05/03/09 00:30:28 hY5VmzcL
あぁ、良かった
まだ誰も>>553にレスつけてない。
自分で書いといて何かシックリいってなかったんで
今少し座ってきたんですが、湧いた言葉で自己レスしよう
>そして今ここに常にどちらか選択している自分がいる
>太郎さんと語ったように仏を心に浮かべるとき仏の我がいる
>煩悩を浮かべるとき自(エゴ)の我がいる
>この自(エゴ)を切り離せたときの言葉では言い尽くせない我が何なのかは
言ってる傍から又分別してますね。
やはりマダマダ頭の中の理解、知解です。
どこかまだ自分の中には最低の自分と最高の自分があるという思い込みに囚われている
自我(エゴ)のトリックは思う以上に巧妙みたいですね。
そうではなくてもみじの葉みたいに裏も表も同時にあってそのままでいい在るがまま
肉を纏った人間そのままで・・何何しなければならないものは何もない。
自我(エゴ)を死滅させることはできるのか、又それが本当に意味があるのか
至ってないので分かりません。ただ浮かぶのは
心に仏を抱いたまま、煩悩(エゴ)で遊ぶことができるのではないか?
良寛さんが好きだと言ってた手毬、あれは煩悩をついて遊んでいたのでは?
一休さんが自らを風狂破戒の僧と嘯き酒と風流を嗜んだのもそうでは?
そうでないとお二人とも70歳になって恋愛等できなかったのでは・・・
前に湧いたカキコを今また思い返します
人間ってそんな風にもともと出来てるんじゃないでしょうか?
>人間が神(おおいなる根源)の子とすれば神の元で一体でいたとき
>神からお前たちは私の変わりに私がしたくても出来ない事、言葉で愛を語り
>全ての私か創った創造物をその目でその口でその体で抱きしめてあげてくれないか、
>その変わりその時には私の望みと分かるようにあなた達にこのうえもない幸福感
>を与えよう、それは何よりも甘露であり何よりも甘美であるので
>あなた達はそれを涙なしには味わえないだろう。
>かくしてあなた達はしなければならないことは何もない
>ただそのことを思い出すだけでいい、
>あなた達は何も迷うことなく、私のもとへ還る道を歩みだすだろう
>そう永遠に続くあの道を・・・・