精神世界で癒される第3章 at HEALING
精神世界で癒される第3章 - 暇つぶし2ch388:マンゴー先生
05/02/28 07:16:23 P4RFyQv+
>>371 元いさん
確かに「もはや何も必要ない」というのはあくまで「垣間見た」三昧における境地(ヒンズー
ではサビカルパサマディ=瞑想での三昧)です。
大乗仏教ではこの段階から菩薩の初地(釈迦仏教では預流)に入ります。
ここで初めて自己を向いていた目が神を向くようになる(主人公を神に受け渡す)。
それまでは神に憧れてはいてもどこに目を向ければよいかが分からないので、神を向いて
いるつもりでもそれはまだ「神を向いているという自己」を向いているのです。
ここから十の段階(釈迦仏教では四)があって、十波羅蜜(十種の修行)を行じて、ようやく
十一段階目で成道(無明の滅)です。
ただ「垣間見た」段階で、苦の発生メカニズム(空の理・十二因縁)が分かりますから、随分
と不安や煩悩(性欲も…嫁さんスマン)は減ったような実感はありますよ。

ちなみに私の理解では、釈迦仏教では無明を滅することが真髄(「三昧」において生きる
=ヒンズーではニルビカルパサマディ=日常での三昧)でしょうが、おそらく禅では、わざ
わざ無明を滅しなくとも執着をしなければ苦は発生しない(これは十二因縁によって明らか)
という生き方(「止」において生きる)なのではなかろうか。




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