05/12/05 18:39:13 D6BCra1P
ソクラテスの言葉だよね。「無知は罪なり」
「無知の知」とは別にあるのね。
私は、うちの子どもの障害と資質を考慮しながら、周囲に迷惑をかけない
ようにするために、担任の先生と密に連絡を取りながら、何とかここまで来ている。
でもそれは子ども自身の資質(消極的で受け身の性格)が、他害を引き起こす
率を低めているから、周囲からの協力を得やすいのだと思える。
もしうちの子が他害を及ぼす性質を持っていたのなら、私が更なる努力を
積み重ねても、それが実を結ぶとは限らないような気がする。
それを感じるから、「原因を聞かずに、一方的にその親を責めてはいけない」と
理性を働かせられるようになりたい、とは思う。
その反面、私も障害を持つ子の親であるはずなのに、例えば、もし
うちの子が他の子から暴力を受けて、その親から「障害があるから
仕方がない」で済ませられたとしたら、やはり「その子には
近づかないようにしてね」としか言えない自分がいる。
矛盾を感じながらも、いざトラブルが起きるとうちの子の身の保護が
優先になってしまう。
勿論、うちの子が他害を与えない子と言われていても、もし誰かを傷つけた
なら、障害を言い訳にせず、親として相手へは謝罪するつもりです。
「障害児」とひと括りにするには個人差が大き過ぎるから、大ざっぱな
目安を知識として知っていても、その子への対応は一人ひとり微妙に異なる。
もし自分の子が周囲から理解されたいのであれば、まず自分達が周囲の人達と
良い人間関係が築く。
それでようやく一歩を踏み出せるのかも知れない、と痛切に思う。