女子中学生が行方不明at LIFESALOON
女子中学生が行方不明 - 暇つぶし2ch375:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:38:15
ヤバイ。孔明ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
孔明ヤバイ。
まず扇。もう扇なんてもんじゃない。刃物。
扇とかいっても
「呉の大喬、小喬くらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ羽。スゲェ!なんか比べるもの無いの。司馬懿とか大喬、小喬とかを超越してる。超合金の羽。
しかもビーム出してるらしい。ヤバイよ、ビームだよ。
だって普通はビームとかでないじゃん。だって扇からビームでたら困るじゃん。夏候惇が片目失わないまま死んだりしたら困るっしょ。
片目失って、「父母から授かった大切な物」とか言ってた時はかっこよかったのに、一生両目のまま孟徳とか言ったら泣くっしょ。
だから絶対目玉食う。話のわかるヤツだ。
けど孔明はヤバイ。そんなの気にしない。ビームだしまくり。夏候惇に10万の兵率いさせてぶつけても逆に追い討ちかけたくらいビームだす。ヤバすぎ。
ビームっていったけど、もしかしたらミサイルかもしんない。でもミサイルって事にすると
「じゃあ、そんな大量なミサイルどこに持ってんのよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あと超頭良い。漢の張良で言うと100人分。ヤバイ。頭良すぎ。反論する間もなく丸く治められる。ヤバイ。
それに超月英と仲良い。戦場とか平気で出てくる。夫婦で戦場って。どんな軍でもやらねぇよ、最近。
なんつっても孔明は采配が凄い。少ない兵力で勝つとか平気だし。
うちらなんて采配とかせいぜい家臣の能力にまかせるだけで上手く統一できないから本陣にとどまったり、鼓舞してみたり、座ってたりするのに、
孔明は全然平気。将を手足の如く操ってる。凄い。ヤバイ。
とにかく周喩、孔明のヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ孔明と周喩を仲良くさせようって魯粛とか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。
ヤバイ。孔明ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
孔明ヤバイ。
まず扇。もう扇なんてもんじゃない。刃物。
扇とかいっても
「呉の大喬、小喬くらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ羽。スゲェ!なんか比べるもの無いの。司馬懿とか大喬、小喬とかを超越してる。超合金の羽。
しかもビーム出してるらしい。ヤバイよ、ビームだよ。
だって普通はビームとかでないじゃん。だって扇からビームでたら困るじゃん。夏候惇が片目失わないまま死んだりしたら困るっしょ。
片目失って、「父母から授かった大切な物」とか言ってた時はかっこよかったのに、一生両目のまま孟徳とか言ったら泣くっしょ。
だから絶対目玉食う。話のわかるヤツだ。
けど孔明はヤバイ。そんなの気にしない。ビームだしまくり。夏候惇に10万の兵率いさせてぶつけても逆に追い討ちかけたくらいビームだす。ヤバすぎ。
ビームっていったけど、もしかしたらミサイルかもしんない。でもミサイルって事にすると
「じゃあ、そんな大量なミサイルどこに持ってんのよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あと超頭良い。漢の張良で言うと100人分。ヤバイ。頭良すぎ。反論する間もなく丸く治められる。ヤバイ。
それに超月英と仲良い。戦場とか平気で出てくる。夫婦で戦場って。どんな軍でもやらねぇよ、最近。
なんつっても孔明は采配が凄い。少ない兵力で勝つとか平気だし。
うちらなんて采配とかせいぜい家臣の能力にまかせるだけで上手く統一できないから本陣にとどまったり、鼓舞してみたり、座ってたりするのに、
孔明は全然平気。将を手足の如く操ってる。凄い。ヤバイ。
とにかく周喩、孔明のヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ孔明と周喩を仲良くさせようって魯粛とか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。

376:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:38:49
「優秀な人材」


ある日、訪英したブッシュ大統領は
サッチャー元首相と会談をすることになった。

「マダムサッチャー。
 あなたの成功の秘密を是非ともお伺いしたいですな。 」
「あら。それは、優秀な人材を集めることかしら。 」
「もっともですな。だがしかし、
 どうやって優秀かどうかを見分けるかが難しいではありませんか? 」
「簡単な事よ。やってみるわ。」

サッチャーは、そういうとブレア首相に電話をかけ始めた。

「もしもし。トニー?ちょっと質問に答えてもらえるかしら? 」
「おやすいご用で。マダム。」
「あなたのお父上とお母上から生まれた子供で,
 あなたの兄弟でも姉妹でもない人は誰? 」
「はっはっは それは私です 」

---

ホワイトハウスに戻ったブッシュは
早速ラムズフェルド国防長官を呼び出し同じ質問をしてみた。
「優秀な人材」


ある日、訪英したブッシュ大統領は
サッチャー元首相と会談をすることになった。

「マダムサッチャー。
 あなたの成功の秘密を是非ともお伺いしたいですな。 」
「あら。それは、優秀な人材を集めることかしら。 」
「もっともですな。だがしかし、
 どうやって優秀かどうかを見分けるかが難しいではありませんか? 」
「簡単な事よ。やってみるわ。」

サッチャーは、そういうとブレア首相に電話をかけ始めた。

「もしもし。トニー?ちょっと質問に答えてもらえるかしら? 」
「おやすいご用で。マダム。」
「あなたのお父上とお母上から生まれた子供で,
 あなたの兄弟でも姉妹でもない人は誰? 」
「はっはっは それは私です 」

---

ホワイトハウスに戻ったブッシュは
早速ラムズフェルド国防長官を呼び出し同じ質問をしてみた。


377:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:38:49
『欲求と不安』

人間が活き活きとした充実を感じられるのは、自分の素直な欲求にもとづいて行動しているときです。
しかし、欲求は、うまくコントロールしなければ、ともすれば自分でも手に負えないほどに肥大化してしまうものです。
節操もなくむさぼろうとする心が、かえって自分を貧しくしてしまいます。

暇なとき、仲のよい友人や恋人とメールのやりとりをするのは、楽しいことです。
しかし、「メールを送ったのになかなか返事がこない」「長いメールを送ったのに返事が短かった」などと腹を立ててしまっては、いったい何のためのメールか判りません。

そもそもメールとは、わざわざ会ったり電話したりして話すまでもない用件を伝えるための補助的な連絡手段にすぎません。
メールの返事がこないからといって腹を立てたり、不安になったりするのは、ふだんの相手との相互理解が足りないからです。
自分は相手を理解しようともせず、メールという安直な手段で相手に自分の気持ちを察することを求めても仕方がないのです。

378:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:39:22
「君の父上と母上から生まれた子供で,
 君の兄弟でも姉妹でもない人は誰かな? 」

すると、ラムズフェルドは急にしどろもどろになり、
緊急事案があるといって席を外した。
席を外したラムズフェルドは
頭のいいパウエル国務長官を見つけ聞いてみた。


「君の父上と母上から生まれた子供で,
 君の兄弟でも姉妹でもない人は誰? 」

パウエルは、こう即答した。

「それは私だよ。 」

大統領執務室に戻るやいなや、ラムズフェルドはこう言った。

「やあラムズフェルド君。」
「大統領。先程の質問の件なんですが、それはパウエル国務長官ですな。 」

ブッシュはその回答に落胆した。

「おまえみたいなバカがオレのブレインなのかよ!!!!
 こんなこともわかんねぇのかよ!」

ブッシュは得意げに答えを言った。

「答えはトニー・ブレアだよ」
「君の父上と母上から生まれた子供で,
 君の兄弟でも姉妹でもない人は誰かな? 」

すると、ラムズフェルドは急にしどろもどろになり、
緊急事案があるといって席を外した。
席を外したラムズフェルドは
頭のいいパウエル国務長官を見つけ聞いてみた。


「君の父上と母上から生まれた子供で,
 君の兄弟でも姉妹でもない人は誰? 」

パウエルは、こう即答した。

「それは私だよ。 」

大統領執務室に戻るやいなや、ラムズフェルドはこう言った。

「やあラムズフェルド君。」
「大統領。先程の質問の件なんですが、それはパウエル国務長官ですな。 」

ブッシュはその回答に落胆した。

「おまえみたいなバカがオレのブレインなのかよ!!!!
 こんなこともわかんねぇのかよ!」

ブッシュは得意げに答えを言った。

「答えはトニー・ブレアだよ」


379:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:39:30
『欲求と不安』

人間が活き活きとした充実を感じられるのは、自分の素直な欲求にもとづいて行動しているときです。
しかし、欲求は、うまくコントロールしなければ、ともすれば自分でも手に負えないほどに肥大化してしまうものです。
節操もなくむさぼろうとする心が、かえって自分を貧しくしてしまいます。

暇なとき、仲のよい友人や恋人とメールのやりとりをするのは、楽しいことです。
しかし、「メールを送ったのになかなか返事がこない」「長いメールを送ったのに返事が短かった」などと腹を立ててしまっては、いったい何のためのメールか判りません。

そもそもメールとは、わざわざ会ったり電話したりして話すまでもない用件を伝えるための補助的な連絡手段にすぎません。
メールの返事がこないからといって腹を立てたり、不安になったりするのは、ふだんの相手との相互理解が足りないからです。
自分は相手を理解しようともせず、メールという安直な手段で相手に自分の気持ちを察することを求めても仕方がないのです。

380:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:39:54
付き合って2ヶ月の彼女に「今日親いないから」って家に呼ばれた。
まだ交わりをかわしてなかった俺は今日がその日だと思った。
彼女の家のあるマンションに着いて、大事なものを用意していないのに気付いた。
運よくマンションの一階に薬局が入ってた。
店主がおっさんだったので気楽にゴムを買えた。
レジでそのおっさんがニヤニヤしながら「兄ちゃん、いまからか?」と聞いてきた。
俺もにやつきながら「今日初H」と答えた。
おっさんは「がんばれよ」とか言って送り出してくれた。
彼女の家に着くなり「ごめんもうすぐ親が帰ってくる」と言われた。
今日はダメか・・と思ったが「とりあえず挨拶だけしていって」ということだったので彼女の親の帰宅を待った。
5分ほどで彼女の父親が帰ってきた。
下の薬局のおやじだった。

付き合って2ヶ月の彼女に「今日親いないから」って家に呼ばれた。
まだ交わりをかわしてなかった俺は今日がその日だと思った。
彼女の家のあるマンションに着いて、大事なものを用意していないのに気付いた。
運よくマンションの一階に薬局が入ってた。
店主がおっさんだったので気楽にゴムを買えた。
レジでそのおっさんがニヤニヤしながら「兄ちゃん、いまからか?」と聞いてきた。
俺もにやつきながら「今日初H」と答えた。
おっさんは「がんばれよ」とか言って送り出してくれた。
彼女の家に着くなり「ごめんもうすぐ親が帰ってくる」と言われた。
今日はダメか・・と思ったが「とりあえず挨拶だけしていって」ということだったので彼女の親の帰宅を待った。
5分ほどで彼女の父親が帰ってきた。
下の薬局のおやじだった。

付き合って2ヶ月の彼女に「今日親いないから」って家に呼ばれた。
まだ交わりをかわしてなかった俺は今日がその日だと思った。
彼女の家のあるマンションに着いて、大事なものを用意していないのに気付いた。
運よくマンションの一階に薬局が入ってた。
店主がおっさんだったので気楽にゴムを買えた。
レジでそのおっさんがニヤニヤしながら「兄ちゃん、いまからか?」と聞いてきた。
俺もにやつきながら「今日初H」と答えた。
おっさんは「がんばれよ」とか言って送り出してくれた。
彼女の家に着くなり「ごめんもうすぐ親が帰ってくる」と言われた。
今日はダメか・・と思ったが「とりあえず挨拶だけしていって」ということだったので彼女の親の帰宅を待った。
5分ほどで彼女の父親が帰ってきた。
下の薬局のおやじだった。

付き合って2ヶ月の彼女に「今日親いないから」って家に呼ばれた。
まだ交わりをかわしてなかった俺は今日がその日だと思った。
彼女の家のあるマンションに着いて、大事なものを用意していないのに気付いた。
運よくマンションの一階に薬局が入ってた。
店主がおっさんだったので気楽にゴムを買えた。
レジでそのおっさんがニヤニヤしながら「兄ちゃん、いまからか?」と聞いてきた。
俺もにやつきながら「今日初H」と答えた。
おっさんは「がんばれよ」とか言って送り出してくれた。
彼女の家に着くなり「ごめんもうすぐ親が帰ってくる」と言われた。
今日はダメか・・と思ったが「とりあえず挨拶だけしていって」ということだったので彼女の親の帰宅を待った。
5分ほどで彼女の父親が帰ってきた。
下の薬局のおやじだった。


381:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:40:10
対人関係の苦手な人ほど、メールに依存し、他人との直接対話を避けてしまいがちです。
しかし、メールのやりとりで細かい心のうちを理解し合うことは、面と向かっての対話よりもはるかに難しいことです。
そして、メールでうまくコミュニケーションがとれないことから、ますます他人の気持ちが判らなくなり、直接向き合うことが怖くなるのです。

単に不安をごまかすため、見栄をはるための欲求は、たとえ満たされたとしても、ほんの一時的に気が紛れるにすぎません。
それどころか、いずれ欲求はひとり歩きし、目的を見失って欲求のための欲求となり、不安という形になって自分を支配するようになるのです。

かなわぬ欲求に苦しめられたときは、「いくらその欲求を満たす努力をしても、けっして問題は解決されないのだ」という事実を冷静に、はっきりと認めなくてはなりません。
「強くはなれなくても、賢くなろう」と心に決めれば、気分も楽になります。

欲求を抑えることは、「我慢する」ことではありません。
「我慢」とは、我に慢心すること、すなわち「私はもっと恵まれてしかるべき人間なのに」とおごり高ぶることです。
いくら「我慢」しても、欲求は抑えられないのです。

何かに行き詰まり、不安や怖れで心がいっぱいになったときには、必死に乗り越えようとするのではなく、「こだわらない」ことが重要です。
「この問題を解決しなければ、私は幸せになれない」とこだわっているうちは、視野を広くもつことができず、自分のことしか考えられなくなり、ますます事態を悪化させてしまうことが多いものです。
一度その問題から離れて、「どうでもいい」とバカらしく思えるまでに客観視してみることです。

といっても、問題と向き合うことから逃げるのではありません。
真剣に突きつめて考えれば、人生に起こるほとんどの問題は、「どうでもいい」という結論にたどり着くのです。
「どうでもいい」という表現に語弊があるならば、「ほかにもっと大切なことはたくさんある」といい換えてもよいでしょう。

自分を大切にすることと、自分に執着することは、まったく対極の行動です。
自分が傷つきたくない、自分が恥をかきたくない、自分が得をしたい、自分を認めてほしい……。そういう欲求への執着を捨てれば捨てるほど、不思議なことに、そんな自分に自信がもてるようになり、自分を大切にできるようになります。

自分のことばかり考えている人はわがままですが、自分を大切にしている人はけっしてわがままではありません。
自分を大切にしてはじめて、他人を愛し、自分を犠牲にして他人に尽くすこともできるのです。

382:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:40:54
欲求を抑えることは、「我慢する」ことではありません。
「我慢」とは、我に慢心すること、すなわち「私はもっと恵まれてしかるべき人間なのに」とおごり高ぶることです。
いくら「我慢」しても、欲求は抑えられないのです。

何かに行き詰まり、不安や怖れで心がいっぱいになったときには、必死に乗り越えようとするのではなく、「こだわらない」ことが重要です。
「この問題を解決しなければ、私は幸せになれない」とこだわっているうちは、視野を広くもつことができず、自分のことしか考えられなくなり、ますます事態を悪化させてしまうことが多いものです。
一度その問題から離れて、「どうでもいい」とバカらしく思えるまでに客観視してみることです。

といっても、問題と向き合うことから逃げるのではありません。
真剣に突きつめて考えれば、人生に起こるほとんどの問題は、「どうでもいい」という結論にたどり着くのです。
「どうでもいい」という表現に語弊があるならば、「ほかにもっと大切なことはたくさんある」といい換えてもよいでしょう。

自分を大切にすることと、自分に執着することは、まったく対極の行動です。
自分が傷つきたくない、自分が恥をかきたくない、自分が得をしたい、自分を認めてほしい……。そういう欲求への執着を捨てれば捨てるほど、不思議なことに、そんな自分に自信がもてるようになり、自分を大切にできるようになります。

自分のことばかり考えている人はわがままですが、自分を大切にしている人はけっしてわがままではありません。
自分を大切にしてはじめて、他人を愛し、自分を犠牲にして他人に尽くすこともできるのです。

383:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:41:28
欲求を抑えることは、「我慢する」ことではありません。
「我慢」とは、我に慢心すること、すなわち「私はもっと恵まれてしかるべき人間なのに」とおごり高ぶることです。
いくら「我慢」しても、欲求は抑えられないのです。

何かに行き詰まり、不安や怖れで心がいっぱいになったときには、必死に乗り越えようとするのではなく、「こだわらない」ことが重要です。
「この問題を解決しなければ、私は幸せになれない」とこだわっているうちは、視野を広くもつことができず、自分のことしか考えられなくなり、ますます事態を悪化させてしまうことが多いものです。
一度その問題から離れて、「どうでもいい」とバカらしく思えるまでに客観視してみることです。

といっても、問題と向き合うことから逃げるのではありません。
真剣に突きつめて考えれば、人生に起こるほとんどの問題は、「どうでもいい」という結論にたどり着くのです。
「どうでもいい」という表現に語弊があるならば、「ほかにもっと大切なことはたくさんある」といい換えてもよいでしょう。

自分を大切にすることと、自分に執着することは、まったく対極の行動です。
自分が傷つきたくない、自分が恥をかきたくない、自分が得をしたい、自分を認めてほしい……。そういう欲求への執着を捨てれば捨てるほど、不思議なことに、そんな自分に自信がもてるようになり、自分を大切にできるようになります。

自分のことばかり考えている人はわがままですが、自分を大切にしている人はけっしてわがままではありません。
自分を大切にしてはじめて、他人を愛し、自分を犠牲にして他人に尽くすこともできるのです。

384:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:42:02
『他人に分かってもらうこと』

私たちは、他人に自分を分かってほしいという欲求をもっています。
誰でも、他人から認めてもらえればうれしいし、否定されれば悔しく、悲しいのは当然です。
しかし、はじめから「分かってもらうこと」を求めてしまっては、自分を見失い、他人に振り回されるだけの人生を送ることになります。
対人関係の苦手な人は、「分かってもらうこと」を当然のように要求するから、失敗を怖れてしまうのではないでしょうか。

他人の目ばかりを気にしている人は、10人中9人が自分に賛同してくれても、1人に反対されれば自信を失ってしまいます。
まわりに精一杯気を遣っているつもりではいますが、その気遣いとは、本当の思いやりではなく、ただ自分が否定されることを怖れて予防線をはっているだけなのです。

もちろん、社会で生きていく上では、他人との関係は無視できません。他人の気持ちを察することも、自分の素直な気持ちをうったえることも重要です。
しかし、自分は他人の人生を生きているわけではないし、他人が自分の人生を生きてくれるわけでもありません。自分は自分、他人は他人というわきまえも必要です。

385:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:42:35
まず、他人に完全に分かってもらうことは不可能であるということを認めなければなりません。
「他人に分かってもらえなければ意味のないもの」にしがみついても、自分を窮屈にし、不自由にするだけです。
他人から認めてもらうことは、あくまでおまけのご褒美だと考えなければなりません。

それは、自分の欲求を抑えて我慢するということではなく、むしろ自分の内面を活かし、豊かにすることになるのです。
無理に自分の欲求を抑えても、「こんなに我慢している私の気持ちを分かってほしい」と思ってしまっては同じことです。
「たとえ他人に分かってもらえなくても、自分にとって意味があると信じられるもの」でなければ、他人に認めてもらう価値はないのです。

他人に対して腹が立ったとき、復讐してやりたい、思い知らせてやりたいなどと考える必要はありません。
それもまた、「自分の気持ちを分かってほしい」と相手に甘えていることになります。
悪い行いをした人は、すでに虚しさ、嫌悪感という大きな罰を受けています。それに較べれば、他人から与えられる罰などたかが知れています。
当人が罪悪感を自覚していなかったとしても、それほど図太く無神経な人は、知らぬ間にたくさんの敵をつくり、ろくな人生を送っていないはずです。
つまらない恨みで自分の心をけがすことは、自分にとって損でしかありません。

また、よい行いをした人は、たとえ他人に認めてもらえなくても、喜びや充実感という報酬をえています。
せっかくよい行いをしても、他人に認められることを求めてしまっては、自らその行為の価値を損ねることになります。
よい行い、悪い行いは、結果のいかんにかかわらず、行った時点ですでに報いを受けています。それで充分なのです。

世の中に絶対にたしかなものはありません。
自分の考えも時とともに変わっていくものです。他人の考えが自分と違うからといって気にすることはないのです。
自分と相手の生まれ育った環境が逆であったなら、考え方も逆になっていたでしょう。
自分も変わり、他人も変わり、自分と相手の関係も変わっていきます。
「私はこう思うのに」「あなたは昔はこうだったのに」などと他人をしばりつけることはできません。

まず自分の考えをはっきりさせて、他人の反応を確認しながら、柔軟に調和をたもつのがよいでしょう。
私たちは、少なくとも今、自分が正しいと信じる道に従って生きるしかないのです。

386:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:43:06
『感情に支配されず、感情を拒絶もせず』

自分を好きになれない人は、不快な感情に支配されてしまっています。
なぜ好きな人の前でもっと上手に話せないのだろう。
なぜ仕事や勉強にやる気がでないのだろう。
なぜあの人は、あんな嫌なものの言い方をするのだろう。
些細なことで頭がいっぱいになり、気にかけまいとすればするほど、そんな些細なことにこだわっている自分に嫌気がさし、ますます自己嫌悪が深まってしまうのです。

怒りや悲しみなどをガン細胞のように取りのぞくことはできません。
不快な感情も自分の心の一部なのです。それらを否定することは、自分自身を否定することにほかなりません。
誰でも多かれ少なかれ、日常の些細なことを気に病んで生きています。
気にすることが悪いのではなく、「気にすることを気にしてしまうこと」が問題なのです。

嫌なことがあったとき、悩むのは、人間としてまったく正常で健全な心理です。
少しでも人生をよいものにするために悩むのですから、悩むこともまた、生きる張り合いを私たちにもたらすものです。

自分を好きになれない人は、何でもものごとを中途半端にすませておくことのできない生真面目な人なのでしょう。
強くあれ。逃げるな。甘えるな。心の中の裁判官がつねに自分を厳しく監視しており、気が安まるときがないのです。

387:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:43:52
もちろん、自分の欠点を自覚し、反省し、改善するよう努力することは大切です。
しかし、理想は理想として、現在の自分をありのままに受け入れることも同じくらいに重要です。
がんばろうと思えばがんばればいいし、休みたいときには休めばいい。
どちらも大切な自分です。一方に偏りすぎてはいけません。

幸福な人も、不快な感情がわき上がることはあります。しかし、それをことさら深刻に受け取らないだけなのです。
人の命にかかわることでないかぎり、世の中には大騒ぎしなければならないことなどほとんどありません。

好きな人の前で緊張してうまく話せないとき。
他人に文句を言いたいのに言えないとき。
友人の心ないひと言で落ち込んでしまったとき。
「やれやれ、私の小心者ぶりも困ったもんだな」と笑い飛ばしてみましょう。

自分の欠点を笑い飛ばすことは、生真面目な性格の人には、自分と向き合うことから逃げている、無責任でいい加減な態度に思われるかもしれません。
しかし、自分のささいな欠点も許せない人も、「自分は本当はこんな弱い人間ではない」と、弱い自分を認めることから逃げているのです。
それはまた、「自分は完璧な人間として扱われるべきである」というごう慢さだともいえます。

悩みが解決されなければ幸せにはなれないと考えていては、一生、「将来のための準備期間」で終わってしまいます。
完璧を求めすぎるあまり、いつまでも充実感はえられず、中途半端に人生を終えるという皮肉な結果となるのです。
「ときには悲しんだり落ち込んだりすることもあるさ」と気楽に構えるのと、「なぜもっと前向きに考えられないのだろう」と暗く落ち込むのと、どちらが本当に前向きな生き方でしょうか。

自分を好きになれなくても、「自分を好きになれない自分」を責めてはいけません。
好き嫌いという感情は、努力してえられるものではなく、「自然にそうなるもの」です。
自分を好きになるための第一歩は、自分を責めない癖をつけることです。
他人のすることは止められませんが、自分のすることはやめられます。

「楽に生きる」とは、鈍感になることでも、自分をごまかすことでもありません。
感情に支配されず、感情を拒絶もせず、中庸を心がけるということです。
ストレスがたまったときは、「イライラさん、またお会いしましたね」とにこやかに自分の心に声をかけてみましょう。

「イライラさん」は、誰の心の中にも住んでいます。「イライラさん」は気むずかしいだだっ子ですので、攻撃すれば怒って暴れ出し、何十倍にも攻め返してきます。
下手に抑え込もうとせず、子供をあやすように手なずけるのが良策です。
不快な感情も自分の一部として一生付き合っていくのだ、と気楽にかまえていれば、「イライラさん」は、ちょっかいを出さず、おとなしくしてくれているものです。

388:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:44:50
『自分とどう向き合うか』

勉強のできる子。まじめに仕事をこなすがんばり屋さん。涙を見せない強い人。
他人から評価されたいために、必死でとりつくろってきたのに、自ら作り上げた自分のイメージが窮屈になって逃げ出したくなる、ということがあります。

見くだされれば悔しいし、過大評価されれば居心地が悪い。
他人の評価ばかりを気にしているかぎり、たとえ努力してよい評価をえられたとしても、今度は「誰も本当の私を理解してくれない」という不満が募るようになってしまいます。
他人からの評価は、もちろん、えられたほうがよいに決まっていますが、それは目的ではなく、結果にすぎません。

幸せな人とは、高慢に気取らず、卑屈に萎縮もせず、ありのままの自分でいることができ、それが適正に評価されている人のことです。
しかしそうはいっても、自分に自信がもてない人は、「ありのままの自分」でいること自体が不安なのですから、いったい何をどうすればよいのか判らないかもしれません。

自分は何も悪気はないのに、どうも皆から好かれていないようだ。自分が変わらなければいけないと思うが、心のどこかで「自分は悪くないのに」という思いもある。好かれるために自分を変えるというのは、他人に屈服するようで悔しい。
いったい自分のどこがいけないというのか。

389:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:46:12
ものごとを生真面目に考え込む人は、とかく答えを求めがちです。しかし、答えを求めると息苦しくなります。
人生はマークシートの試験ではありません。幸せや生きがいは、明確な答えを見つけることではなく、問題を解く姿勢の中にあるのです。

自信をもつために重要なことは、自分の人生に責任をもつということです。自分の人生に責任をもっているならば、答えが正しいかどうかなど気にすることはありません。
どういう答えを選ぶかではなく、どういう考えに従い、どういう気持ちで答えを選ぶかということに意味があります。
自分の意志で、自分の責任で選んだ答えは、すべて正解なのです。

「自分の人生に責任をもつ」とは、責めを負うということではありません。自分の人生は自分で決めるのだという意欲と権利意識を育てるということです。
「どうせ私が悪いんだ」と自分を責めてしまう人は、自分に責任をもっているのではなく、逆に逃げているのです。

先に自分を責めておけば、他人から傷つけられたときのつらさをごまかすことはできます。
しかし、そうすることによって、ますます自分が嫌いになってしまい、他人から批判される不安も大きくなる、という悪循環におちいることになります。
世界中の誰に傷つけられても、自分だけは自分を尊重しなければなりません。

自分のやり方が間違っていたのだとしても、それは単に「やり方」が間違っていただけであって、自分という人間そのものが悪いのではありません。
「誰が悪いのか」という犯人捜しはやめて、「自分はどうしたいのか、自分に何ができるのか」を考えるようにしましょう。

他人との付き合い方は、人それぞれに違います。
自分が選んだ答えが正しいかどうかは、誰も決めつけることはできません。人付き合いに絶対に正しいやり方などというものはないのですから。
他人から認められる人とは、「正しい答えを選んだ人」ではなく、「自分が選んだ答えに責任をもっている人」のことなのです。

390:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:46:19
俺は人類最強の男というコピーに引かれ、人類最強になるためにはどうすればよいのか考えた
人類最強なのだからどんなこともできる
手始めに全裸で姉の部屋にアンゲロ、アンゲロとつぶやきながら飛び込む
タンスをこじ開けブラジャーを腰に巻きパンティーを頭にかぶる
姉が呆然としながら見てくるが人類最強なので気にしない
姉のベッドに潜りこみ「幸せだから!幸せだから!」と絶叫、姉は無言で部屋から立ち去る
だがまだ最強には不十分、次は妹の部屋にムッシュムッシュと叫びながら飛び込む
妹は着がえをしている最中だったが人類最強なので無視
半裸で逆立ちをしながら
「俺に充電しろ!!俺に充電しろ!!」と絶叫
妹は大泣きで退散、確実に人類最強に近づく
開脚後転でトイレに飛び込み便座を外し首に掛ける
ゾンビの真似をしながら母の部屋に突撃、タンスを開けると一枚の写真発見
死んだ親父が俺を抱いている写真だった
俺は泣いた


391:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:46:46
『愛することと許すこと』

結婚した女性からよく聞かれる夫への不満に、次のようなものがあります。
「彼は結婚するまでは優しかったのに、結婚した途端、釣った魚に餌はやらないとばかりに、すげない態度をとるようになった」

もちろん、結婚する前と後で態度を180度変えるような男性は責められるべきですが、厳密に言えば、彼は変わったのではなく、本来の姿に戻っただけなのです。
もともと彼は愛情深い人間だったわけではなく、彼女の心を射止めたいために無理をして優しいふりをしていたにすぎないのです。

そして、そういう夫を非難している妻のほうも、自分も変わってしまったのだということに気づかなくてはなりません。
彼が自分を美しいと褒めてくれたり、洒落たレストランに連れて行ってくれたりしていたころは、自分も彼を愛していると言っていたのに、彼がそれら諸々のことをしてくれなくなった途端、手のひらを返して彼を非難するようになってしまったのです。

つまり彼女のほうも、彼という人間を愛していたのではなく、彼が自分を欲してくれることに気をよくしていただけなのです。
「~してくれるから好き」というのは、愛情ではなく、相手を所有し、利用したいという願望にすぎません。
「自分に気を遣ってくれるか」ということだけで男性を品定めしようとするから、表面的な優しさで女性に取り入ろうとするような男性しか寄ってこないのです。

392:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:48:13
男女間の愛情は、情熱によって始まりますが、情熱は、必ずいつか冷めるときがきます。
情熱が冷めることと愛情が冷めることは異なります。情熱は激しく、盲目的なものですが、愛情は穏やかに、冷静に育むものです。
情熱が冷めたときこそ、真の愛情が試されるのです。

自分が相手に利用されていただけなのだということに気づいて腹が立つのは、自分も相手を利用しようとしていたにすぎないからです。
相手が自分を愛していなかったという事実を認めることによって、本当は自分も相手を愛していたわけではないという心の内面をえぐり出されることが怖いのです。
他人に裏切られた、だまされたと嘆いている人は、その前に、自分で自分の心をあざむいていなかったかを見直さなければなりません。

人は、自分の心の中に抑圧した「みにくいもの」を他人の中に見るとき、強い恐怖と憎悪を感じます。
臆病な人間は、他人の臆病さを許すことができません。思いやりのない人ほど、他人の冷たさを非難します。
他人を通して自分のみにくい部分を自覚させられることが怖いので、ますます他人を攻撃することによってごまかそうとするのです。

他人が自分の機嫌をとってくれなければ気がすまない人は、
おそらく、子供のころ、親の気に入る行動をとらなければ自分は見捨てられるという恐怖に怯えていたのではないでしょうか。
そして大人になってからも、他人に愛されるためには相手の機嫌をとらなければならないと思い込んでしまっているのでしょう。

だから、他人にも同じように「私に愛されたければ、私の機嫌をとりなさい」と要求し、
相手が従おうとしなければ、ひどい屈辱を感じ、「機嫌をとらないのであれば、あなたを見捨てるぞ」という、
まさに自分が子供のころにもっとも怖れていた言葉を突きつけて脅そうとするのです。

他人を喜ばせることはよいことに違いありませんが、その動機が「見捨てられるのが怖いから」というのでは、互いのためになりません。
必死で他人の機嫌をとる人は、機嫌をとっているかぎりにおいては不安から逃れられますが、
心の深い部分では、相手に愛されているという実感をえられず、自分も相手を愛せないという罪悪感に苦しむことになってしまいます。
深い部分で自分を許していないから、他人も許すことができないのです。

他人を許せないと思うとき、まず、そういう自分自身を許さなくてはなりません。
欠点をもった人間同士、互いに許し、許され合いながら生きているのだということを認めれば、他人にも寛容になれるはずです。

欠点は、改められればそれに超したことはありませんが、
あまりに神経質に「一点の汚れもあってはならない」などと思い込んでは、いつまでも自分を受け入れることができず、また他人の欠点も許せなくなってしまいます。
自分の欠点をはっきりと認識し、それが悪い形で言動に表れないように注意しさえすればよいのです。
「欠点とともに生きていく」というくらいの余裕をもてば、欠点はそれほど大きな問題とはならないでしょう。

393:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:50:07
終わりか?

394:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:50:43
『弱いからこそ満たされる』

せっかく他人に親切にしてあげたのに、相手に一言の礼もいわれず、腹が立つことがあります。
他人から親切を受けたときに礼を言うのは、もちろん、人間として最低限のマナーです。しかし、マナーとは、自発的に行うものだからこそ意味があるのです。
相手に「礼を言え」と強要し、無理やり言わせて満足している人は、感謝というものの本当の意味が判っていないのです。

「礼を言わない人」への怒りを抑えるもっともよい方法は、自分が他人に礼を言うときには、心を込めて言うことです。
「感謝とは、自発的に、心を込めて行うもの」だということが判っていれば、他人に礼を言われるかどうかなどということは気にもならないはずです。

他人に対する不満は、実は、自分自身に向けられていることが多いものです。
自分の劣等感や罪悪感を認めることが苦しいから、問題を他人事にすり替えてごまかしているのです。

ある女性は、恋人がギャンブルでつくった借金を何度も肩代わりさせられ、つらい思いばかりさせられているのに、なかなか別れることができません。
彼女の言い分は、「彼は、私がいてあげないとダメだから」ということです。

しかし、もはやそれは愛情ではなく、優者が劣者を憐れむ同情にすぎません。
彼女は、彼に必要とされているのではなく、必要とされることを必要としているにすぎないのです。内心では、彼がいつまでもダメ人間であり続け、自分に頼ってくれることを願っているのです。
借金の肩代わりをすることが、よけいに彼をダメにし、自分自身もダメにしていることに気づかなければなりません。

395:ななしのいるせいかつ
06/04/14 02:50:49
『欲求と不安』

人間が活き活きとした充実を感じられるのは、自分の素直な欲求にもとづいて行動しているときです。
しかし、欲求は、うまくコントロールしなければ、ともすれば自分でも手に負えないほどに肥大化してしまうものです。
節操もなくむさぼろうとする心が、かえって自分を貧しくしてしまいます。

暇なとき、仲のよい友人や恋人とメールのやりとりをするのは、楽しいことです。
しかし、「メールを送ったのになかなか返事がこない」「長いメールを送ったのに返事が短かった」などと腹を立ててしまっては、いったい何のためのメールか判りません。

そもそもメールとは、わざわざ会ったり電話したりして話すまでもない用件を伝えるための補助的な連絡手段にすぎません。
メールの返事がこないからといって腹を立てたり、不安になったりするのは、ふだんの相手との相互理解が足りないからです。
自分は相手を理解しようともせず、メールという安直な手段で相手に自分の気持ちを察することを求めても仕方がないのです。


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