖自知(れいだんじち)」といって、冷たい暖かいは自ら感じ取らないとわからないものだと示すのです。
第一則では仏法とは何かを「法王法如是(ほうおうほうにょぜ)」と述べましたが、この「如是」の世界は「冷暖自知」のありようなのです。
法王とは釈尊のことで、法は教えのことです。
つまり仏法は如是(にょぜ)、このようである、かくのごとし、転じて、たとえようもないすばらしいものであると認める言葉ということになります。
この「如是の法」がわかれば問題は解決するのですが・・・
70:看話禅と公案の基礎知識
04/12/18 15:02:40 Scu+DHPS
小学館『仏教語大辞典』より
公案
①公文書。官の帳簿・書類の意。
②禅宗で、参禅者に出す課題。仏祖の言行のうち、修行者にとって意義深いものや、暗示に富むものを選んで課題としたもの。
転じて、自然現象の一切を仏法を示す課題と見る見方。
③十分に思いめぐらすこと。考え工夫すること。思案。考案。
④ものごとを似つかわしいように正しく書くこと、という約束事。
看話禅
《「看話」は話=公案を工夫する意》 一つの公案を工夫し、それを理解し終えた時は、また他の公案の工夫に移るというようにして、大悟に至ろうとする臨済宗の禅風をいう。
曹洞の禅風である黙照禅に対していわれた語で、梯子禅(はしごぜん)ともいう。
中国宋代、曹洞の宏智正覚が臨済の大慧宗杲を評したのに始まる。
(一三四頁)
71:看話禅と公案の基礎知識
04/12/18 15:06:45 Scu+DHPS
法蔵館『仏教学辞典』より
公案
禅宗で、さとりを開かせるために与える問題をいい、古来の祖師が示した言葉、動作など、宗要をあつめて参禅者に工夫させるもの。
公案とは公府の案牘(あんとく)即ち国家の法令の意で、仏祖がさとりをひらいて真理を顕し示した古則は、修行者にとって最も尊厳なものであるから公案という。
話(わ)、また話則ともいう。公案によって工夫する禅の方法を看話禅といい、黙照禅に対する。
また師匠が公案を言葉で示し与えるのを話頭公案という。
碧眼録・従容録(しょうようろく)は各一〇〇則、無門関には四八則を挙げ、景徳伝燈録などの五灯録のすべてを通じて約一七〇〇則あるといわれることから、一千七百則の公案と称される。
公案の唱出は中国唐代に始まるが、宋・元代になって盛行し、主に臨済系の禅僧が盛んに用いて、公案禅の禅風が起った。
とくに趙州無学の公案が重視され、わが国でもその影響を受けて現在に至る。
72:看話禅と公案の基礎知識
04/12/18 15:10:17 Scu+DHPS
4 宋代以降の禅
唐の武宗(八四〇~八四六在位)が行なった会昌の破仏は、大規模なものであったにもかかわらず、宜宗(八四六~八五九在位)が仏教復興を許すと、禅宗教団は以前にもまして盛んとなるに至った。
何れにも拠り所を拒否する思想をもっていた禅宗は、経典にさえ権威と根拠と伝統を認めなかった実践的な宗教運動であったが故に、復興することができたのである。
もともと禅宗は、個人の説法さえ記録をとどめることを拒否したし、教えの形骸化を戒めた。
しかし、集団を形成し、維持していくにつれて、指導原理が必要となり、教えが整理され、統合されてくるようになって、多くの禅文献があらわれた。
また、五代の戦乱を経て成立した宋が強固な国家統制で仏教を支配して行き、南宋になると、首都臨安府を中心とする五山制度を確立してますます仏教を統制するようになった。
このようにして、教団の内外からの制約によって、個を重んずる唐代禅から集団を重んずる宋代禅へと変化を余儀なくされ、寺院機能も国家への翼賛体制を担うことになり、禅思想にも大きな変化が生じるようになった。
宋代以降の禅についても、三つの型に分けて禅思想の特色を述べたい。
第一の型は、念仏禅である。中国の実践仏教を展開したものに浄土思想がある。
中国の浄土思想は、坐禅して仏を見る観想念仏の伝統をもっているので容易に禅と結びついたし、浄土を唯心に説く流れも存在した。
つまり、阿弥陀仏は外ならぬ己心のあらわれという主張と即心是仏を説く禅が結びついたのである。
さらに、根源の道に還ればすべての教えは一つであるという中国土着の思想は、一からあらゆる思想が派生するという考えをも許容するので、総合主義の仏教としての念仏禅が生まれた。
永明延寿(九〇四~九七五)が禅浄融合思想者として有名であるが、宋代雲門宗の人々や中峰明本(一二六三~一三二三)にも念仏と参禅の不二を説く思想が伝えられている。
明代以降は「念仏する者は是れ誰ぞ」という公案は大変な流行をみるし、儀礼の中にも混淆形態が多くなるのである。
73:看話禅と公案の基礎知識
04/12/18 15:10:59 Scu+DHPS
第二の型は、曹洞宗系の黙照禅である。唐代禅の主流は、無修無証を主張する。
修業の中にはからいを持ち込まないのである。
荷沢神会は、「衆生若し修あらば、即ち是れ妄心にして、解脱を得べからず」(『神会語録』)と言い、臨済義玄は、「ナンジ(人+尓)説け、何の法をか証し、何の道をか修せん。
ナンジが今の用処、什麼物(なにもの)をか欠少(かんしょう)し、何の処をか修補せん」(『臨済録』)と述べて、徹底した本来成仏を説くのである。
このように本源に還るならば、仏となんら異なるところのないという考えは、一方では坐という形態にもとらわれず日常生活に自由無礙の仏を見出す禅思想を生んだ。
が、一方では一切の作為をともなわない坐禅に仏の完結態を認める禅思想ともなった。
前者の流れは唐代の即心是仏禅であるが、この禅が用体験を重んじることによって、無意味な棒や喝の機関を多用する弊害を生んだ。
その弊害への批判をもちながら、仏教の伝統的な坐禅修行に完結態を認める後者の流れが生まれたのである。
この禅の流れの大成者は、宏智正覚(わんししょうがく)(一〇九一~一一五七)で、『宏智録』六冊の中の「坐禅箴」や「黙照銘」にその思想を見ることができる。
真実の修行者の為すべき行為は坐禅であって、その坐禅は無為でなければならないと説くのである。
宏智の銘の名より、その禅を黙照禅と呼ぶ。
宏智は曹洞宗に属しているし、日本の道元が宏智を高く評価しているところもあるので、この流れがストレートに日本の道元に伝わったかのごとく考えられるが、これは誤りである点は後述する。
74:看話禅と公案の基礎知識
04/12/18 15:12:25 Scu+DHPS
第三の型は、臨済宗系の看話禅であり、これを公案禅とも呼んでいる。この禅の大成者は、円悟克勤(えんごかつごん)下の大慧宗杲(だいえそうこう)(一〇八九~一一六三)である。
大慧の禅の特色は、その成立過程において明確になる。大慧は、唐代の禅と黙照禅を否定することによって看話禅を大成する。
大慧は、看話禅を始覚門と性格づける。始覚門とは、本覚門に対する考えであるが、本来的なさとりを原理的に認めながらも、実際には修行者を迷える者と自覚させ、その自覚を修行の出発点とする。
大慧は、当時の修行者たちが、現実心をそのまま本来心としてしまったことに大変な怒りを感じた。
また、黙照禅の流れの修行者たちが、ただ坐禅をするだけでよいとして、心証的なさとりを求めることを忘れていることを痛烈に批判した。
大慧は、このような現実心をそのまま本来心とする誤った修行者を見て、あえて始覚門に立って、本来成仏の確実な把握を意味した。
この場合の体験は、禅思想が説く本源に還るという体験であり、本来成仏の確実な把握を意味した。
これを見性体験として、その体験を得るのに効果をあげる公案による解決方法を導入した。
「大疑の下に必ず大悟あり」という大慧の語は、身体全体を迷いのかたまりとして、あらゆる意識や分別を払拭することによって、無意識の根柢から得られる直感の智慧を把握することを意味した。
中でも好まれた公案が、「趙州無字(じょうしゅうむじ)」と呼ばれるものである。
「無」の一字に精神を集中し、その徹底的な「無」字への精神集中を通して、瞬間的なさとりの光を見出すことを求めたのである。
この疑問の解決を精神的な集中より獲得するという方法は、大慧が指導しているうちにきわめて効果的であるという大慧自身の経験に基づく自信あるものであった。
このようにして生まれた方法は、その後の禅宗史上に爆発的に広まったのである。
相対的な迷いの現実心を、一度完全に自己否定することによって、その後に絶対的なさとりの本来心を獲得するという経過を体験することであった。
75:看話禅と公案の基礎知識
04/12/18 15:13:03 Scu+DHPS
このような体験主義を打ち出した看話禅は、その方法論に普遍性を持ち合わせていたので、その伝播は機械的な移植を可能にし、地域や人種や時間などの差別を超えて、大いに広まったのである。
始覚門にたった看話禅は、先に言うように本源に還れば一つであるという思想であるから、教禅一致や三教一致の思想を認めることになるし、明代以降に流行した念仏禅の理論をも許容することになった。
一方、宋代に流行した教外別伝思想も、あたかも教禅一致思想とは対立するかに見えるけれども、返本還源(へんぽんげんげん)思想に変わりはないので、看話禅の主張者から多く認められるに至った。
また、看話禅は、待悟禅(たいごぜん)の性格を強め、さとりの目的化と共に、坐禅修行を手段として、坐禅そのものの軽視化が促進された。
なお、中国禅は、朝鮮半島にも伝わった。
最初は、唐代禅が伝わったが、大慧禅を基盤とする普照国師知訥(一一五八~一二一〇)によって曹渓宗が開かれ、朝鮮仏教の伝統ある華厳宗と禅との融合による総合仏教が大成されて定着した。
76:看話禅と公案の基礎知識
04/12/18 15:13:24 Scu+DHPS
「二 日本の禅」より
道元は、中国禅の看話禅も黙照禅も継承しなかったし、日本の天台本覚法門も否定した。
道元のこの否定は、常に邪説としての外道批判となり、否定を通して生涯にわたって正法の宣揚に努めた。
道元の主張は正法にあるが故に、禅宗の枠を超え、自身を禅師に据えることなく伝法沙門と自負した。
しかし、この道元の批判は、その法孫の中で継承されたとは思われない。曹洞宗はもちろん禅宗という宗名さえ嫌った道元ではあったが、日本曹洞宗は対臨済宗として、道元没後より中国曹洞宗と限りなく接近していった。
そして教団的には、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)(一二六四~一三二五)の出現により大教団への基礎が固められていったのである。
77:名無しさん@3周年
04/12/19 21:00:49 v6ZDEtR8
座禅をすると度胸がつきますか? 小心は治りますか?
それとも、そういうことを目的に座禅する事は間違ってますか?
78:アジアン、テースト
04/12/20 12:48:25 v/IChyri
>>77 さん
ずばり、治ると思います。
度胸、小心、と言うのは、自己が勝手の後で付け足した性格ですから。
又逆に、場面にかかわらず、つねに強い主張を繰り替えるというのも、困りものですから。
それぞれが、いろんな課題を抱えながら、生きているので、その解決のために、坐禅をして、良いと思います。
是非、おすすめします。
79:アジアン、テースト
04/12/20 19:16:47 v/IChyri
CCleaner
不要な、空フォルダを削除してくれる。
クラップ、クリーナー
URLリンク(www.altech-ads.com)
80:アジアン、テースト
04/12/20 22:36:32 v/IChyri
■「Firefox」を“2ちゃんねる”ブラウザー化できる「bbs2chreader」 ---------
URLリンク(www.forest.impress.co.jp)
「Firefox」を“2ちゃんねる”ブラウザー化できる「bbs2chreader」v0.1.0が、19
日に公開された。「Firefox」上で動作するフリーソフトで、編集部にて試用したところWindows XP上の「Firefox 日本語版」v1.0で動作することを確認した。現在作者
のホームページからダウンロードできる。
「bbs2chreader」は、「Firefox」を“2ちゃんねる”ブラウザー化できるプラグイン。“サイドバー”部分に“2ちゃんねる”のカテゴリーである“板”をフォルダ
ツリー形式で表示し、選択した“板”の“スレッド”一覧をアクティブなタブ、または新規タブに表示する。もちろん、スレッド一覧はタブを利用して複数表示しておける。
スレッド本文は、スレッド一覧を表示していたタブ、または新規タブに表示される仕組みだ。
スレッド一覧では、書き込みの総数や未読数とともにスレッド名が新着順で表示され、スレッド一覧上部の検索欄を利用すれば、該当キーワードをタイトル名に含むスレッドを絞り込むことが可能。
またスレッド本文では、“ttp”から始まるURLが自動補完した状態で表示されるほか、“>>23”のような引用部分にマウスカーソルを合わせることで、引用元の内容をポップアップ表示することが可能。
さらに本文閲覧中は、本文右上に常時表示されている[書き込み]ボタンから、ウィザード形式でスレッドに発言を書き込める。そのほか、スレッド一覧を「Firefox」の“ライブブックマーク”として登録し、書き込みの新着数をRSSと同じ感覚で確認できる機能も搭載。
このプラグインを利用すれば、“2ちゃんねる”専用ブラウザーを別途起動することなく、「Firefox」のみで“2ちゃんねる”を快適に閲覧することができるだろう。
□bbs2chreader
URLリンク(bbs2ch.sourceforge.jp)
81:アジアン、テースト
04/12/20 22:39:30 v/IChyri
■「Firefox」を“2ちゃんねる”ブラウザー化できる「bbs2chreader」 ---------
URLリンク(www.forest.impress.co.jp)
「Firefox」を“2ちゃんねる”ブラウザー化できる「bbs2chreader」v0.1.0が、19
日に公開された。「Firefox」上で動作するフリーソフトで、編集部にて試用したところWindows XP上の「Firefox 日本語版」v1.0で動作することを確認した。現在作者のホームページからダウンロードできる。
「bbs2chreader」は、「Firefox」を“2ちゃんねる”ブラウザー化できるプラグイン。
“サイドバー”部分に“2ちゃんねる”のカテゴリーである“板”をフォルダツリー形式で表示し、選択した“板”の“スレッド”一覧をアクティブなタブ、または新規タブに表示する。
もちろん、スレッド一覧はタブを利用して複数表示しておける。
スレッド本文は、スレッド一覧を表示していたタブ、または新規タブに表示される仕組みだ。
スレッド一覧では、書き込みの総数や未読数とともにスレッド名が新着順で表示され、スレッド一覧上部の検索欄を利用すれば、該当キーワードをタイトル名に含むスレッドを絞り込むことが可能。
またスレッド本文では、“ttp”から始まるURLが自動補完した状態で表示されるほか、“>>23”のような引用部分にマウスカーソルを合わせることで、引用元の内容をポップアップ表示することが可能。
さらに本文閲覧中は、本文右上に常時表示されている[書き込み]ボタンから、ウィザード形式でスレッドに発言を書き込める。
そのほか、スレッド一覧を「Firefox」の“ライブブックマーク”として登録し、書き込みの新着数をRSSと同じ感覚で確認できる機能も搭載。
このプラグインを利用すれば、“2ちゃんねる”専用ブラウザーを別途起動することなく、「Firefox」のみで“2ちゃんねる”を快適に閲覧することができるだろう。
□bbs2chreader
URLリンク(bbs2ch.sourceforge.jp)
82:77
04/12/21 00:44:52 MZYh4zVO
>>78
レスありがとうございます。頑張って座ってみようと思います。
とにかく度胸がほしいです。
83:アジアン、テースト
04/12/21 00:54:42 d4NJcNMJ
>>82 さん
頑張ってください。。
84:(・ω・)
04/12/24 01:43:56 HkaFbsWP
>>38-76
転載は著作権法違反でつよ。
85:691F
04/12/25 21:52:24 AcRQ3Ly3
>>38-76
なんだ?このコピペは?
86:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/25 22:16:01 Sgdsdnsh
コピペするしか出来ないんだろう(笑)
87:ロック
04/12/25 22:42:32 izNl79dL
見性者の教養を身に付けてるんだろ。たぶん。
まさかとは思うが、コピペがばれてないと思ってたりして。
88:ロック
04/12/25 22:45:49 izNl79dL
>アジアン、テースト(あは)
>>77
> 座禅をすると度胸がつきますか? 小心は治りますか?
> それとも、そういうことを目的に座禅する事は間違ってますか?
>>78
> >>77 さん
> ずばり、治ると思います。
やったこともないのに、良くそんないい加減なことが言えるな。
89:ロック
04/12/25 22:52:02 izNl79dL
なんか昨日は盛り上がってたねぇ。(今朝か・・)
90:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/25 23:11:34 Sgdsdnsh
約一名『邪魔な馬鹿』がいたけどね…
91:アインシュタインは、一石
04/12/25 23:32:28 qZMqjZ6Z
悪いね~、岩丸さん、保守、点検・・・のつもりだよ。(笑)
92:ロック
04/12/25 23:37:32 izNl79dL
>>917
> 尤も、この『我の肥大化欲求』にはもう一つの理由がある。
> それは【真中心】が【闇】【虚無】だという事。
> それから目を逸らし逃げる為に【我】を肥大化させて隠す、というものだ。
>>923
> あえて校正すれば『我の肥大化欲求』ではなく
> 『過度の自己防衛本能』と言った方が適当だろうか。
> 「いま、ここ」から分断され、自然から切り離され、
> 否!
> 傷つくのを恐れ、「いま、ここ」から目を逸らし、自然から逃げ、
> 不確実な自己を確認&再確認するために『ある行動』に出る。
どちらも合っていると思うな。
それは、拠り所がない不安、安定しないという恐怖から動機がはじまっている。
その原因はいつも変わらぬ空虚さ、拠り所がない空虚さ、これが自己だと知らぬところにある。
もしくは、これに落ち着けないところにある。
93:ロック
04/12/25 23:44:21 izNl79dL
その約1名の「あはっ」「あははっ」というレスから察するに「あは」と同一人物だったりして。
94:アインシュタインは、一石
04/12/25 23:44:41 qZMqjZ6Z
>>92
わたしは、3者とも、何も語っていないと思う。語り得ていないと、思う。
一大事は、死、である。
もみじの葉の裏表の、生、と、死、である。
生と死に対して、対峙する。
他は、余事と思われ。
95:アインシュタインは、一石
04/12/25 23:47:00 qZMqjZ6Z
>>93
些末に、執着する事、無いよ。
96:ロック
04/12/25 23:47:18 izNl79dL
スマソ
>>93は>>90へのレス。
97:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/25 23:48:33 Sgdsdnsh
>>93 ロック
考えすぎ(笑)
あれは単なる『ミーハージプシー』だから。
あは程の知識さえないから。
>>94 あは
お前さんは黙ってろ!
この似非が!!
98:アインシュタインは、一石
04/12/25 23:50:05 qZMqjZ6Z
>>93
岩丸さん、あなたの一大事をこそ、語れ。
99:アインシュタインは、一石
04/12/25 23:53:34 qZMqjZ6Z
>>97
自分の尺度を固定させては、いけない。
学び合うこころが、無ければ、すべては、徒労。
素直なこころも、必要だよ。
100:ロック
04/12/25 23:57:29 izNl79dL
>>97
> 考えすぎ(笑)
ダジャレを言うのはダレジャー。
オレジャー。
>>94>>98
おまえさんの問題は自分で考えろや。
101:アインシュタインは、一石
04/12/26 00:02:43 14KZTVVr
>>100 岩丸さん
100,ゲット、オメデト(^_^)∠※PAN!。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★゜'・:*。
>おまえさんの問題は自分で考えろや。
岩丸さんの問題は、どうなってる?
102:名無しさん@3周年
04/12/26 00:08:00 T0Ymr3H6
>>101
あんたも進歩しない人だねぇ・・・
素直なこころとか言う割には人からの指摘や忠告はまるきり無視だもんなぁ(苦笑)
だから皆離れていくんだよ。
いい加減に気付きなさい
103:名無しさん@3周年
04/12/26 00:10:15 T0Ymr3H6
あ、そうそう。
>>99
>自分の尺度を固定させては、いけない。
>学び合うこころが、無ければ、すべては、徒労。
>素直なこころも、必要だよ。
これを自分に対するレスだと思ってよく考えなさい。
鏡を見るのは怖いですか?
104:アインシュタインは、一石
04/12/26 00:17:53 14KZTVVr
>>102
>>103
691F さん
違ってたら、ごめんなさい。
あなたの、説教たれ、は、あなたの子供さんからも、毛嫌いされてるでしょう?
何故自分自身を、他より、高位、または、優位、に位置してると思うのでしょうね。
ごめ、離席します。
105:ロック
04/12/26 00:27:43 83iKYOJu
>>94
うるさいから、ヒントをやろう
もみじの葉の裏表を問題としているのは誰だね。
生と死は、おまえさん風にいうと平等ではないのかね。
それなのに生が良くて死が良くないと言っているのは誰だね。
106:アインシュタインは、一石
04/12/26 01:14:12 14KZTVVr
>>105
ばたん♪Ю―(^▽^o) ただいまー♪
>もみじの葉の裏表を問題としているのは誰だね。
あなたも含めた、有情のもの
。
>生と死は、おまえさん風にいうと平等ではないのかね。
まさに、そのとおりです。
>それなのに生が良くて死が良くないと言っているのは誰だね。
そのような事、言ってませんよ。生が良くて、死が悪い、とは、言ってませんよ。また、生が悪くて、死が良い、とも言ってませんよ。生の中に死があると言っています。
803 名前:アッシュール[] 投稿日:04/12/24(金) 03:19:25 ID:9I+Lci2r
>>802
あなたも、わたしも、生と死の、中に、いる。死の魔王が平等に、我らを、とらえる。
107:691F
04/12/26 01:24:08 n4SYLqdN
またコテハン変えてるみたいね。
>>102-103はわしちゃうし。
頭に虫わいてるのか?
108:(・ω・)
04/12/26 01:34:48 wvUR5K7R
>>103
全く全く全く、そのとーーーーーーり。
109:691F
04/12/26 01:43:48 n4SYLqdN
>>98
>あなたの一大事をこそ、語れ。
こういうの↑ばっかり。
あはが語るとコピペばかり。
110:(・ω・)
04/12/26 01:54:09 wvUR5K7R
コピペにはうんざり。おまけに犯罪。
111:アインシュタインは、一石
04/12/26 02:06:29 14KZTVVr
>>109
> >>98
> >あなたの一大事をこそ、語れ。
> こういうの↑ばっかり。
では、禅スレの中で、こうゆうのばっかり、じゃないもの、691Fさんの、禅を語る内実を、お聞きしたいです。
112:691F
04/12/26 02:13:11 n4SYLqdN
>>111
内実?
内も外もあるか。
どぉぉぉぉ あほ
113:アインシュタインは、一石
04/12/26 02:18:29 14KZTVVr
>>112
罵倒は、何度も聞きました。
内も、外もない。
では、
外に有るもの、を、認める。
内に、あるものを認める。
これを、神と言っても良いし、ほとけと言っても良いのですが、ほとけは、内側にいますか?外側にいますか?
114:691F
04/12/26 02:24:48 n4SYLqdN
>>113
仏は仮の名前だ。
探す必要なんか無い。
内も外もあるか。
どぉぉぉぉ あほ
115:691F
04/12/26 02:26:07 n4SYLqdN
>>110
雲海、まだある?
116:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/26 02:27:27 0mpxGXeS
>>113 あは
>>112の慈愛に溢れた言葉を『罵倒』としか取れんオマーが阿呆(笑)
117:アインシュタインは、一石
04/12/26 02:29:02 14KZTVVr
>>114
内も、外もない。
では、外に有るもの、を、認める。内に、あるものを認める。これを、神と言っても良いし、ほとけと言っても良いのですが、ほとけは、内側にいますか?外側にいますか?
>仏は仮の名前だ。探す必要なんか無い。
では、仮の姿では、無いものとは?
118:アインシュタインは、一石
04/12/26 02:31:37 14KZTVVr
>>115
なぁ~んだ、
そば焼酎、雲海をのみたいだけだったのか。
そっかあ
119:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/26 02:33:41 0mpxGXeS
>>117 あは
『内も外も無い』と言われてんのに…
何で『内にいるか外にいるか?』とかループすんだよ(笑)
120:ロック
04/12/26 02:35:34 IJ98MW8C
>>117
>>114をよーく目を開いて見てみ。
内側と外側は平等ではないんか?ん?
内側と外側をどうやって分けるの。
121:アインシュタインは、一石
04/12/26 02:35:48 14KZTVVr
>>116
描かれた、言葉の表面の字面だけをみるのじゃなくて、レスを重ねて、学び合うという視点を、見ないと、いけない。
そこには、力量を調べるという事も、含まれてくるから、本音を聞く事になる。
122:691F
04/12/26 02:36:18 n4SYLqdN
>>117
もう脳のキャッシュメモリが限界らしいな。
【居残り補習】
探す必要なんか無い。
探す必要がどこにある?
探す必要が「どこ」にある?
探す必要がどこに「ある」?
探す「必要」がどこにある?
「探す」必要がどこにある?
「探す」「必要」が「どこ」に「ある」?
123:アインシュタインは、一石
04/12/26 02:37:15 14KZTVVr
>>120
その視点は、かちとりましたね、まさに、そのとおりです。
124:(・ω・)
04/12/26 02:37:58 wvUR5K7R
>>115
あとちょっと残ってるよ。
ただいま風邪のため禁酒中orz
125:691F
04/12/26 02:37:59 n4SYLqdN
>>118
雲海、飲んでもたし。
今日は剣菱。
126:アインシュタインは、一石
04/12/26 02:38:21 14KZTVVr
>>119
うちも、そとも、ない。
では、不十分、なんですよ。
だから、聞き直しているんですよ。
127:691F
04/12/26 02:40:38 n4SYLqdN
>>124
雲海+はちみつ+ショウガたっぷり推奨。
128:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/26 02:42:06 0mpxGXeS
>>126 あは
オマーが理解してないだけだろうが(笑)
私は勿論、ロックも(・ω・)も理解してるんだがね。
129:アインシュタインは、一石
04/12/26 02:45:01 14KZTVVr
>>122
【居残り補習】
↑
また、みずからを、たかみ に置きましたね。
たれるな!・・・説教をたれるな!・・・と、家では こどもさんからも、嫌われているのでしょうに。なかなか、なおりませんねぇ~
130:アインシュタインは、一石
04/12/26 02:46:12 14KZTVVr
>>128
そこを、きちっと、語ろうよ。
131:(・ω・)
04/12/26 02:46:13 wvUR5K7R
>>127
ありがと。
でもね昨晩、ウォッカ+ジンジャエール+おろしショウガ
ではじまって、いつのまにかウォッカストレートがとまらなくなり
今日は熱だしてしまいやしたのでね。。。OTZ
132:(・ω・)
04/12/26 02:48:43 wvUR5K7R
高み つっても日本語会話レベルでの話しじゃんw
133:691F
04/12/26 02:49:42 n4SYLqdN
>>129
おまえ、妄想癖もあるのか?
>>104でお漏らししたばっかりだろ?
134:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/26 02:50:49 0mpxGXeS
>>130 あは
語る以前の問題だ(笑)
『二元分別が必須たる言語』では語りきれんと何度も言っておろーがよ。
135:(・ω・)
04/12/26 02:50:52 wvUR5K7R
もしかしたら英語で会話したほうが近道だったりしてw
136:アインシュタインは、一石
04/12/26 02:53:22 14KZTVVr
>>131
ヴィタミンC を 1000ミリグラム、とってください、風邪や熱には、いいですよ。
簡単には、タケダのC1000を、のんでも、いいんでけど。
早めの手当が大事に至らないこつですから。
お大事に。
137:691F
04/12/26 02:57:47 n4SYLqdN
>>134
もし語っても、日本語不自由みたいやし理解せんやろ?
っちゅーか、なんか今日はみんな親切だな?
138:アインシュタインは、一石
04/12/26 02:59:05 14KZTVVr
>>134
では、文学は、どうでしょうか?
小説、詩、
短歌、俳句。
それらも、文字で構築された、世界ですよね。
語るべきものが、無ければ無理なんですが。 ←あまりの無理解さに、ちょっと、いつになく、攻撃的かな?
139:アインシュタインは、一石
04/12/26 03:01:03 14KZTVVr
すみません。今夜は、ここで、落ちます。
(^-^)/~ マタネッ
140:ロック
04/12/26 03:02:10 IJ98MW8C
>>130 aha
内と外のことだったら、
養老さんの「バカの壁」なんかがわかりやすいかも。
自身で確認しない限り本を読んだからといってどうなるわけでもないけれどね。
141:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/26 03:02:33 0mpxGXeS
>>138 あは
無理解なのはオマーじゃ(笑)
言語で全て語り切れると思っている時点で傲慢だ。
142:(・ω・)
04/12/26 03:02:48 wvUR5K7R
>>136
こりゃどうも。
みかん食ったからだいじょうぶだとおもお。
143:691F
04/12/26 03:17:34 n4SYLqdN
みんなグッタリ。
>>142
酒の飲みすぎにはビタミンB製剤も飲んどこか
144:ロック
04/12/26 03:19:03 IJ98MW8C
あらら、補習せずに行っちゃったよ。
>「探す」「必要」が「どこ」に「ある」?
なぜ「探す」のか
誰が「必要」としているのか
それは「どこ」にあるのか
それは「ある」とか「ない」とかの問題か
これらのキーワードをもって探しているのは誰なんだい。
よーく考えてみよう>あは
145:(・ω・)
04/12/26 03:22:45 wvUR5K7R
>>143
つまみはなるべく蛋白質をとるよーにしてるよん。
146:691F
04/12/26 03:26:11 n4SYLqdN
>>144
本当に夏休みごとに補習させられてたっぽいからなぁ。
国語とか。
147:691F
04/12/26 03:26:49 n4SYLqdN
>>145
今も飲んでるのか?!
148:(・ω・)
04/12/26 03:30:08 wvUR5K7R
>>147
飲んでないない。今日はお茶w
独り言。
誰からも上からものを言われたくない
そのくせ(だからこそ)
自分は上からものを言うのってただのナルシシズムじゃん。
149:(・ω・)
04/12/26 03:32:54 wvUR5K7R
つづき。
つまり禅より心理学の守備範囲かなーと思う。
独り言終わり。
150:691F氏じゃないんですけど。。(102)
04/12/26 03:52:17 T0Ymr3H6
なんつーか。。
第2章あたりからROMってるけど何にも変わってないのよね。実際。
相変わらず一方通行で「対話」になってない。
>あは
相手の言わんとすることを理解しようとしてますか?
>>104
>あなたの、説教たれ、は、あなたの子供さんからも、毛嫌いされてるでしょう?
>何故自分自身を、他より、高位、または、優位、に位置してると思うのでしょうね。
言葉のやり取り以前に自分の事何にもわかってないんでないの?
>>121
>描かれた、言葉の表面の字面だけをみるのじゃなくて、レスを重ねて、
>学び合うという視点を、見ないと、いけない。
>そこには、力量を調べるという事も、含まれてくるから、本音を聞く事になる。
あんたの付けたレスだ。
「何故自分自身を、他より、高位、または、優位、に位置してると思うのでしょうね。 」
最後に。。 痛い指摘を受け止められないようでは大成しませんぜ??
あんたは禅よりキリスト教のほうが向いてるんじゃねぇかと思えてきた・・・
昔やりあったどこぞの神父と同じだわ。 寝よ。
151:691F
04/12/26 04:26:44 n4SYLqdN
いまさら改めて言うのもナニですが、
禅って、まずは自分を客観視しようとする所から始まるし、
そのための坐禅であり、公案であるんだけど。
生来それが出来ない性質の「あは」が禅に出会ったことは
不幸なことかもしれない。
152:アインシュタインは、一石
04/12/26 14:41:32 14KZTVVr
>>150 102さん
イエスも好きで、聖書は、よく読み込んでいます。
イスラム教も、読み始めて長いです。
孔子も、禅的に、つまり、公案として、読んでいます。
よろしく、
2章からの名無しさんだとか、しっかり自己をお持ちと見ました。
わたしとは、同局なのか、対局なのか、立場は、分かりませんが、いづれにせよ、活発に会話を続けていきましょう。
確か、前にも、一度そのご意見、うかがったようですよね、思い出しました。
パイレーツの補欠募集とか、噂も出ていますから、是非応募してください、<・・・じょーく、です。(笑)
153:アインシュタインは、一石
04/12/26 14:51:27 14KZTVVr
>>151
何故だろ、2ちゃんねる用語の「おまえもなー」と言う言葉が、すぐ浮かんできて、困った。
この人は、自分自身を、振り返る事が出来ないで、その場の態勢のおもむく方向に身を置いて、自身の身の安全を保っているなーと、思える。
昔は、この手の人物は、日和見主義者、と言ってたなー。
「ひよるんじゃねーよ」 これ、常套句、(笑)
ここは、一斉に かみかみ、もぐもぐ だね。
154:アインシュタインは、一石
04/12/26 14:57:49 14KZTVVr
>>148
>>149
わたしは、おごり高ぶる者から、いかに憎まれても、良い。
わたしは、弱い人たちの喜ばれる者になれれば、それで、いい。
と、思っているものです。
普通に聞けば、何いってんだ、と思うだろうけどね。本音なんだ。
このへん、キリスト教的だね、102さん。(笑)
155:(・ω・)
04/12/26 16:12:35 wvUR5K7R
>>154
>わたしは、おごり高ぶる者から、いかに憎まれても、良い。
>わたしは、弱い人たちの喜ばれる者になれれば、それで、いい。
あはさんの物語ってずいぶんとヒロイックだね。
もしかして本気で救世主目指しちゃってる?
156:アインシュタインは、一石
04/12/26 16:29:39 14KZTVVr
>>155
(笑)、ごめん、ヒロイック、・・・
そんなつもりじゃないんだけど。
きもちは、そうだという事で、受け止めておいてね。
よかった、指摘してくれて、ありがとう
157:アインシュタインは、一石
04/12/26 16:31:27 14KZTVVr
>>156
>わたしは、おごり高ぶる者から、いかに憎まれても、良い。
>わたしは、弱い人たちの喜ばれる者になれれば、それで、いい。
↑
こういう気持ちでおます。
158:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/26 17:31:30 0mpxGXeS
>>あは
『死は怖い』発言に続き。
『優越願望』ですかい…
思い切り『似非』やんか。
159:ぬゑぽ
04/12/26 17:37:16 /RxSaH/O
あはタンはどうちて坐らないの?
160:アインシュタインは、一石
04/12/26 18:36:48 14KZTVVr
>>158
> >>あは
> 『死は怖い』発言に続き。
まなみさんが、見えられて、死がこわい、と言う話しをしようよと言うところで、終わってしまったよね。
わたしは、死が、こわい。
あなたは、どうなんですか?
> 『優越願望』ですかい…
これは、何を言ってるのかなー。
>わたしは、おごり高ぶる者から、いかに憎まれても、良い。
>わたしは、弱い人たちの喜ばれる者になれれば、それで、いい。
これは、本音の部分、です。
この事を言ってるとしたら、全く逆に、無理に、ねじ曲げてるとしか言いようがないけどねー。
> 思い切り『似非』やんか。
そうですか、ご意見でしょうね。
161:アインシュタインは、一石
04/12/26 18:40:02 14KZTVVr
>>159
わたしは、坐ったから、現在の地点にまで、たどり着いたわけではありません、と言う事をまず言っておきます。
あなたは、どちらかで、坐禅を組まれていますか?
162:ぬゑぽ
04/12/26 18:51:16 /RxSaH/O
これからも坐る気はないのでちゅか・・・・。
>>>わたしは、弱い人たちの喜ばれる者になれれば、それで、いい。
どんなふうに喜ばれたいのでちゅか?
163:アインシュタインは、一石
04/12/26 18:55:53 14KZTVVr
>>158
はるかさん
いろんな呼びかけにも、反応しなくなっていますね。
たとえば、ハルカ坊
坊と、呼ばれる年齢は、幼稚園児か、保育園児、だろう。
、ああ、かわいいから、そう呼ぶ事もあるだろうけど、男女に関わらず、下に見られているだけじゃないのだろうか?
上下を意識しないから、そんなの、気にしないと言えば、それはそれで良いのかもしれないが。
この、インターネットは、幼稚園児から、70歳代ぐらいまでの人と、チャットの方で、話した事が、ある。
いろんな人が、やって来ている。
まして、禅は、性差や、年齢差、地位の差なんか、無い。そういう場だよね。
わたしは、そういう気持ちで、話しかけている。
やゆ、したりするのは、どうも、許せないんだよね。
そういう事は、無いと思うけど、あなたが、幼稚園児であれ、70歳代のかたであれ、わたしは、同じように語りかけていくよ。
そういう姿勢で、望んでいますよ。
164:アインシュタインは、一石
04/12/26 19:00:39 14KZTVVr
>>162
いいえ、そんな事は、有りません。
良き師に、恵まれたいと思っています。
隻手の音声の公案で、一生、とおしたいので臨済宗のお寺を探しています。
臨済宗のお寺は、有るんで、おたずねしたら、どこかお出かけでしたので、年が明けたら、又、おたずねします。
今は。そこまで、報告できます。
165:ぬゑぽ
04/12/26 19:04:01 /RxSaH/O
それは楽しみでちゅね~。
よいレポ期待してまちゅよー。
166:アインシュタインは、一石
04/12/26 19:07:33 14KZTVVr
>>165
はい、楽しみです。
あなたは、どんな方ですか?
167:ぬゑぽ
04/12/26 19:08:18 /RxSaH/O
わたすは変なおじさんです。
168:アインシュタインは、一石
04/12/26 19:10:18 14KZTVVr
>>167
そうでしたか。
ここは、禅スレですが、何か、伝えたい事が、有りますか?
169:ぬゑぽ
04/12/26 19:12:07 /RxSaH/O
いいえ特に。
では今年はこれで落ちます。
良いお年を。
170:アインシュタインは、一石
04/12/26 19:14:20 14KZTVVr
>>169
いつでも、何か言いたい事が有れば、是非参加してくださいね。お待ちします。
ありがとうございます。あなたも、良いお年をお迎えください。
171:ロック
04/12/26 20:29:11 t7p1nmZZ
>>158
> 『優越願望』ですかい…
あーあ、言っちゃったよ。
自分より弱いやつ相手にお山の大将を気取りたいんだろうなぁ。
172:ロック
04/12/26 20:33:24 t7p1nmZZ
>>158
彼、自性が全く何にもわからないみたいだから、指摘しても理解できないだろうなぁ。
返って、ひがんでいるとしか思わないだろうなぁ。
173:855
04/12/26 20:35:44 eBZxhJQv
しばらくぶりで・・・。 あは君。
偽の人生と言うのか・・・・・
どうしようもないというのか・・・・。
君はあとの人生をこのまま過ごすのかね。
いい年してるんだろう?
・・・・溜息がでるよ。
174:名無しさん@3周年
04/12/26 21:22:14 98Yjosq8
スレリンク(venture板)l50
アンチネットワークシステムって、
鈴木、公一はもうからんでないのかなw
175:名無しさん@3周年
04/12/26 21:23:01 98Yjosq8
アンチネットワークビジネスシステムだったw
176:691F
04/12/26 23:00:16 RltsiFel
あは、自分の話になると日本語がわかりやすくなるねw
内容はアレなままだけど。
177:名無しさん@3周年
04/12/26 23:10:42 bFhMXJ7m
言葉での禅遊びの範疇を越えていないように思うが
178:691F
04/12/26 23:33:20 RltsiFel
>>177
>言葉での禅遊びの範疇を越えていない
それはここに書き込む全員(含・自分)に言えると思う。
言葉遊びにならないように要注意なのは言うまでもない。
とはいえ、各自の禅そのものは、ここにはない。
でも、書き込んでいる内容や、その行間を見れば分かると思う。
179:名無しさん@3周年
04/12/26 23:58:10 bFhMXJ7m
ずっとハルカのレスを見てきたんだが。
感想を一言。
おまえは何がしたいんだ?
似非がどうのこうの。
たしかにそれはおまえの意見だろうが、
だがおまえは本物なのか?
俺にはそうはとても思えん。
悪いけど。素直な感想。
180:名無しさん@3周年
04/12/27 00:02:21 bFhMXJ7m
どうしてかというと、
おまえにはわからないことが多すぎる。
かつて、俺にもおまえは似非だと言って
非難してきた。たしかに俺は似非だ。それは認めよう。
だが、同様におまえも似非だ。
何故か それはおまえは俺を見ることができなかったから。
覚者 本当に真実を知るものは
2chであっても俺の本性を見ることができるはず。
でもおまえはできなかった。
ようは、ここでのやりとりは冗談でしか無かったということだ。
181:名無しさん@3周年
04/12/27 00:05:54 aQHniiNZ
よって、
ハルカも似非
似非が似非とのたまってる
それが真実
182:レンマ ◆EOZgn84GbE
04/12/27 00:08:46 waXkF8XY
>ずっとハルカのレスを見てきたんだが。
人のことを気にするな。
183:名無しさん@3周年
04/12/27 00:11:35 aQHniiNZ
似非ほど似非を意識したがる
面白いよな。
人は自分が見たいものを見る。ハルカよ、
似非を見ているおまえは似非そのものだ。
184:名無しさん@3周年
04/12/27 00:15:07 aQHniiNZ
いや、このへんで少し叩いておくべきだろう
似非には似非なりの人生しかない。
そう非難してきたハルカ
似非よ
おまえはおまえが叩いてきた者の人生すら知らずに
それをしてきた。
それは刺激に対する習慣的な反応でしか無い。
そろそろその癖から抜け出したらどうかね?
もしくはそれができないほど癖に染まりきっているのかな?
185:(・ω・)
04/12/27 00:20:35 6WQvGRqf
>>184
似非と断定する根拠は?
186:(・ω・)
04/12/27 00:30:11 6WQvGRqf
>>156
つーことはさ、
あはさんが、おごり高ぶる者となってしまっても、
弱い人たちに喜ばれる者になれなくても、
ただそれでいいじゃん。
187:691F
04/12/27 00:30:45 NCCKDjbP
>>184
ついでに似非と本物の境界線も知りたい。
188:ロック
04/12/27 00:32:32 oxteg4t4
>>184
似非というならその理由を書かなきゃいかんな。
そうしないと、叩くことにはならん。
>>179
> だがおまえは本物なのか?
> 俺にはそうはとても思えん。
> 悪いけど。素直な感想。
似非だと思うだけでは、説得力がない。
>>180
> どうしてかというと、
> おまえにはわからないことが多すぎる。
理解できないから似非と言うには強引すぎるな。
> かつて、俺にもおまえは似非だと言って非難してきた。
> それは認めよう。 だが、同様におまえも似非だ。
結局、「俺を似非呼ばわりしたから、おまえも似非だ」ということを言いたかったんだな。
>>184
> いや、このへんで少し叩いておくべきだろう
「俺を似非呼ばわりしたから、叩いておこう」では説得力がない。
ところで、おまえさん誰だ?
似非と言われたのは、あは、マンゴだけだったと思うが、
もしカラスなら、たぶん似非の範囲外だから安心しる。
189:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 00:33:49 3LQUPoLn
(大爆笑)
『その人の生きてきた過去』だってぇ?
んなもの知ったこっちゃないし、知る気もない(笑)
というより、んな余分なもの必要無し(笑)
あー…笑った笑った。
190:691F
04/12/27 00:40:10 NCCKDjbP
何だったんだろう?
191:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 00:44:12 3LQUPoLn
さてねぇ(笑)
悔しかったんじゃないの?
192:691F
04/12/27 00:48:32 NCCKDjbP
おまえ悔しがらせるの得意だからなぁ‥‥
193:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 00:51:53 3LQUPoLn
はははは(笑)
言われて嫌なら、発言しなけりゃいーのにな…
194:691F
04/12/27 01:03:46 NCCKDjbP
あわわ。
ところでさ、おまえの言う「似非」の意味って
“悟ってないのに悟ったつもりの人”のこと?
いまいちよくわからんのだけど。
簡潔に説明してくれー
195:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 01:06:20 3LQUPoLn
>>ロック
いや。
『単、直』とかもいるし、過去にはもっといるよ…
『似非』呼ばわりした奴は(笑)
196:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 01:12:36 3LQUPoLn
>>691F
いんや。
簡潔に言うと…
『世間の価値観の延長上に【悟り】があると思ってる奴』
かな。
197:691F
04/12/27 01:15:45 NCCKDjbP
>>196
それは
「悟りは世間と共存できない」という意まで行くの?
198:(・ω・)
04/12/27 01:17:46 6WQvGRqf
>>196
その価値観って、
「得るためには努力し達成しなければならない」
と関係ある?
199:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 01:24:39 3LQUPoLn
>>691F
そこまでは行かんよ(笑)
ただね…
『悟ればきっと○○の問題が解決する!』
とかいう奴が多いんでね(笑)
『オイオイ、悟りは万能薬ちゃうぞ』と(笑)
さっきの文句付けてきた奴もそう。
『覚者にテメエ勝手な理想を押し付けんじゃないよ』と(笑)
200:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 01:31:36 3LQUPoLn
>>(・ω・)
そだね。
その手の『達成し続けていけば~』ってのが『世間の価値観』かな。
『悟り』は『努力して積み重ねれば何とかなる』ものじゃないっつーの(笑)
201:691F
04/12/27 01:34:42 NCCKDjbP
>>200
わっ、微妙な発言。
青スジ立てて怒りそうな坊主、寺にけっこういるぞ。
202:(・ω・)
04/12/27 01:35:23 6WQvGRqf
>>200
了解。
「すでに在るものだから得ることはできない」でもいい?
203:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 01:39:37 3LQUPoLn
>>691F
怒れ怒れ(笑)
今の形骸化した坊主にはウンザリだ。
>>(・ω・)
ん。
OKだよん♪
204:691F
04/12/27 01:44:19 NCCKDjbP
でも
>『悟り』は『努力して積み重ねれば何とかなる』ものじゃない
って字面だけ見ると、
あはがまた勘違いして心を強くしちゃいそうだなw
205:(・ω・)
04/12/27 01:48:11 6WQvGRqf
>>203
了解♪。
206:(・ω・)
04/12/27 01:49:33 6WQvGRqf
>>204
あはさんが、どうでるか楽しみだね。
207:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 01:55:16 3LQUPoLn
むぅー…
でもなぁ、アレはアレで事実だしなぁ。
本当は努力も大切なんだが。
『全ては徒労だ、無駄だった』
って知る為に(笑)
その為には『命賭けの工夫』が必要なんだけど。
208:(・ω・)
04/12/27 01:57:30 6WQvGRqf
もちろん努力を否定してるわけではないよね。
209:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 02:07:47 3LQUPoLn
>>(・ω・)
勿論、否定なんかしないよ。
つか…
『役には立たないけど努力は必須』なんだな。
此が『悟り』のパラドクスよ(笑)
210:ロック
04/12/27 02:12:25 h/g1Dih+
>>196
> >>691F
> いんや。
> 簡潔に言うと…
> 『世間の価値観の延長上に【悟り】があると思ってる奴』
> かな。
そうなの。自称見性したと言う割には、自性を知らないことかと思ったよ。
211:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 02:15:24 3LQUPoLn
>>ロック
そりゃ論外だ(笑)
もう、私が『似非』とか言う必要もないし(笑)
212:691F
04/12/27 02:16:50 NCCKDjbP
>>210
見性のタネ=迷いのカタチ、は人それぞれやしね。
簡潔に言おうとすると、初めに出てくる項目も人それぞれちゃうかな?
それは互いに拮抗しないと思うし。
213:ロック
04/12/27 02:23:51 h/g1Dih+
>>209
> >>(・ω・)
> 勿論、否定なんかしないよ。
> つか…
> 『役には立たないけど努力は必須』なんだな。
> 此が『悟り』のパラドクスよ(笑)
努力というより、「必要性」だな。
努力というのは「自身の願望をかなえるため、少し我慢をして、その見返りに望みのものをもらおう」
ということだから、自我の中で遊んでいるだけなんだよな。
しかし、「必要だから求めること」は意味が違う。
それも自我から出ているが、必要性は自我を超えるのだよ。
214:ロック
04/12/27 02:28:49 h/g1Dih+
それにだ、必要な人間には、努力などもってのほかだ。
なんにもしないというわけではない。
努力ではなく、必要だからやっていることなのだ。
215:ロック
04/12/27 02:30:36 h/g1Dih+
努力だったら、掴んだものをどうやって離せる?
必要だけが掴んだものを離すことができる。
216:ハルカ ◆0tZOcyVq86
04/12/27 02:35:04 3LQUPoLn
>>ロック
そうそう。
努力は役には立たないのさ。
でもね、書いたっしょ?
『無駄だったと知る為に努力は必要』
って。
これも事実なんよねぇ。
217:ロック
04/12/27 02:40:03 h/g1Dih+
>>216 ハルカ
> 『無駄だったと知る為に努力は必要』って。
> これも事実なんよねぇ。
そうだな。要は外から内へ(方便だよ)向くことだからね。
218:名無しさん@3周年
04/12/27 11:08:28 k6/vz4m9
◇◇◇お笑い曹洞宗大本山總持寺参禅会◇◇◇
URLリンク(www.sojiji.jp)
一般人が座禅する意味があるのかね。
曹洞宗大本山總持寺参禅会は金集めにしか見えんが。
注意...
禅寺はお釣りがないそうです。定額持参だそうです。
超過額は喜捨して欲しいというから禅寺は凄く傲慢。
219:アインシュタインは、ワンストーン
04/12/27 13:19:10 7PShnzk7
206 名前:(・ω・)[sage] 投稿日:04/12/27(月) 01:49:33 ID:6WQvGRqf
>>204
あはさんが、どうでるか楽しみだね。
ここを、サロンにしちゃだめだと思うよ。
新しい人が、何か言ってる、伝えようとしている。
まず、その事を、十分に聞かなければならないと思う。
評価するのは、20年後でも良いじゃないか。
直ちに、一撃を食らわさないと気が済まない むきの方には、ご辛抱をお願いしたい。
ゆっくり、ゆっくり、そして、ここでは、存分にお気持ちを述べていただく。
そして、いろんな立場の方が、気軽に考えを十分に述べられる雰囲気を作る、そういう事もこれからは、必要だと思う。
禅天魔とは言うけど、自分を小さな者、低いものと、横一線に並び立っているものとしなければならないと思う。
なーに、むずかしい事はない、他人の意見をとことん、聞くものであればいい。
人は、聞き手を捜して、右往左往、している者だから。
これからも、いろんな立場の人が、見えられると思う、どうぞ、親切に話を聞くものであって欲しい。