05/04/22 02:01:21 rZ/pSmsG
>>42 のフラッシュ
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を書き起こしてみました。
真実はどこに…
昭和19年
祖父はフィリピンにいました。
私と同じ23歳の祖父です。
フィリピンは日米の戦争に巻き込まれていました。
連日、海にはアメリカ艦隊の大群が押し寄せたそうです。
ミッドウェー海戦以降の日本軍は大東亜戦争初期の勢いは無く、
豊富な物資と強大な工業力をもつ米軍に徐々に追い詰められていきました。
そんな中昭和19年6月15日、
本土防衛の為の重要拠点であったサイパン島が米軍に攻略された。
これによりB29による本土爆撃が可能となった。
フィリピンは日本と南方の石油をつなぐ戦略的な要所であり、米軍が獲得に動いた。
フィリピンを守る第一航空艦隊の当時の戦力は零戦約40機しかなかった。
これだけの戦力では通常の作戦ではどうしようもないということは明らかと思われた。
大西中将は遂に
「零戦に250kg爆弾を抱かせて体当たりをやるほかに、
確実な攻撃法はないと思うがどんなものだろう?」
と体当たり攻撃を部下達に提案した。
この時、全員が両手を上げてこの作戦に賛成した。
当時の戦況、そして搭乗員の士気というのはそのようなものであった。
神風特別攻撃隊の編成