04/02/18 01:53 +0o6CPOf
日本人の捕虜は尋問を受けたら死ぬまで黙り込むか、聞いてもないことをベラベラ喋りだす奴と真っ二つに割れたそうだ。
3:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 01:54 1D+beT6Q
人
(_≡ ウンコー
(__≡ (´⌒(´
(・∀・ ,,)∩∩ (´⌒;;;≡≡≡ズザザー
⊆⊂´ ̄ ソ (´⌒(´⌒;;
2げっとならず
4:1
04/02/18 01:58 TB6HvvcD
私の祖父は、訓練中、皆と集まっている部屋に睡眠ガス(?)を巻かれてたことがあるらしい(寝付きが
悪かったのか?)。
で、そのうち叩き起こされたんだけど、眼を開けたら部屋にいるのは祖父が最後。
慌てて身支度を整え外に出て整列した祖父は、何故か周りの人たちがじろじろと視線を投げかけてくる
ことに気付く。
で、そういえばなんだか腰が軽い事に気付くと……軍刀を普通とは逆に持っていたため、途中で落として
しまったらしい(藁
上官に怒られ周りに大笑いされながら走って取りに戻るときは、かなり恥ずかしかったそうです。
なんかスレ立てた奴のくせに、不鮮明な話ですみません。
5:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 12:38 RFP9Snsh
旧日本兵は、ダッチワイフの
代用品として、鶏の穴や山羊の穴に
ぶちこんでいた
6:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 12:41 YmC96KlH
イスラムじゃないんだから。
7:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 13:27 LzvoZ5Vd
ヤギなら聞いたことがある。鳴き声が女のあえぎ声だと思いやすいらしい。
明治時代に欧米に渡るときもヤギ連れてったらしいね。
食物としても性欲処理としても
昔から日本を長期離れるときの必需品みたいな感じ。
8:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 13:31 WahrDlBg
従軍慰安婦がいただろう
9:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 13:38 plg5cbC3
>>5
西洋の船乗りは代用品として羊を装備していたそうだ。
10:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 13:40 zTdRhTXb
支那の山奥3日3晩かけて目的の駐屯地まで真空管を運ぶ折、
仲間内では一体何本の真空管が割られず無事に送り先まで届けられたであろうかと、
上官の目を盗んで大々的なトトカルチョが、連日連夜行われていたそうな。
どっとはらい。
11:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 13:42 iZLnkZOZ
うちのジーサマは衛生兵で戦地へ行って
昼間暇な時には看護婦さんと草むらで
良い事をしていたらしい。
晩年ややボケかかった時にうわごとで
「みよちゃん、あそこいこ、あそこ!」
とニヤニヤ言っているのを見て、戦地が
ジーサマの青春だったんだなとニヤリ。
12: ◆65537KeAAA
04/02/18 13:46 LL1MSOiu
ウチの爺ちゃんは「ダイナマイトは甘くて旨い」と言っていた。
「じいちゃん、そんな物食ったんだ!」って言ったら
「おう。他にもクモとかヘビとかも食ったぞ。カタツムリは絶品だった」
って言ってた。
よく考えると、そんな物を食べるほど、食料が不足してたって事だな。
ちなみに行ったのは南方の島だとしか聞いてない。
13:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 13:48 a8O+IZqi
私の父親は何か重要な放送があるらしいとみんながわらわら集まる中
マンドクセーシラネーヨと近所の淵に泳ぎに行ってしまったそうな。
帰ってみたら戦争が終わってたんでびっくりしたとか。
14:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 13:50 iZLnkZOZ
>>12
ニトログリセリンって甘いはずだ。
舐めた人って貴重だなぁ。
15:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 14:04 eXv94klW
爆発しねぇの?(((´`)))
16:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 14:06 A23Rw6FX
シベリア抑留から生還した爺さん。
だいぶ辛い思いもしたらしいが
「ロシアの女は本当に奇麗だ、でも年を取ると風船のように膨れてなあ…」と
何度も何度も言っていた。
女見る余裕があったのかよ!
だから生還できたんだろうな…。
17:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 14:24 CmMPK9Io
>13
すげー(藁
アナーキストというかなんというか……。
とにかくそりゃビックリするわな。
18:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 18:16 QfJAOF0M
>>16
でもすごくつらかったんでしょうね。
19:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 18:47 1NGK/vlw
笑える話じゃないんだけど、昔ビートたけしが言った話は今でも思い出す。
たしか、たけしが飲み屋かどこかで居合わせたおっちゃんとの会話なんだけど、
たけし 「おっちゃん、煙草止めた方がいいよ。」
オッチャン 「たけちゃん、俺はシベリアの極寒で吸った煙草の味が忘れられないんだよ。」
って話。
俺は煙草は吸ったことないけれど、その美味さがわかる気がした話。
20:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 19:20 OQsGm1WM
戦争の話じゃないけど…
おばあちゃんが小学校のとき、遅刻したらみんなの前で理由を言うことになっていた。
ある男の子が遅刻してその時にこう言ったそう。
「うんこしてて遅れましたー」
21:ながぐつ
04/02/18 23:17 FwRvqQv7
唐沢俊一の本に載っていた話だが、
太平洋戦争開戦時、”勇ましい曲を流せ”と言われて、
『星条旗よ永遠なれ』を放送したNHK職員がいたそうだ。
ちなみにうちの爺さんは戦争に行ったことは行ったのだが、
1週間もしないうちに敗戦になったため、何もせずに帰ってきたらしい。
22:おさかなくわえた名無しさん
04/02/18 23:28 YmC96KlH
面白くなくて、なんだか・・・な話だけど、
神風特別攻撃隊、いわゆる特攻隊に在籍していないのに
パイロットでもないのに、『自分は特攻隊だった』って言うおじいさんは
以外に多いらしいね・・。
23:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 00:21 yBfqcf/A
うちのおばあちゃん達は隣町が大空襲に遭った時、
防空壕に隠れないで屋根に昇り、
「おー、燃えてる燃えてるー!」と火事場見物をしてたそうです。
以外と余裕だな。
24:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 00:34 O539xz1o
みんな逞しいよね。戦後復興するわけだ。
25:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 00:58 QDpOxPxn
>>24
TVや授業では戦争で不幸になった人しか扱わないからね
俺の母親(沖縄人)も、兵隊さんは良い人の方が多かったって言うよ
やっぱり、日本人は戦時下にあっても日本人であって欲しいと思うよ
でも今の日本人は明らかに50年前より危険なんだろうな・・・
26:うしろの名無し太郎@オカ板にも書いたけど
04/02/19 02:52 D2JrvGON
先生が子供の頃空襲に合い川まで逃げ来て、街を見たら火の海だったらしい。真っ赤に染まった街を見てたら夕日のように見え思わず「お母さん、綺麗だね」と言ったら殴られたらしい。先生曰く「真っ赤に燃えてて、べらぼうに綺麗だったよ」 街が燃えてるっつーのに…。
27:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 04:59 Fph4eoEa
うちのばあちゃんは「焼夷弾を箒で落とす訓練してた。馬鹿でしょ。」と笑ってた。
じいちゃん・ばあちゃんっ子だった自分は、そんな話を良く聞いて育った結果、
昭和の戦時中=「暗黒」という単純な図式に理解できなかった。
んま、いろいろあったけど普通の日本人が、慎ましい幸せを感じながら生きていたんだろうなぁと思う。
28:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 05:16 ExqZrlxW
うちのおばあちゃんの話です。
近くに米軍の飛行機が落ちて、見に行くと、米軍パイロットが死んでた。
おばあちゃんはそれを見て「あ~産毛まで金髪だ」と思ったそうです。
かわいそうとか怖いとかはまったくなく、それだけ。
むしろ「ざまあみろ」くらいに思ったんだそう。
しかも、生存者がいたのに地元の農民がリンチして殺してしまったらしい。
29:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 06:16 n9JowxDW
↑下三行がなければ笑えたんだけど…
ついでに俺の親父が中4だった時の話。昭和20年9月。
授業中、GHQの人と通訳が入ってきたそうな。
で、なにやら教科書を指しながら、英語でまくしたてる。
その後通訳の人が
「戦争は終わった。だから、こんな教科書(墨塗りの奴ね)を
使う必要はない!今日は授業は終わり!皆帰ってよし!!」と言ったので
「うぉっしゃー!!GHQ様様だぜーー!」と
クラス全員で速攻映画を見に行ったそうだ。
時代が変わっても、子供は同じようなものw
30:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 06:59 qaOV0Wlt
>>12
ニトログリセリンがおろか、革靴まで煮て食べたそうです。
南方の島々では、米軍が「飛び石作戦」
(列島を順々に攻略して行くのではなく、飛ばして何個おきかに攻略する)
をとったため、敵の姿を見ないで飢え死にする兵士も多かったとか。
ちなみに、ニトログリセリンを安全に運用する方法を発明した
ノーベル博士は、晩年、心臓病の薬としてニトログリセリンを投与されました。
>>28
笑える話ではないのですが、似たような話が他にあります。
本土空襲のさなか、一機のB-29が不時着。
搭乗員は捕虜となり、「民間人に対する無差別攻撃」の罪で処刑される事に。
最後にその搭乗員はこう言ったそうです。
「私はあなた方を恨まない。あなた方も私達と同じように、国を守るという志を持っているのだから」
31:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 07:49 qaOV0Wlt
軍板からコピペ。
3 名前:名無し三等兵 投稿日:03/11/26 06:34 ID:+3HMZSv/
うちの祖母の親戚が、子供のころ(もちろん戦時中)新聞で「侵入せる英機を撃墜!大戦果!」という新聞の見出しを見て、
当時の首相が反乱によって撃ち殺されたと思ったらしい。
32:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 09:31 O539xz1o
>31
やくざいし
おしょくじけん
ひできげきつい
31の英機って「えいき」でいいんだよね?
33:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 09:53 qaOV0Wlt
>>32
「えいき」であってると思います。
イギリス軍の軍用機、という意味で。
34:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 12:55 nEE4VYvn
>>30
>「私はあなた方を恨まない。あなた方も私達と同じように、国を守るという志を持っているのだから」
非戦闘員である民間人を殺害した戦争犯罪人の言い残す言葉としては違和感の有るものだな。。同列ではないだろう。
35:おさかなくわえた名無しさん
04/02/19 13:05 86RleMbK
>>34
まぁいまだに「国を守るという志を持って」あちこちで誤爆かましてる
国の人ですから、そんなもんじゃないの?
36:おさかなくわえた名無しさん
04/02/20 02:25 mHYzmphT
うちのじーちゃん諜報部員でアフリカまで行ったそうな
ウホウホ言ってる奴ばかりと思っていたら、いきなりフランス語で話されてビックリしたと言っていた
ライオンやキリンを見たかったが一匹も歩いていなかったと戦後ばーちゃんに語ったらしい
戦時中、敵を一人も見なかったとも
37:おさかなくわえた名無しさん
04/02/20 03:24 y8UTpJTi
はははゾマホンが聞いたら怒るぞう。
アフリカはフランスの植民地時代が長かったので
フランス語を話す人は多いし
ライオンやキリンがそこらへんを歩き回ってると
思ったら大間違いだって、それこそ事あるごとに語っていたものね。
38:おさかなくわえた名無しさん
04/02/20 19:48 2TXoTTW8
>19
たけしと言えば、終戦間近、戦力が残ってるように見せかけるため戦闘機のハリボテ作るってんで
父親がかり出された話もあったなあ。
「そんなことやってて勝てるわけがねえ」っつーのは、ほんともっとも(藁
39:おさかなくわえた名無しさん
04/02/21 00:56 VWr51MMO
>>37
> アフリカはフランスの植民地時代が長かったので
> フランス語を話す人は多いし
戦時中は植民地時代だったわけだが。
40:おさかなくわえた名無しさん
04/02/21 15:04 /G8GzHGZ
食糧難の時、ザリガニとか毛虫を食ったらしい。
ザリガニは美味で毛虫は苦かったとか。
うちは千葉の九十九里沿いだけど、東京大空襲の時は西の空がはっきり明るく
なってて、ゴミ燃やした時に出るような燃えかすや燃え残ったお札が飛んできた
そうだ。
別に笑えなくてごめんなさい。
41:おさかなくわえた名無しさん
04/02/21 21:59 OndgsPzA
うちのじいさんの話でも。
終戦の一ヶ月前、大規模な空襲があったんですよ。
で、当時我が家は空襲の目的地の途中にあるドイナカで牛飼いやってたわけ。
田舎とはいえ、空の上をわんわんとB29の大編隊が飛んでいる。
家族一同牧場の裏山に避難したんだが、ふと気がつくとじいさんが
牧場をつっきって放牧している牛たちの方にとことこ歩いている。
いつもと違う気配におびえる牛たちをちゃっちゃとまとめて
牛舎までひきつれて帰っていった。
牧場のどまんなか。空から丸見え。
B29が去ったあとでばあさんは
「なんて危ないことをするんだ」と泣いて怒ったそうだが
じいさんけろっとして言ったそうな。
「なーに、ヤツらカウボーイの国の人間だ。牛は撃たないべよ」
42:おさかなくわえた名無しさん
04/02/22 12:36 kZPLVoPt
>>41
惚れた
43:おさかなくわえた名無しさん
04/02/22 21:04 w4yzPS1O
>41
うわ~じぃちゃんハイカラだなぁ~
44:おさかなくわえた名無しさん
04/02/23 03:49 wtrp+2Dt
祖父の話なんだが、学校で天皇陛下はうんこするの?って先生に聞いて
警察沙汰になったって言ってた。親と一緒に警察まで行って、警官と
うんこする、しないで大揉めだったらしい。
45:おさかなくわえた名無しさん
04/02/23 09:38 neT77Qit
>>44
それはあのコピペを貼って下さいと言っているのか?
46:おさかなくわえた名無しさん
04/02/23 10:35 phHFhtJ7
>>44
学生の言うことぐらい大目に見てやれよ警察w
47:おさかなくわえた名無しさん
04/02/25 00:39 xSwNIpGI
>>44
お・・・・おおおお面白い(笑)
凄いなあ・・本当に「天皇は神」だったんだ。
>>45
あのコピペ?
48:おさかなくわえた名無しさん
04/02/25 12:03 wWEoYEBt
>>47
石川ってウンコするの?
のまとめ表みたいなやつだと思う。
49:おさかなくわえた名無しさん
04/02/25 15:44 Nn0Pj6Px
天皇陛下ってウンコするの?
しないよ派 ─┬─ 肛門ないよ派 (急進的皇道派)
│
├─ 肛門あるよ派
│ │
│ ├─ 肛門からは何も出ないよ派 (穏健的皇道派)
│ │
│ ├─ 肛門から出るものはウンコではないよ派
│ │ │
│ │ └─ 天皇陛下の排泄物は本質的にウンコなどではない派
│ │
│ └─ 肛門から食べ物を出すよ派(建国神話派)
│
└─肛門ではない穴があるよ派
│
└─そこから出るものはウンコとは呼ばない派
50:おさかなくわえた名無しさん
04/02/25 15:47 Nn0Pj6Px
するよ派 ─┬─ 人並みにするよ派 (人間宣言派)
│
├─ 他の人より大量にするよ派
│
├─ 肛門は無いがウンコはする(天皇機関説派)
│ │
│ └─ 肛門じゃない第4の穴からウンコするよ派
│
├─ 皇太子時代はするけど即位してからはしないよ派(あなた、交替してんか派)
│
│
├─ 陛下ご自身がその見えざる左手により何処へと運び去るんだよ派 (インド人派)
│
└─ ウンコをした10^-36秒後に虚数時間の量子宇宙に転移するから「実質的には」しないこととおんなじ派
51:おさかなくわえた名無しさん
04/02/25 17:05 425AltEc
第4の穴?ってことは天皇は(以下自粛
52:おさかなくわえた名無しさん
04/02/26 01:56 gtBxfWfK
うちの叔母は疎開先で野糞をする場所を芋畑の一角に定めていたらしい
そいでもって収穫時期に特大の芋をMy芋として貰ったそうな
53:おさかなくわえた名無しさん
04/02/26 18:42 MRhONdB3
あげてみる
54:おさかなくわえた名無しさん
04/02/26 19:10 z+NkBYDm
まぁ なんだ 戦争はもう起こすなってことだな。ブッシュ
55:おさかなくわえた名無しさん
04/02/26 19:31 YHAtmRYl
うちのじーさん軍需工場の技術者で戦争にはいかず、
軍からお金もらったり接待うけまくり。砂糖や米などたくさんもらってきては働きにきている女学生にわけていたらすい
ばあちゃんが死ぬ間際まで『あんたは若いムスメに甘い』と言ってた
……小学校の先生にこの話したら激怒されたっけ
56:おさかなくわえた名無しさん
04/02/26 19:34 jkWDsAvz
いい男
57:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 00:27 aWVBAJfb
>>28
うちのばーちゃんも、まったく同じこと言ってた。
58:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 00:28 /dU/VmMr
刑事訴訟法の教授の話。
教授は終戦後数年してから司法試験を受けた。
面接試験で、憲法(もちろん現行と同じ憲法)の科目で「天皇」について出題されたので、
いろいろ答えていたら、
突然、3人の出題者のうちのメインの先生が立ち上がって
「貴様、天皇陛下を「天皇」と呼ぶとは何事だ!!土下座してあやまれっ!!」
と、多分皇居の方と思われる方角を指さして怒鳴ったそうな。
固まる教授。
結局隣の先生が、激怒するメインの先生を取りなして、それから教授に
「このままではあなたも辛いでしょう」と、
2,3優しく質問をしてフォローしてくれたそうだ。
教授は絶対落ちると思ったけど、結局受かっていたそうです。
59:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 14:27 N/PkzxHC
50年前この国は北朝鮮だったんですね。
60:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 14:53 KvTafeCI
うちの爺さん、徴兵されてすぐに結核にかかってることがわかって、
すぐに戻ってきたらしい。涙を流して見送ってもらった近所の手前
かなり肩身のせまい思いをしたらしいw
元々「クソ」がつくほど頑丈な身体だったので
結核はすぐに自然治癒して、完治したことをひたすら隠し通し、
大地主だったこともあって有り余る金を使いまくって
混乱してる世の中を尻目に戦中戦後を通じて芸者あげて遊び倒してたそうな。
爺さん曰く「婆さんに女関係を追及される事がわしの戦争だった。」
インフルエンザで死んだ81歳のその歳まであっちのほうは健在で
葬式のときに29歳の愛人が挨拶に来たのには驚いた。
61:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 15:24 yPDSdTuP
以前ベストセラーになった野村進氏著『コリアン世界の旅』にこんなエピソードが
書かれていた。
ベトナム戦争中、韓国軍の大虐殺があった旧南ベトナムの村を野村氏が取材に
訪れた時のこと。
同氏が村に入って行くと、同氏を見る村人たちの目つきがおかしい。
遠巻きに同氏を疑わしげな目で見ながら、「ダイハン(大韓)…、ダイハン…。」と
囁き合っている。
通訳の人が、「この人はダイハンじゃない。ニャッバーン(日本)だ。」と言っても、
「日本人なんて言ってるけど、本当は韓国人じゃないのか?」と始めのうち怪しん
でいたが、本当に日本人と分かると急に村人たちの表情が明るくなり、村人たち
は笑いながら「おしん」の話に花を咲かせたという。
62:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 15:59 szSZES+s
曾祖母の話。
空襲警報が出たので、当時4~5歳だった祖母の手をひいて
慌てて家を飛び出した。
避難場所に到着すると、自分と手をつないでたはずの娘が
なぜか隣の家のおじさんに抱かれて泣いてるので、
あら?と思って手元を見ると、ブサイクな猫のぬいぐるみだったらしい。
63:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 16:04 d/R2nM18
26と似たような話ですが。
名古屋に住んでたじいさんの弟(最近亡くなりました。合唱。)が
死ぬ前に話してくれた事。
名古屋空襲の時に名古屋城が炎上したのを目の当たりにした当時
学生だったじいさま(家族のなかではこう呼んでた)は、体がうち
震えるほどきれいだな~と思い、かつその美しさに圧倒されたそうだ。
でも周りの大人達は城が炎上する様を見て「日本は終わりだ…」
と泣き崩れてる姿を見ると何か悪い気がして、とりあえずウソ泣き
しとこ、と思ってたそうだ。
64:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 16:19 PMNyUrsK
なくなったうちの祖父は敵国の兵の後ろの茂みに隠れていて
我慢しきれず豪快な屁をこいたとんでもない奴だ
65:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 16:30 3rBDuPDs
いいスレだな。上の世代から直接に歴史を語り継いでもらうのは
とても大事なことだと思うんだよなぁ。
俺も聞いてみたいけど祖父母とも戦争に悲観的なんだよね。
爺ちゃんは赤紙が来ると醤油を飲み、体調不良で徴兵免除されてたらしい。
66:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 16:56 WYc3M6ct
爺さんが徴兵されたときの話し。
体格テストで甲乙丙をつけられた。
横一列に並んで、各自「甲、合格!」「乙、合格!」と合格した級?を大声で言うんだけど、体格がしょぼかった爺さんは「丙、合格!」というのが恥ずかしくて「へ・・・へい合格!」と少し小さめの声で言ったら、お偉いさんに怒られたそうだ。
67:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 18:18 lQy5F2Le
>>66
これにまつわるちょっと面白い話.
徴兵検査に不合格はないんですよね.
兵役に適さないという判断=実質不合格でも
丁種合格っていうのね.
68:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 18:26 my87+bZ7
ちなみにいくつかネタが入(ry
69:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 18:42 S9On8m64
うちの爺さんはノモンハンに出征したが、すぐにケツが凍って極度の痔になり、
軍医に戦闘不能と判断されるほど悪化して野戦病院に収容されてそのまま終戦をむかえた。
結局亡くなるまで痔主(軽快したけど)だったが、「痔のおかげで助かった」とずっと言っていた。
70:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 19:11 XA+akFDq
名前忘れたけどある画家の話。
軍から、兵の士気を高めるために、
米機を日本が撃墜するような感じの絵を描くよう依頼された。
しかし、資料にもらった米の戦闘機を見て思わず
「かっこいいー!」
と言ってしまい、敵国味方発言としてこっぴどく叱られたらしい。
71:おさかなくわえた名無しさん
04/02/27 23:28 oqsWXSO5
禿しく良スレのヨカーン。
自分も何か笑える話を仕入れて来よう。
72:おさかなくわえた名無しさん
04/02/28 02:12 jBPCj7c7
小学校時代の校長は戦時中、ろくな食べ物も食べれなかった時期
道端で干し芋が落ちているのをハケーンしてこれ幸いと喜んで拾い口に入れようとしたら
干し芋に見えたそれは、夏の日差しでパリパリに乾いた犬のウンコだったそうな。
73:おさかなくわえた名無しさん
04/02/28 05:18 qn8tq/Hw
>>58
そりゃ今のイギリスでもHer Majestyって呼ばなきゃ怒るひともいるよ。
その先生の反応はおかしいけど、教授の常識のなさにもあきれますな。
74:おさかなくわえた名無しさん
04/02/28 12:10 uMsXKeYK
>>73
いや、司法試験で出されるんだから、天皇個人ではなく
憲法上の『天皇』についてだろ。
教授だって戦中育ちならその辺の常識がないはずもないし。
75:おさかなくわえた名無しさん
04/02/28 15:40 NUxJRqDp
知り合いのおじいちゃんは山菜が大嫌い。
戦時中いつもおなかを空かしてた時でも
山菜だけは絶対食べなかったそうだ。
好き嫌いもここまで徹底されると凄いな…
76:おさかなくわえた名無しさん
04/02/28 16:10 vG5vOoSK
うちの親父は特攻隊に志願していたが、次が自分の番だというところで終戦を迎えた。
親父と派手な喧嘩をするたびに、母親がいまいましそうに「悪運の強い奴」と言ってる。
77:おさかなくわえた名無しさん
04/02/28 17:31 N4QZ8YOu
自分の母親の好物は「干しバナナ」。
子供の頃(戦時中)は好きな時に欲しいだけ貰えていたそうだ。
近所の手前「くだもの」でなく「けだもの」と呼んでいたそうだ。
(どうやら軍需物資の横流ししてたらしい)
78:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 03:19 aQ3Dpa9y
事実かどうかわからないコピペだが
パンはその体積の25~30%程度がウンコになるに過ぎないが、
米は50%近くがウンコとなる。このため日本人のウンコは世界一量が多い。
パスタ類は40%程度であるため、これに次ぐのはイタリアである。
太平洋戦争の最中、ある小島に450名の日本兵が立てこもった。
これを偵察に来たアメリカ兵はトイレを調べ(人数把握の基本である)、
その量から2000人はいるはずと報告。この情報を元に米軍は必要以上の
猛烈な総攻撃を開始、日本軍はあえなく玉砕の憂き目を見ることとなった。
79:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 03:32 H/dg3Pjw
>>78
事実。
純和食は食物繊維が豊富で、当時の日本人はめちゃくちゃ快便だったそうな。
80:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 04:40 diKAbEbD
良スレ上げ(´∀`)
俺の爺さん減反が気に入らず酒に溺れて死んじゃったからなぁ。
81:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 04:41 diKAbEbD
とか言いながら上がってない
82:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 05:03 kSnZuyn7
うちのじいさんは南方で捕虜の監視にあたったそうだ。
で捕虜に「縄がきついので緩めてくれ、逃げないから」と言われ
緩めたらあっさり逃げられたそうな。
勿論上官に死ぬほど殴られたらしい。
あと知り合いの親父さんなんだど、高雄の師範学校の学生ながら兵隊に入隊(正式にはなんと
いうのか知らないけど)して、配属されたのは砲兵。数学を専攻していたその人は、着弾点を
三角関数で計算して、「仰角○○度」と叫ぶ任務だったらしい。そして爆音で耳が遠くなって
電話すると「私は戦争中~(と長々と説明) お蔭で耳が遠いんで大声で話してくださらんか」
というのはなんか微笑ましい。
83:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 05:23 pmw03JME
>>78
おれが聞いた似たような話では、日本の便所は個室だが
アメリカでは横に渡した板に穴が並んでいる形なので
(電車に座るように、横に並んでウンコする)
便所のスペースから割り出される人数がかなりちがう。
偵察にきたアメリカ兵は、便所の大きさから実際以上の
人数を算出した。。。てやつ。
84:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 06:27 qGYkKjl+
結構米軍も間抜けだったんだな。
85:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 08:26 DDPiVkk6
有名な話としては、
戦時中、街中に貼られていた「ぜいたくは敵だ」のポスターに、
だれかが「<素」を書き加えて回り、
「ぜいたくは素敵だ」
にしたとか。
なんかマターリしてて微笑ましい話ですね。
86:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 10:52 nVX7gxf3
誰から漏出したかが判ると身内にいじめられるので、続柄は書かない。
場所は中国、北京のちょい南。
その兵隊さんは、占領地の哨戒と治安維持……というのは名目で(実際にゲリラが多いんだが)、
ありていに言えば、難民化して逃げてしまった中国人の家から、食料や資材を接収(略奪)すること。
で、その街んなかの割合大きな家で、紐のかかった朱塗の重箱のようなものを見つけたそうな。
結構な重さで、なかなか良い具合の塗り物の箱だったので、きっと、値の張る宝物が入っていると、
ワクワクしながら持ち帰り、小隊長に戦果報告し、開けたそうな。
開けると、砂が入っている。砂を掘ってみると……肥やし臭いと、しなびた漬物みたいなものが
出てきたそうな。その部隊は、九州の農村地帯からの徴兵だったから、肥やしの匂いを間違うはず無い。
金持ちのォマルだったそうな。
87:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 11:16 3snYYFFx
日本軍って北京攻めていたっけ。
88:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 21:52 TIO80lhN
うちのじいさんが戦時中の話をしてくれてるときに
「オオサンショウウオは捕まえやすくて、焼いたら白身魚みたいで美味かった」
とか言っとりまして
「ほ~。オオサンショウウオ食ってもよかったんか~」と言ったら
「まぁ、もう天然記念物やったんやけどな」と、あっさりと言ってた。
89:おさかなくわえた名無しさん
04/02/29 22:36 P6gtQr/M
>>85
他にも「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」の立て看板の工夫の工を消して
「足らぬ足らぬは夫が足らぬ」にしたとか。
ある潜水艦の艦長の話。
当時、その潜水艦はアリューシャン列島の辺りで活動していた。
この辺りは海水温が低く、一度海に落ちればまず助からなかったそうだ。
実際、酒によって海に落ちた兵士が死亡する事故が多かったとか。
その話を聞いた艦長は「酒は危険だから処分する」と言う名目で
部下の士官と一緒に酒盛りを始めた。
で、程よく回ってきた頃、小便をするために甲板に上がった…のは
いいんだが、足が滑って海にドボン。
幸いすぐに引き上げられ、部下の必死の心臓マッサージで
一命を取り留めたそうな。
当然、この事が上官にばれてお咎めを喰らいそうになったが
「心臓マッサージの実習をした」と言い訳をして逃れたらしい。
90:おさかなくわえた名無しさん
04/03/01 08:04 PhSj1AEL
よく知らないが、海軍かなんかの技術屋だったウチのじいさんが
「戦争末期は木造の零戦つくってとばした」
とか言ってたけど、木造じゃ勝てないわな
91:おさかなくわえた名無しさん
04/03/01 09:31 KFCmiuax
>>90
それは特攻隊用の戦闘機ですよ。
燃えやすく作るために木材使用・・・
92:おさかなくわえた名無しさん
04/03/01 09:48 kuILgR98
うちのじーちゃん20代の初めに支那事変で戦地に行って、敵の陣地を
攻める時に壁を上っていったら中から手榴弾みたいなのが飛んできて、
足元で爆発したらしい。でもじーちゃんに全くダメージはなくてなんか花火
みたいだったて笑ってたよw。その後、なんとか生きて帰って来たけど、
三ヶ月もしたらまた呼ばれてw、今度はビルマに行って、その後敗戦で
捕虜になった。かれこれ20代の全部を戦争で費やしたらしい。
でも今現在も生きてるw。じーちゃんあんたすごすぎだよw。
93:おさかなくわえた名無しさん
04/03/01 11:07 keWFDSAo
詳しくは聞かなかったんだが、俺のじいさんは戦時中満州で騎兵隊をやっていたそうで
開戦直後に速攻で捕虜になり、そのまま昭和20年の春くらいまで捕虜。
どうにか帰ってきてゴタゴタしてるうちに終戦。
ろくに戦争らしい戦争はしなかったそうな。
94:おさかなくわえた名無しさん
04/03/01 11:52 8BwVSkYD
>>90
ゼロ戦じゃなくて「剣」っていう飛行機だな。
軽量化と、金属が不足していたために木製になったらしい。
ちなみに木製の軍用機ってのは結構あった。
イギリス軍が木製の爆撃機でドイツを爆撃して結構戦果を挙げてる。
まあ日本には主翼が紙でできた飛行機もあったわけですが。
95:おさかなくわえた名無しさん
04/03/01 13:18 mX6jgMhT
>>90
ウチの地元では陸軍の木製飛行機を作っていた記録がありました。
「隼」の木製版らしかったけど、初飛行の際に、着陸する時に機体の重さ
に耐えられずに主脚が折れたらしい。
結局5機生産したところで終戦となり実戦では使われなかったそうだ。
96:おさかなくわえた名無しさん
04/03/01 13:35 mX6jgMhT
>>95
ググッてみたら「隼」でなくて「疾風」だった・・・。
キ106と言う名前で、かなり高い技術水準でつくられていたらしい。
97:おさかなくわえた名無しさん
04/03/01 18:17 pm+QbRuy
ウチの実家(文京区某所)は、空襲に備えて延焼防止に
家を間引くとかで、半月後の8月16日に役所がお宅を潰しまーすと
近所じゅう言われたらしい。
それで、留守を守ってる祖母は、うちは実家が両方とも都内で
疎開する所も家財預けるとこも荷車とかもないから、
ええい、潰すぐらいならみんな売っちゃいましょ!(江戸っ子)と、
床の間の柱も庭木も箪笥も畳も梁も襖も瓦も、
ちょっと売れるいい物はみんな売りさばいたそう。
そうしたら、15日に終戦して、家は無事w
軍の技術者で、九州で働いてた祖父が帰ってきて大喧嘩w
ちなみに戦争末期にもかかわらず、家財一式は婆様が結構高値で
売りさばいたので、戦後は家はからっぽで壁しかない状態だけど、
お金には余り困らなかったらすぃ。屋根はトタンで急場を凌いだそうw
98:おさかなくわえた名無しさん
04/03/01 18:51 9+Ze5hit
>>97
間引き疎開って集中的にやってたんかね。
九州でも似た時期に間引きやる予定があって、
悔し紛れに前日に自分で壊したら翌日終戦、という話あり。
ちなみにその話し手は行くあてがないので玉砕覚悟で間引き断って事なきを得たとか。
99:97
04/03/01 19:06 Qp58I3hu
>>98
自分で壊したのは惜しい・・・でも気持ち分かる_| ̄|○
長谷川町子さんの「サザエさんうちあけ話」でも、
隣のオジサンが床の間自分でボコボコにしたら翌日終戦、てあったよ~
戦争末期で、空襲すごかったのかな。
ちなみにうちの祖母は、家が間引きされた後、
自分の身柄は鎌倉の親戚宅に疎開するはずだったらしいけど、
鎌倉の親戚も男手は徴兵されてて婆・奥・子2人だから
手伝ってもらうのも無理で、車とかも無いし
手荷物以外は持っていけないから、いっそ景気よくw売りさばいたらすぃ。
数年前に亡くなるまで、竹を割ったような江戸っ子婆様ですたw
100:おさかなくわえた名無しさん
04/03/01 20:42 eTFvh26N
渋谷で戦前から不動産屋をやっているおじいさんから直接聞いた話です。
終戦直後、そのおじいさんは中学生だったそうですが、渋谷駅前の土地を
韓国人が不法占拠して、地主である日本人が明け渡しを求めても無視。
で、困った日本人地主らはGHQに相談。
土地の明け渡しを求めにきたGHQと韓国人たちとの間で撃ち合いにまで
発展したそうです。
結局、日本人地主は泣き寝入りした人がほとんどだったとか。
こんな話、あちこちの駅近辺でごろごろしてるんだしょうな。
笑えなくてごめんなさい。
101:おさかなくわえた名無しさん
04/03/04 22:59 7+T8hY7b
油age
102:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 00:33 cQIwzoz6
>>100
釣りとしてはいまいち
103:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 01:24 Pzip3sVJ
直接聴いたハナシではないけど……。
作家の星新一は現東京大学を受験する際、「ああ、そろそろ戦争始まるだろうから、そうすると英語は
出なくなるな」と考え、英語を全く勉強せず他の科目に集中、結果見事合格したらしい(藁
この発想力はさすがだなー。
104:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 01:37 G9lBsJYv
水木しげるは見張りで寝てしまって、
その間に陣地(飛行場だったかな)を強襲されて仲間大量戦死。
しげる先生は「しょーがねーなー」と笑っていたそうな。
笑えねー。
105:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 01:40 uyFAr1vv
祖母は当時酒屋。
空襲で何もかもなくなったけど、宮内庁の米酒しょうゆを扱ってたせいで
二階建てを立てたそうです。回りはまだ焼け野原。
106:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 02:07 Lgla8yaL
>>104
そうじゃなくて、寝ている所をたたき起こされてムリヤリ遠くで歩哨に立たされてたら、
その間に陣地が急襲されて全滅、遠くにいたしげる先生だけ偶然助かったんじゃなかったか。
ちなみにその後はヤリ持った原住民に追われて12時間くらい海につかってたり、崖にぶらさがったり
ぬり壁と遭遇したりしてさんざんな目に遭い、命からがら本陣に逃げ帰った、と自伝の漫画に書いてあった。
107:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 02:12 8IvwURwY
>>104,>>106
それで、傷が化膿したか何かで片腕になっちゃったんだよねん。
漫画家なのに。でも水木センセは「いや~しゃあないねハハハ」と笑ってた。
108:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 02:30 zEIkyToO
別に笑える話ではないけれど…
うちの死んだじいさんは鉄路警護軍とかで満州にいたが、満州ではヨーロッパ風の
集合住宅で結構いい暮らしをしていたようだ。
集中暖房で、ゴミもダストシュートみたいな設備で各部屋から捨てられるし、
中国人のお手伝いさんを雇っていろんな中華料理をつくってもらったり。
終戦時には治安が急速に悪化して、中国人による略奪行為なんかがいっぱいあって、
そんな中で小さい子供だった親父や叔父&叔母を連れての引き揚げて結構大変だったみたい。
109:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 02:58 Lgla8yaL
>>107
しげる先生の腕はその後、マラリアかなんかにかかって熱で動けなくなって
寝てた所を爆撃されて、重傷。でも、輸血すれば切断しなくても助かるレベルだったらしい。
しかししげる先生はこの人生の一大事に、自分の血液型をど忘れ。
軍医はしかたなく十徳ナイフ(ヒィ・・・)で切断したらしい。
でも左手だったのが不幸中の幸いかな。右だったら鬼太郎とか読めなかったかもね。
110:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 03:20 E+Fv7Pch
ABO方式検査薬が無い時はコレ!
自分の血液型がわかっている人の血液と
わからない人の血液を小皿等で混ぜ合わせてみる。
凝固が起こらなければ血液型は等しく、結果的に血液型を知ることができる!
本当かよ!
ごめん、手塚治虫さんの漫画「ブッダ」からです。信じちゃ危ないかも。
でも実のところは、実際にその方法で見分けることが可能なのか
実験したことがある人(いるか?)から話を募集中!
111:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 11:23 SxqF5WfY
>>102
あなたにとって何か不都合なことが書いてありましたか。
112:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 11:34 ucv9iw2m
父は田舎の出なので、疎開者を受け入れる側だった。
当時小学生の父は、疎開してきておなかをすかせた子供達によく
弁当を盗まれたそうだ。地元はさほど食料が逼迫していなかったので
注意を払うということに気付かなかったらしい。昔からマヌケだったのね。
113:112
04/03/05 11:39 ucv9iw2m
↑続き
母は鉄道の駅から30キロ以上離れたさらに不便な山奥に住んでいたので
疎開してくる人もいなかったとのこと。
燃料不足でバスもろくに走らないから、まともな情報など入らず
村民どうしの口コミ情報にどんどん尾ひれがつくため
相当密度の濃い軍国チックな状態になっていたという。
114:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 12:28 WEN/Vp7l
一昨年永眠した叔父さんの話。
山奥の、そのまた山奥だったからか、戦争の緊迫感もあまりなく、
暇さえあれば防空壕に女を連れ込んで楽しみに耽っていたとか。
ところが或る日、勤しみ中に見回り連中に見つかり、引きづり出され
「お国の大変な時に、おまえは一体何をしとるんじゃ!!!この馬鹿者が!!!」と
ボコボコに殴られ、あまりの痛さにそのまま気絶、目が覚めた時には服や
下着も全部持っていかれてた。
しかたなく全身裸で家まで帰ってきたら、既に服や下着が届けられていて、
連中から状況を聞かされていた婆さんからは「この非国民が!!!」と、
またこっぴとく怒鳴られ、素っ裸のまま庭の木に縛り付けられた。
で、婆さんは、まだ幼かった母に「兄ちゃんが逃げ出さんように、見張っとれ。
おかしな真似したらこれで殴れ」と木っ端を渡し、何も判ってない母も
調子に乗ってペタペタと叩きまくったとか。
叔父さん「日本が負けた云々より、俺はアレが1番辛かった」と言ってた。
115:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 13:01 GMOQgIiS
>>114
今のところサイコー
116:104
04/03/05 13:15 G9lBsJYv
>>106
訂正ありがとー。
おぼろげな記憶で書き込みはいかんな、と思いつつ
正確なことが判って良かったです。
>>107,>>109
にも感謝
117:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 13:26 jYVOUUX8
うちのばあちゃんは白鳥をつかまえて食べたそうだw
118:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 13:27 E+Fv7Pch
ひょえええ
119:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 13:38 IpqOAu72
高校教師・談
「研究室で椅子に座って本を読んでたら空襲警報が鳴った。
めんどくせーなーと思ってそのまま本読んでたんだけど、
そのうち校内の他の施設に焼夷弾が落ちて、消火に駆り出された。
研究室に戻ってきたら、不発の焼夷弾が一発屋根を突き抜けてきて、
さっきまで自分が座っていた椅子に刺さって煙を上げてた」
うちの母親・談
「猫は煮てもアブクばっかり出てまずい」
「水牛は噛んでもゴムみたいで噛み切れない」
120:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 14:28 yLUyun/l
>>110
多分ムリだと思う。俺もブッダ読んだけどあれはおかしいと思った。
違う血液型混ぜても固まることはないはず。
ドイツ軍なんかは将校には重傷負っても助かるように体に血液型を入れ墨しておいた
らしいけどね。日本ではそんなことしなかっただろうし。
まあドイツ軍の血液型入れ墨は戦後のナチ狩りに役立ったわけだが・・・・
(血液型の入れ墨ハケーン→こいつナチスの将校だ→捕まえろ と)
121:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 14:33 4j983Heo
>>110
その方法で判別した血液型と実際の血液型が違って、結果的に間違った
血液を輸血されてしぼんした事故が戦時中・直後は多かったらしい。
特に、O型は他の血液型の血に混ぜても凝固しないけど、の血液型の血を
輸血するとヤヴァイからね。
122:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 14:38 4j983Heo
>>120
日本兵の場合、戦闘服に大きな名札(体操着の真ん中のアレをイメージして
もらうとよろし)が縫い付けてあって、そこに名前と住所と血液型が書いてあった。
ただ、やっぱりそれも大分間違いが多かったらしいけどね。
アメ兵はそのころからドッグタグがあったし、
123:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 14:48 yLUyun/l
住所ってやっぱアレですか、遺骨用ですか・・・・
日本軍って死ぬこと前提にしたもの多いよね。
124:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 14:57 IpqOAu72
>>123
どこの軍人もそうだと思うけど
125:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 14:59 4j983Heo
そうね。
ドッグタグ(米兵認識票)なんて、名前・所属部隊・血液型の他に
信仰宗教まで書いてあるっぺ。
どこで死んでもその場で弔い可能(w
126:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 16:16 Qq0Pv9ch
他の国ではどうか知らんが、米軍では
死んでしまって、顔や身元の判別が困難な場合に備えて
全ての兵士のDNAサンプルを軍側で保管してるそうな。
ベトナム戦争で死んでしまった兵士の
遺骨集め・身元の確認にあまりに苦労したかららしい。
127:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 20:25 ECfbUolJ
だったら戦争避けろよと思った
128:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 20:38 scEFXUNI
でも必死で探してくれるのも評価したいよな
129:おさかなくわえた名無しさん
04/03/05 22:00 aWjlyFSP
俺の祖父は呉で従軍していた。原爆当日、呉から
広島市内に向かう予定だったが、なぜか中止になったらしい。
それが中止にならなかったら・・・(((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル
ちなみにキノコ雲も見たとさ。全然わらえねえー
130:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 05:05 CxSAhwoi
爆撃されてる中
不発の焼夷弾をしゃべるですくって自分地の地所じゃない所に移動させる
するとそこの土地の餅ぬ素が出てきてまたよそへ・・・
リレーのようになって川に行き着くようだ
131:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 09:10 aeaKG2Lz
>2
いい加減なことを言うな。
ほとんどの日本兵は捕虜になると聞かれもしないことまでベラベラと喋ったんだよ。
132:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 09:29 uvNDsgun
>>2の言ってる事とあんまり変わらんな。
133:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 09:37 V+eX8Doe
猛烈に亀で恐縮です。
>>78
私が読んだその話のオチは
「日本兵の数が想像以上だったのでアメリカ兵は攻撃をやめた」
というものだった。
読んだ時には
「もう絶対にこれからはパンじゃなくて米を食べよう。主食は米!!」
と思ったわけだが。
>>78読んだら米食べてちゃダメじゃんかYO!!と。
134:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 09:49 qcgW27Mf
俺んちのじいちゃん、二人とも戦争に行ってないんだよね。年で言えば徴集されてる年なのに。
母方は身長が足らなかったのと、目が悪かったので徴集されなかったらしく、
父方は教師やってたんだけど、思想犯で投獄されたりしてたらしい。
なんで、面白い話が聞けん‥‥。
父はギブミーチョコレートをかろうじて覚えてるらしいが。
こんどちょっと突っ込んで聞いてみるかな。
135:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 11:00 gb1eY6hp
親戚のじいさまは徴兵されて配属先が毒ガス戦部隊だったらしい。
オウムのサリン事件の時、TVに映る防護服を一緒に見てて、
「自分たちの防護服はウエットスーツみたいにゴム引きで通気性が無くて
暑くて暑くて」とか、「オウムが使ったのは”あか弾”(くしゃみガス)か
”きい弾”(糜爛性)か?」と言い出したので、おれが「いや、じいちゃん
サリンっていう神経性ガスだよ」「なに、あんなもん使ったのか」などと
傍から聞くとマニアックな会話をしてました。(ここまでは笑えないので・・・)
その後、上官が同郷だったのと勉強ができたおかげで憲兵になり
終戦まで戦地に行かなくて済んだそうです。当時はモテモテで
(当時の写真を見せてもらったけどほんとに「ウホッ、いい男」だった)
3つ又かけていてばれて修羅場になったりとか、なかなかお盛んだった
ようですが終戦になったとたんみんな逃げられて、今では奥さんの尻に敷かれて
「ワシはホントは結婚したかったおなごは別におったんじゃ・・・」
と酒が入るとぼやいてます。
でも、たとえ人生の一時期でもモテモテだったからいいじゃん。
俺なんか・・・。_| ̄|○
136:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 13:18 z7ZXsOlr
病院の患者さんで、もと軍人だった人が結構いる。
その中の1人は中国へ行っていて、軍事に疎い私が聞いていてもわかるほど
かなり上の地位についていたようだ。
自活するために駐屯地の周囲に畑を作って野菜の栽培をしたそうだけど
中国人が栽培を教えてくれと言ってきたので、色々と指導したらしい。
そこは寒かったので、苗の保温の方法とか、中国に無い野菜の栽培法や種の採取、
肥料のやり方など。できた野菜を中国人が持ってきてくれたことも。
でも「全部食べてしまってはいけない、次の種を取る分は必ず残して置け」と
何度言ってもわからず、必ず全部食べてしまって、日本軍に「種をください」と
しょっちゅうやってきた。「だから駄目だって言ったろ!」と怒りながらも
種や苗を分けていたそうです。
その人は物静かで穏やかに話すやさしいおじいさんで、痛みを伴う検査でも
「あー、またあれかー。痛いんだよね」と言いながらも頑張っていました。
でも「俺は軍人だったんだぞー!」と威張りちらすような人は、根性無しが多かった。
137:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 15:07 UOATmdbQ
食糧難回避の為か父の小学校では校庭を潰し農作物を栽培していたそうです。
のんびりした土地柄なのか最初のうちは監視も緩かったそうですが、
配給も切迫してきた頃になると、勝手に引っこ抜いて持っていてしまう人や、
腹を空かせた悪童がやはり勝手にもいで食べてしまったりして、それを防ぐ為に、
男の先生が見回りや監視をする為に宿直をするようになったとか。
で、うちの父もその悪童の1人だったようで、よく仲間と示し合わせて学校に
忍び込み、芋とか野菜を食べてたとか。
1度運悪く当直だった先生にみつかり、「こんなことじゃ立派な兵隊さんには
なれんぞ!」としこたま怒られたそうです。
が、そのまま素直に怒られていればいいものを、父は「腹が空いてたら立派な
兵隊さんにはなれません」と言い、先生を余計に怒らせて、顔の造詣が変わる程に
殴られたそうです。
この話を婆さんから聞いた時、「あの子は昔から1言多かった」と
言ってました。
138:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 16:56 mbiiJEVW
>>136
いいなあこういうの。またーりと笑った。
139:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 19:15 j1DVxPJJ
なにげに覗いてみれば、良スレじゃないか
140:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 19:23 zvSYCUjP
私のおじいさんは炊事兵だったらしい
141:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 20:28 xJtrbav9
俺の叔父さんは戦争当時鹿児島に住んでた子供だったんだけど
沖縄に物資を運ぶ輸送船が米軍に沈められると、我先に
流れ着く缶詰などの食料を泳いで取りにいったそうだ
飢えた子供心に早く船が沈んでくれないかな~と期待してた
罰当たりだと苦笑いしてたよ(笑)
142:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 20:35 ZtpAYF1t
学校で髪についたシラミの数当てっこが流行っていたと父は言う
143:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 20:51 VzZXD7cr
>>58
I丸教授ですか?
144:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 22:53 i91zZQqz
旦那(中国人)の祖父 毛沢東と蒋介石の戦争で 結構土地持ちだったので
土地を守る意味で自腹で軍隊をつくっていたそうですけど 蒋介石が追い詰められて
最後の方になったら 一緒に台湾に逃げようってお誘いを受けたそうで。
ただじいさんは 家族がいっぱいいたんで 台湾には行けなかった為
戦後18年間投獄されて 指1本ないです。
この為義母は結婚が遅かったし 叔父さんは中国の大学に行けなかった。
しかしもっとすごいのは 歴史上の人と友達の爺さんがピンピンしてる事。
もうかなり前から危ない危ないと言われているけど
昔の人だから 頭はボケてるけど 体はしっかりしてる。
145:おさかなくわえた名無しさん
04/03/06 23:02 H9ZDd1Z5
>>144
投獄されたって、中国政府(毛沢東側)に?
すごい人生だな…
146:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 00:57 QYxoabKI
自腹で軍隊ってのもすごい。
147:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 01:32 bDw0s2jU
おれの叔父さんは南方に行ってたらしいのだが、ジャングルでたまに
敵機が飛んでくると38式で地上から応戦してたらしい。でもあたりゃしないし
あとの掃除がめんどくさいので、撃ったふりだけしてたって言ってた。
148:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 18:19 RXkbvDFI
精神科相談 引きこもりになった兄
○相談者:
26歳の兄は、学校での再三のいじめがきっかけで人が恐くなり、引きこもるるようになりました。
もう12年程になります。家では、昼夜逆転の生活で、マンガ、アニメ、ゲーム、パソコンに夢中で、
家事も全くせず、文句だけは言い、一番いばっています。今は、一日中自分の部屋に引きこもって
パソコンに向かって、インターネットの掲示板に何か書き込んでいることが多いようです。兄が
パソコンから離れたすきにのぞいて見たら、「非国民!」、「売国奴!」、「ブサヨク死ね!」、
「チョン死ね!」とか、兄はネット上の見ず知らぬ人に対して罵倒ばかりの文章を掲示板に沢山
書き込んでいました。兄が戻ってきて、私がのぞき見していたのがばれると、「お前はブサヨクの
スパイか?」、「売国奴は出てけ!」とか、兄は意味不明の言葉を叫んびながら、私を責めつづけ
ました。ある日、兄が右翼団体に入会したと家族に告げました。兄は無職なので、右翼の会費を
支払えと家族に命令しますが、断ると、激怒して、「国賊め!お前らがブサヨだから、日本が
駄目になるんだ!日本再生こそが日本人としての義務だ!協力しろ!」とか、おかしなことを
口に出して、両親や私を責めつづけ、食器などの物を家族に向けて投げたり、「殺される!」かと
恐怖を感じ、結局、毎月、払うはめになってしまいました。「これじゃいけない」と何度も家族で
話し合ったりもしましたが、両親は、「もし動いてみて、これ以上悪くなったらいやだから」と、
どこにも相談にいこうともしません。兄は、音に病的に敏感な面など、ちょっとしたものは多々
あり、ささいなことで激怒し、怒りだすと何時間も家族を責めつづけ、暴力も有ります。
兄は、ただの対人恐怖のある引きこもりでしょうか? それとも精神病でしょうか?
○精神科医:
12年間も引き籠もっている事と、ネット中毒の事と、些細なことで暴力をふるう事を合わせると、
あなたのお兄様は精神分裂病(統合失調症)と診断致します。
放置している御両親の姿勢は、問題を先延ばしにしているに過ぎず、最悪の結果に繋がるでしょう。
一日も早く受診して治療を始める必要があります。
149:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 18:53 erMDwrOC
シンガポールに行った祖父。クサイ果物で有名なドリアンがうまかったそうだ。他にマンゴーや果物をよく食べてたらしい(W 88歳、目は悪いが元気です!
150:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 19:08 o5eVP7Ww
死んだ祖父の話。
当時珍しかった車の免許を持っていたので、軍隊に入って中国に送られた後もわりと優遇されていた。
ある日チーズが支給されたが、日本では見たことすらなかったので、
石鹸だと思ってそれで体を洗ってしまった。
いろいろ楽しかったらしく、「もう一回戦争行きたい」とよく言っていた。
一方、国内の軍需工場で看護婦していた祖母の戦争話がグロイのばかり。
腐った足をのこぎりで麻酔かけずに切ったとか。
不調を訴え駆け込んできた近所の子供に虫下し飲ませたらうどん一玉分出たとか。
のこぎりの話を聞いたときは子供だったのでこわくて泣きました。
151:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 20:49 7u/TDWlq
かなりのすれちがいだが
戦後○○年たってやっと出てきた男の話がききたい
152:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 21:03 /SAH7tRr
爺ちゃんが「わしの教え子が会いに来る」とかよく言っていたので、爺ちゃんは
学校の先生だとずーと思っていたが、実は陸軍のスパイ学校の教官だった。
153:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 21:18 t65/o+9a
>152
中野学校かよ!
154:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 21:20 TnFQs3Se
どっかの山奥から出てきた奴か
155:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 21:24 i+29kNau
>>64 64の爺さんに惚れたぜ
156:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 21:30 i+29kNau
>>78 ひぃぃぃぃ。笑えるような笑えないような…
157:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 22:10 8WUspnaT
第二次大戦中のドイツにて
A「良い知らせと、悪い知らせがある。どちらを先に聞きたい?」
B「良い方を先に聞かせてくれ。」
A「実は、アドルフ・ヒットラー が死んだ。」
B「本当!?。ところで悪い知らせのほうは何だね?」
A「今の良い知らせが、実はデマだと言う事だ。」
158:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 22:43 +oLWz+kD
>>114 叔父さん、そりゃぁ辛かっただろうな。
ありがとう、笑わしてもらったよ。
159:おさかなくわえた名無しさん
04/03/07 23:31 DLK6MQCg
私の亡くなったおばあちゃんは、戦時中、空襲警報が鳴っても、
まだ赤ちゃんの母を抱っこして飛んできた飛行機を眺めていたそう。
(「死ぬときは死ぬんだろうから」、ってw)
それで私が聞いた生前のおばあちゃんの発言、
「最近の飛行機は小さいねぇ。戦争の時飛んで来た飛行機はもっと大きいなんやったよ。」
そりゃ、空襲に来たB29は頭すれすれを飛んでたからやろー、
最近のジェット機はもっと高いところ飛んでるからやん、と母につっ込まれ、
「ほんになぁ」て感心してましたw
おっとりした京女のおばあちゃんでした
160:159
04/03/07 23:35 DLK6MQCg
「大きいなんやったえ」って言ってたかな。
もう亡くなって20年たつので、おばあちゃんの京都弁忘れてる…
161:おさかなくわえた名無しさん
04/03/08 04:04 GsjLSSsL
でもB29もかなり大きな機体で
それなりに高い高度を飛んでたのさ
162:おさかなくわえた名無しさん
04/03/08 05:54 5dMqhQdq
>>137
太平洋戦争中に小学校があったの?
163:おさかなくわえた名無しさん
04/03/08 08:25 lNp+hC9H
>>162
「国民学校だろ?」と言いたいのだろうが、そんなことどうでも良くないか?
164:おさかなくわえた名無しさん
04/03/08 09:19 y8W9MJgM
うちの爺ちゃんは、料亭の調理人をしていたので、
陸軍部隊の料理人として従軍したらしい。
戦時中だというのに、つまみ食いばかりしていて
戦争が終わって帰ってきたら、
前よりも太っていてびっくりしたと婆ちゃんがよく言ってました。
165:おさかなくわえた名無しさん
04/03/08 10:16 lZpQp3Sz
>150
うちの爺様も自動車免許持ってたから補給部隊っていうのか?
そういう後方にいてあんまり戦争らしいことをしなかったみたいよ。
上官と南方の王宮に行ったらもぬけのカラで便所がスゲーきれいだったっていってた。
余裕だな・・・w
166:おさかなくわえた名無しさん
04/03/08 21:21 y5AiJK1f
うちのじーちゃんは、戦車の運転免許を持ってたんだけど、
戦車の数が足りなかったのか、ほとんど歩兵として戦ってたらしい。
銃剣の突っつき合いで13人殺したと言ってた。
大陸へ出征したんだけど、飢えも酷く、動くものは何でも、果てはベルトや革靴まで食べたらしい
シベリアにも抑留された。でも機械の技術を持ってたので、
かなり大切には扱われたんだけど、とにかく寒かったそうな。
戦争には酷い思い出しかなく、あまり話してくれなかった。
俺が趣味のサバゲーで兵隊の格好をしているのをみると、複雑な表情をしてた。
167:おさかなくわえた名無しさん
04/03/08 23:15 gOlBDrJS
ベルトで思い出したが、学校の先生のしてくれた話によると、
ベルトは海に浸して食べると塩味が染みておいしいらしい。
168:おさかなくわえた名無しさん
04/03/09 01:25 hPMPYnlC
神戸で空襲に遭った爺さんに聞いたんだけど
焼夷弾の誤爆で山から焼け出されたイノシシが
ちょうど頃合に焼けてて美味かったそうな。
あと焼け跡からすごいいい匂いが流れてきて
よく見てみれば味噌屋が全焼してて、焼き味噌ができてたとか。
そのへんに転がってた鍋に入れて持ってかえって
しばらくは飯のオカズに困らなかったそうな。
169:おさかなくわえた名無しさん
04/03/09 01:56 vdeFIf4Y
兵隊さんとして台湾に行っていたおじいちゃんの話。
住まわせてもらったのは砂糖工場のおうち。食べ物といえばバナナばかり。日本に帰ってから、彼はほとんどバナナを食べることは無かった。
しかし、「あるある大辞典」そして「思いっきりテレビ」でバナナがとりあげられると、彼は熱に浮かされたように「サトミ(my母)さんバナナは無いんかのぅ」とバナナを求めるようになった。
ちなみに彼のお昼のテレビは「思いっきりテレビ」と決まっているのです。
170:おさかなくわえた名無しさん
04/03/09 09:17 8uSNeS1J
股間のバナナでサトミさんを(ry
171:おさかなくわえた名無しさん
04/03/09 10:36 eWVSlRUn
>168
火事場泥棒の孫はっけん。
172:おさかなくわえた名無しさん
04/03/09 21:47 j01U+Pij
長崎・広島に原爆が落とされたあと
メディア(新聞)が新型爆弾が落とされたら白い布で身を覆うとを進めて
それを知ったある兵士たちが「新型おばけだ~」と白いシーツをかぶって兵舎を走りまわったそうだ
173:おさかなくわえた名無しさん
04/03/09 23:00 9M2LkN9e
うちのじいちゃんはロシアの捕虜になったそうなんだけど、
ロシアの兵隊と仲良くなって毎日麻雀したり遊んで過ごしてたそうだ。
174:おさかなくわえた名無しさん
04/03/09 23:28 ql3vlgLS
うろ覚えだけど、うちのばあちゃんの弟の話。(つまり私の大叔父さんだけど)
南の方の国だったけかな?
そこの戦地に兵士として駆り出された弟は数ヵ月後、
戦死したと実家に通告が・・・。
おばあちゃんたちは、勿論のこととても悲しがっていた。
そして、また数ヶ月たって庭にいたら、
何と死んだはずの弟がそこに立っていて、幽霊だと腰を抜かした。
・・・と思ったら足があった。
本当に生きているのかと疑ったが、そこに立っていたのは元気な弟。
その弟・・・つまり大叔父さんは今もご健在。
・・・とここまでは笑える話かな?
戦地では、カエルも食べてしまうほど餓えていたり、
命乞いする相手を命令で仕方なく撃ったり・・・とかなりキツイ経験をしたらしいけど、
生き延びた後も奥さんに逃げられたりと大変だったけど、
今は子供に大事にされて平穏な生活を送っているよ。
段々笑えるというより、せつない話になってしまったけど、
この戦時中の経験から二度と戦争はしてはいけないと思ったって。
175:おさかなくわえた名無しさん
04/03/09 23:36 ze8eoht6
マジスレすまん
O型の血液は別の血液型の人間に輸血しても凝固しないと言うのは
ABO形式の血液判定では AA、AO、BB、BO、OO、AB(RH-はちょっと脇に置いときます)と種類がありまして
その内AO、BOの場合O型の因子を持っているために固まりずらいと言うわけでございます
AA、BB、ABの場合は赤血球が集まり凝固してしまいますDEATH
176:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 00:53 ofR6BaK9
ABO形式の血液判定って
種類としてはA型、B型、O型、AB型しか無いと思うのだが。
177:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 01:03 oTNlOn5C
>>176
ここ見れ
URLリンク(www.abo-world.co.jp)
URLリンク(www.asa-hosp.city.hiroshima.jp)
178:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 01:09 ofR6BaK9
>>177
遺伝子系と表現系は違うのだが。
179:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 01:18 k78tqgtG
>>175
O型血液を輸血しても凝集しないのは
O型の赤血球にはA抗原もB抗原もないからだよ。
180:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 01:39 aey6Acpr
正直、他所でやれ。
181:
04/03/10 02:37 Ouvl2B4Z
散歩で検索して出なかったので多分既出ではないと思って書く。
伊集院のラジオで聞いた話だけど、
ある戦時中の日、おじいちゃんが散歩に出かけたそうな。
しかしそのおじいちゃん何を思ったかいきなり漁船に乗り沖へ。
そしてソ連のシベリア海軍に拿捕され抑留をくらい強制労働。
そして終戦数年後、開放され日本に帰還。
長い散歩を終えたそうな。
伊集院も言ってたけど本当生きて帰ってきてよかったね。
まぁネタの可能性も捨てきれてはないけど。
182:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 05:40 nj+9LxCG
母方のじーさんはむちゃくちゃリベラルな人だった。
戦時中は天津に入植して工場やってたんだけど、
敗戦で帰国する時、優しくて金払いのいいじーさんとの
別れを惜しんだ中国人雇用者たちに泣いて見送られたそうだ。
親父は縁故疎開してたんだけど、そのせいか
「田舎で虫とったりして遊んでばっかだった。天国だった」
と悲愴感ゼロの話しかしてくれない。
183:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 08:28 Gp37BYga
うちの母方の婆ちゃんも、ど田舎の農家(曾婆ちゃんの実家)にいたので
食べ物の心配も無く呑気に暮らしてたらしい。
仙台の空襲の時も、遥か遠い空が赤く焼けるのを見物してたそうだ。
玉音放送も緊張感無く聞いてたらしく
今もふざけて「耐え難きを耐え~」をよくギャグに使う国辱者の婆ちゃんです。
184:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 10:40 gxMSX+HN
━━━台湾沖航空戦は笑えた!
航空母艦撃沈1隻ごとにカウントしてたのってオレだけ?
(よっしゃー10隻突破!よーし次は20隻突破しろーって)
でも結局は巡洋艦2隻しか撃破してねえんだよね。。全然、騒ぐほどじゃないし。
台湾沖航空戦は笑えた。まじで
大本営発表で知って、手を叩いてわらったなぁ。
おまえらが撃墜されてる間、家でみかん食ってた
アホだなーこいつらって思いながら
わざわざ台湾沖まで行って記念撮影しようかと思ったよ。
でも台湾沖航空戦のおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし
結果的には良かったんじゃないかな。
たしか軍司令部が敵機動部隊健在の情報を無視してたけどさ、
あそこらへんって大本営発表を疑う奴が多いからそのまま全滅させたかったんだよね。
ところで航空部隊が全滅して、あいつらって米艦隊にどう立ち向かったの?
もしかして戦艦だけでレイテへ特攻?神風吹かねえかなぁー。
どちらにしろ敵機からの映像はまさに友軍機がゴミのようで壮観だった!
気持ちの良い夕刻でした
185:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 10:43 rqXLoEa6
内容がマニアックすぎてわかりません
186:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 11:33 KeueXmRI
>184
元ネタ知っている人いなさそうだぞ。
もう誰も関心してくれないよ…
187:187-1
04/03/10 14:45 KRilA1id
私の父は、戦時中に群馬に疎開していました。
しかし、父はその間のことを殊更語るでもなく、
私達子供もわざわざ聞くことがなかったので、
その詳細を知ることはありませんでした。
「群馬にいた」ということも、私が旅行先で「群馬総社」という
変わった駅名(失礼)を見た、と話した所、「懐かしいな」と言って
初めて知ったくらいでした。
さて、5年程前の私は、「芋ようかん」を食べたことがありませんでした。
TVでその存在を知り、「食べたい」と言うと、父は何とも言えない表情で
「おれの子供の頃は、おやつといえば芋ようかんだったものだ」と言いました。
私は「懐かしい→久し振りに食べたい!」ということだな、と思い、
大きなパックの芋ようかんを、ある日のお土産にしました。
「お父さん、芋ようかんだよ!」とまだ温かい包みを手渡すと、
やはりこの間のような何とも表現しがたい顔をします。
188:187-2
04/03/10 14:46 KRilA1id
「?嬉しくないんだろうか?」とも思いましたが、
渋茶と一緒に出すと「うん、こういう味だったな」
と言いながらもぐもぐと食べています。
妙な違和感がありましたが、それが何だかは分かりませんでした。
後日、会話の中で「また芋ようかん買ってくるよ」と言うと、
父はしばらく躊躇した後で、「実は芋ようかんが好きではない」と言い出しました。
唖然とする私に、
「戦時中にそればっかり食べてたから、もう一生分食べ終わっちゃったんだ」
「そのせいで、大人になってからは芋そのものも嫌いで・・・」
という父の告白。
父が積極的に戦時中の体験談を語らないので、
私は彼が辛い日々を過ごしたのかと思い込んでいました。
今でもその真実は聞き出していませんが、この芋ようかんの件で、
彼が教科書やドラマに見るような「清く正しく貧しく辛く」ではなく、
「もー芋ばっかりヤダ(゚⊿゚)」という(ある意味フツーの)子供時代を
過ごしていたのが垣間見られ、何やら今までにない親近感を覚えました。
ちなみに、今の父の好物はチョコレート。
タイムマシンがあったら、少年の日の父に届けてみたいものです。
189:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 18:23 kpbU3LhY
>>188
最後の一行と同じ話を以前なんかで読んだ気が
190:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 18:34 nvjxitA8
.__
ヽ|・∀・|ノ 嫌われ者のようかんマン参上
|__|
| |
191: ◆65537KeAAA
04/03/10 18:51 AZvDGD2w
>>190
普通の羊羹じゃん…
192:おさかなくわえた名無しさん
04/03/10 23:57 w27OdGll
>>189
ドラえもんの、のび太が髪の長い白百合のような少女になって
疎開中のパパにチョコを届ける話だと思われ。
193:おさかなくわえた名無しさん
04/03/11 00:07 i0vGTAS/
>>25
うちの爺さんは軍施設勤務のお陰で生活できたというてたが
婆さんの住んでたとこは夕暮れになると米兵が「ムスメイルカ」と
各家を周るので姉と一緒に軒下で寝てたらしい
194:1
04/03/11 01:55 DgWwgs5w
ああ、育っていてウレシイ……。
どのお話も、なんだか味わいがあって素晴らしいですね。
こういう話って殆ど本にならないし、テレビとか新聞でも特集されないだろうから、自分で言うのもなんですが
とても有意義な感じがします。
195:おさかなくわえた名無しさん
04/03/11 13:05 uOjxE4Wr
うちのじいちゃん戦時中、川崎重工の工場で働いてますた。
工場で働いてる挺身隊の女学生が働きすぎでかわいそうだと工場長に言ったところ、次の日特高の人が来たそうでつ。
共産主義者じゃないかと疑われたらすいでつ。
むかついたんでその日に辞職したそうでつ。
このあいだ亡くなりますた、かっこいいじいちゃんですた(´・ω・`)
196:おさかなくわえた名無しさん
04/03/11 16:55 HjDf6vEV
婆さんから聞いた話。
空襲がある時は何時間か前から、情報が回ってきてたそうです。
(爺さんが武器工場で働いていたからかな?)
実際には空襲が無かった事もあったのですが、「今夜はかなり危険」と聞いていたので
その晩は防空壕ではなく山まで家族で逃げていたら大空襲だったらしい。
この前、聞き出した話では
米軍飛行機が落ちてくると、乗っていた米兵が生きていても皆でリンチして殺してしまった事も
あったそうな。
28さんも同じような内容レスされていたので、これって当たり前の事だったんですね(ー_ー;)
他にも親父の姉、つまり婆さんの長女が戦時中に赤ん坊だったのですが、病気と栄養失調で亡くなった
話とか出てきたんで、さすがにそれ以上は色々聞けなくなってしまった。
197:おさかなくわえた名無しさん
04/03/11 19:15 lgTq82xm
去年亡くなったうちのおじいちゃん、おいらが子供の頃に
よく戦争の話をしてくれた。
いつも目を輝かせて嬉しそうに日本は凄かったんだぞって
よく聞いた。
そういう中で育ったおいらにとってあの戦争はとても
ポジティブな印象がある。
198:おさかなくわえた名無しさん
04/03/11 22:58 BYOpel2g
>>197
一応、最初は日本軍が連戦連勝でしたしなぁ
進撃しすぎて補給路が途絶えてからは悲惨そのもの
内地でも日本軍の制海・制空権が取られてからは、物資の不足に空襲の連続で・゚・(ノД`)・゚・。
199:R
04/03/11 23:55 rTZyGCci
>>196
手塚治虫氏のマンガにも、
空襲の時、落ちてきた敵機のパイロットがリンチされているところを見たと言う話がありましたね。
200:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 00:13 HA7I8jel
当時のB-29搭乗員の記録だと
無差別爆撃やってるのは自覚していたみたいで
日本国内に不時着したら多分リンチされて殺されると思い
パラシュート無しで出撃した搭乗員も結構いたらしいね
あと蛇足ながら、大戦末期にはB-29搭乗員がもし不時着して日本軍に捕まった場合は
自分の知っている情報は隠さず話して構わないという命令が出ていたそうな
まあ、戦争の行方が見えて来た時期でむしろ兵士の身の安全の方を優先し始めたせいだろうけど
201:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 00:36 HtAYwwrC
笑える話キボン
202:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 00:52 SbmXinNW
昔、近所に『ロスケじじい』と言う仇名の爺さんがいた
目の前が海で漁船等が通る度に「ロスケが攻めて来るぞ~!」と叫んでいた
お祭の日になると将軍だか元帥だかの制服を着てご満悦だった
実はこの爺さんは唯の下っ端の兵隊で(かなり虐められていたらしい)
着ていた制服や勲章は戦死した上司のものだった事が判明し
俺の爺ちゃんに怒られてた…!
乗っていた船が爆撃で沈没した時にドサクサに盗んできたらしい。
203:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 01:12 Cbipo13W
獣医だったウチのじいちゃん。
戦争にも獣医として赴いたので(中国かな?)
人を殺めたり、負傷したりはなかったらしいが
南九州出のバカほど酒好きな人で、焼酎呑めないのが辛くて辛くて…
辛抱たまらなくなりエタノールだか何だか消毒用のアルコールを
薄めて、夜な夜な呑んでいたそうでつ。
終戦後25年たって、肝硬変でなくなりました。
そんなじいちゃんの遺伝子は、しっかり私にも受け継がれてるみたいです。
204:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 01:25 9hYlLXOt
>202
すげえ、ロスケジジイ最高(藁
平野耕太の漫画とかに出てきそうな感じだ。
205:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 08:53 WXzZ7inl
>204
ロスケと聞いて弘兼憲史「ハローハリネズミ」を思い出した漏れッテ・・・
206:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 08:59 NH03HK9e
>>198
つーか、今思われてるほどの暗黒時代でも無かったらしいよ。
むしろ終戦翌年頃のほうが悲惨で、餓死者も戦争中より多かったほど。
実家が中国地方(広島)なんだけど、ここらは終戦後に英連邦軍が進駐してきて
ターバン巻いたインド兵がいて驚いたと死んだばあちゃんがいってた。
家の土蔵が接収されて物資倉庫になったら、オーストラリア兵が
それを盗もうとして、大暴れしたので憲兵隊に文句言いにいったら
ライフル持った警備兵をつけてくれたとか。撤収する時に残った缶詰
をたくさんくれたらしく、この間中を片付けてたら錆びたでかい缶詰が
10個ほど出てきた。中をあけるとジャガイモの粉末(チョットなめた)。
水で溶かしてマッシュポテトにするもののようでした。
親父に聞くと「これ不味かったから」と申しておりました。
終戦後の話で、スマソ。
207:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 09:20 wMxWcTu1
うちの母親も田舎の商家だったから、めったに空襲警報も出なくて、
戦後は進駐軍が買い物にくるとお金の代わりにかんづめとか食べ物とかを
たくさんおいてってくれるから全然困らなかったって言ってた。
近所に俗に言うパンパンさん(さんづけもおかしいが)がいて、ハーフの娘さんを
生んですごく可愛い子だったが、すぐにどこかへ行ってしまったとか、ディープ名話を聞けますた。
208:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 09:52 YesdJ7Xd
うちのじいちゃんが言うには、戦争が起こる前から三国人の犯罪は多かったらしい。
8月15日を境に、奴らは戦勝国のごとく、略奪や強姦、放火を繰り返していったという。
209:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 10:53 NH03HK9e
>>208
当時は裕福な層と貧しい層の両極端だったから、三国人でも陸軍将校になった人
や旧帝大に入った人もいればそうでない人もいたわけですな。
210:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 11:33 7dDK4pQA
俺の爺さん、ドラゴンボールのナッパにそっくり。
上官にしてみれば、
身長が185センチ以上あるナッパに常に睨まれる訳で、
最初は理不尽な命令とかイジメとかしていたらしいけど、
爺さんのあまりのコワモテ具合に怖くなって、
「頼むから、君はあっちの方で芋でも作っててくれ」って
戦闘なんかには全然参加せず、芋作りしていたんだって。
ちなみに爺さんから遺伝したのは、眉毛だけ。
俺の身長、168センチしかないでつ・・・。
211:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 11:34 DL6Hvm2U
うちの親父は空襲で機上掃射があったら、飛行機が飛び去るのを
待って弾を拾って遊んでたそうだ。
212:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 14:09 Pp46pdEd
母方の祖父(故人)の話。
昭和18年、祖父に招集礼状が来た。
そこで祖父の父親が「戦地に赴く前に、結婚させてやろう。」と思い、祖父にこう尋ねた。
「誰か結婚したい相手はいないか?」
祖父に彼女等の意中の相手がいたわけではない。
祖父は「○○さんちのA子さんか、△△さんちのB子さんがいい。」と、近郊で評判の美人の名前を2人挙げた。
祖父の父親は、「○○さんちは知り合いではないが、△△さんちなら知り合いだ。」と△△さんちに結婚話を持ち掛け、
双方の親が同意して、祖父はB子さん(つまり祖母)と結婚し、2ヶ月後戦地へ向かった。
適当に言ってみて、評判の美人と結婚できた祖父はもーけモノだっただろう。
戦争が無ければ、祖父があんな美人とは結婚できなかっただろうね。
でも、知らんヤシと結婚させられた20歳の祖母はチト可哀相だったかも。
仲良し夫婦だったから、まあ、良しとするべw
213:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 14:17 VQWiSONw
>>212
まぁ大恋愛を経て結婚した夫婦がうまく行かないこともあるし
親同士が勝手に決めた結婚でも上手く行く事もあるし・・・
214:212
04/03/12 14:19 Pp46pdEd
ついでに父方の祖父(健在)の話。
昭和18年、祖父が仕事をしていると、父親に呼ばれた。
「おい、午後からお前の結婚式をやるから、今から仕度しろ。」
祖父ポカーン。
こんなご時世、いつ戦地に行くかわからん。行く前に結婚させてやろう、とこっちの祖父の父も思ったらしい。
そんなわけで、相手の事を何も知らないまま、いきなり結婚してしまいました。
その時の結婚相手の祖母も、家長命令に逆らう事もできず、急ピッチで縁談が進められ、
あまりにも急な話で、結婚相手の写真すら見た事が無いまま結婚式となり、
いざ結婚式で、祖父&祖父の弟×2と若い男が3人並んでるのを見て、
「私と結婚するのは、この中の誰なんだろう…?」と考えていたそうな。
215:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 14:53 B+fs89vN
戦争っていいな。
216:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 14:59 apvnLh8Y
>>214
すげえ話だ。
217:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 15:01 ETu6xXx5
そういう時代だったら、今モテない板でくすぶってるような男も
ほとんどが結婚できたんだろうなあ。
218:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 15:04 jHaytWDB
戦争中、小学校に通っていた大叔母(祖母の末妹なので祖母よりだいぶん年下)は、
「皇后陛下からのお菓子」というのを学校でもらった。
全部自分で食べちゃえばいいのに、めいにあたるうちの母親にも食べさせてあげなきゃ、と
思って家に持ち帰り、分け与えたらしい。
が、母親は全然そのときのことを覚えていなかった。
戦争がひどくなって、祖母は母を連れて疎開。疎開先は祖父の実家だったが、祖父の実母は
すでになく、実父は再婚していた。つまり祖母にとっては他人同然の家となってしまっていた。
そこでその新しい妻にいじめられたりしながら慣れない畑仕事をしたり、急に環境が変わった
せいでおねしょが直らなくなったうちの母親に手を焼いたりしてたらしい。
そのことを50年以上経った今、祖母はよくわたしにぐちる。
219:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 15:06 jzJ6LUAy
>217
214の場合は、それなりの財力やら権力があったんじゃないの?
別に金でひっぱたいたというまで言うつもりはないが。
220:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 15:12 wBbL1leF
>>212 >>214
戦争未亡人にならなくてよかったね。
でも戦後まで待っていたら男の数は激減していたから
行かず後家サンになってしまった可能性もある。
ある意味お嫁サンも幸せだったかも。
221:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 15:13 ETu6xXx5
>>219
下々でも普通に親が知り合いどうしだからハイ結婚ってのばっかだったらしいよ。
うちの曾祖父・母なんかもそう。
222:212・214
04/03/12 16:13 Pp46pdEd
>>219
当時の祖父家に財産はありませんでした。(今も無いがw)
昔はあったらしいけど、祖父の父とその兄弟が若い頃に遊びすぎ、その頃にはありませんでした。
>>220
父方祖父は戦後すぐに帰ってきたし、
母方祖父はシベリアに抑留されたけど何とか帰って来れました。
運が良かったと思う。
223:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 16:35 KPHziecn
戦争中の話ではないんですが
実家は北九州にあり、うちの曾祖父は毎年8月15日になると東京の靖国神社に出掛けていた
私は東京に行くのがすごく羨ましくて、高校生の頃に無理矢理連れていってもらった事があった
そして靖国参拝の日
私はホテルで綺麗な服に着替えさせられ、祖父や祖母、親戚一同も同じように着替えをすませ曾祖父を待った
曾祖父が来ると私は目を丸くした
杖は突いているが背筋を真っ直ぐに延ばし、真っ白な軍服に着替えた曾祖父がいた
私はこれから何が起こるんだろうとガクブルしていたけど、普通に参拝して終わりだった
靖国を歩いている人が私たちの集団を見て、何事かという表情をしていた
その中で何人かのお年寄りが曾祖父を見て敬礼をしていたのが印象に残っている
その人たちに敬礼を返す曾祖父は最高にかっこよかった
もう5年も前の話
今でも曾祖父はその日になると靖国に出掛けています
224:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 16:40 VQWiSONw
>>223
結婚式のお話を思い出したよ。
=======================================================
泣ける話ではないかもしれませんが… 私がホテル勤めをしていた頃の話。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
一通りの祝いの言葉の後に、
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。
たとたどしくですが話されました。
同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」
と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。
私はその後は仕事になりませんでした。
ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
=======================================================
曾祖父ちゃんをお大事に。
225:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 16:47 ETu6xXx5
うーん。凄い話age
226:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 17:16 b3GZdqo+
>224
答礼、なんて単語が出てくるって事は軍板あたりが出典なのかな?
海自の人達が慌てる光景が想像できてちょっと笑ってしまった。
227:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 17:17 jHaytWDB
>>226
冠婚葬祭板にあった。
228:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 19:01 hXAy3aqz
軍ヲタの自慰的妄想ではないのか?
229:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 21:25 XaEvk/gB
だとしても凄い話だ…。
自分は軍や戦争モノには、からきし弱いのだが(でも「大和」の名は知ってる)、
やはり「大和」と云うのは、海事の人の中で、それだけ偉大だたということだろうか…。
230:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 21:58 c+TrIkId
自分の母方の祖父は軍医だった。南方の島に従軍した。
ある夜敵の奇襲があり、祖父ももちろん逃げ出した。
しかし極度の近眼だった祖父はあろうことか敵の方向に向かって走り出し、
中隊長に「軍医殿! 反対です!」と止められたそうだ。
231:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 22:00 c+TrIkId
ものすごく極端に言ってしまえば
陸軍はとりあえず玉砕型
海軍は敗戦後のことを見越して、できるだけ有能な人材を生かしておこうと色々手を打ったそうだ
232:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 22:00 8j18d7Ay
いや、たぶん大和じゃなくても同じ対応だったと思うよ。
233:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 22:02 Pzl6a9ga
コレは、とある方から聞いたお話。
ある北方方面の部隊に、家族や恋人からの手紙が届きました。
皆、喜んでお守り代わりに胸ポケットに入れて、大事にしてたそうです。
で、いざ戦闘になった時、敵戦車群のあまりの猛攻に、ビビリまくった兵士達は
見つからない様に塹壕の中で這い蹲り、一ミリでも身体を低くする為に、大事な
ハズの胸の手紙をそこら中におっぽり出したそうです。
人間いざとなったら、大事な手紙もへったくれも無いもんですナァw
234:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 22:03 8j18d7Ay
ありゃ、珍しく3レス/2minか。
上の>>232は>>229へのレスね。
235:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 22:13 h2hH4Pwj
戦争話はドラマティックですな。
日本人が侍でいた最後の時代なのかもな。
俺の爺チャンは終戦後、戦中の給料が全部入る1ヶ月前だかに
マッカーサーの命令で給料パーになって本気で泣いたそうな(笑)
どんな命令があったんだろうな
236:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 22:14 VBHK9SDt
>>230
スゲーw
よく助かったね
237:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 22:24 QVugt/Y5
父の郷里の船頭さんは日露戦争に従軍していた。
その人の話。
夜中、便意を催し、野糞にいったところ、
夜襲しようとしていた露兵を発見、
返り討ちをしたそうな。
238:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 22:29 c+TrIkId
やったじゃんw
239:おさかなくわえた名無しさん
04/03/12 23:59 SH8BSOFa
野糞かっ!w
240:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 00:49 /GaeeciR
>229
凄い話ったって自衛隊員の間では
戦艦大和は尊敬の対象かもしれないけど
それを見ていた一般人にとっては(゚д゚)ハァ?じゃないの?
結婚披露宴なのに主役への祝辞もそこそこにして
参列している上司やOBにゴマすってるダメリーマンみたいで
幻滅ですな
あっ、ひょっとして今まで自衛官は正義感あふれる男の中の男だと思ってたのに
上の者に逆らえない有触れた人間だと知ってショックだってこと?→凄い話
241:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 00:54 kjoAi5DO
>240
「輸送船にのってました」とか言ったらぷっって笑われるのかね。
242:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 01:46 v5LQ5CCB
>240
私、元陸上自衛官ですが、少なくとも自分の周りでは冠婚葬祭のような場は特に
「身内のノリを色々と敏感な娑婆に持ち出す」ということがなかったんで、
224の話は228の言うように創作か、海の人たちはそういう習慣があるのかな、と不思議に思いました。
そもそも同僚のものとはいえ結婚式に制服で参加する自衛隊員てあまりいないかと。
いや、まあ、そういう習慣の部隊はあるのかもしれませんが。
243:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 02:41 Kz4guv7f
現職海自です
昔は知らないけど、今は上司、同僚、部下の結婚式に制服着て出ませんよ
新郎本人は着ますけど。
大和って聞いて敬礼ですか…?
しないしない!!
244:おさかなくわえた右翼さん
04/03/13 05:58 K1lF4IAY
作り話なのかもしれないが、よく理解できる話だ。皆さん『戦艦大和ノ最期』
は読んでおられますか?
245:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 06:22 R6EZVIgc
うちのバーちゃんは横須賀の施設育ちで、ハーフ
まっ、理由は判るよね
鼻の穴なんて縦だし、瞳も緑がかってる。若いときはそーと苦労した話を
よく聞いた。
けどそんな過去も、妹に掛かれば「もっと、お婆ちゃんに似たかった~。」
で片付けられる。そんな時バーちゃん「ご免ねー」と笑いながら答えてたなー
強い女性だと思った。
246:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 07:21 qrSAnxfR
>>243
制服着ないんですか!
冠婚葬祭板で,”礼装の新郎友人が整列してお見送り”に
感涙したって書き込み読んだ記憶があるんだけど・・・
警察官だったかな?
247:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 10:29 k7f8WrGl
>>242 と >>243は 少し怪しいな。
248:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 10:54 q8IQr0LW
>>217
出征前の駆け込み結婚って別の意味もあったらしい。
前線で危険な任務が割り当てられるのは、大概独身の兵隊。
家庭もちは比較的大事にされたからだそうな。
非モテはいつでも虐げられる。。。
249:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 11:32 SKaK0u5m
>>241
そうなのか・・・
うちのじいちゃんは元々船乗りで戦時中は輸送船に乗っていた。
4回撃沈させられたらしい。
「乗るんだったらやっぱり軍艦やぞ、輸送船は真っ先に沈められる」
ってよく言ってた。
250:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 11:37 cAZf4TQW
徴兵されて教育団での成績がいいとメジャーな軍艦に配属され
寄港したときの地元の人の受けもいいが、規律が厳しく大変。
成績が悪いとマイナーあるいは小さな船に配属されるが
あまり上官も厳しくなくのんきに暮らせたそうだ。
251:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 12:32 bbEv5EwE
>>249
4回も沈められて無事なじいちゃんにw
うちのじいちゃんはめちゃくちゃ気が短く一番乗りが大好き
内地に出向いた最初の作戦で一番に敵地に飛び込んで
一番最初に狙撃され一番で野戦病院に逝き一番に負傷兵で引き上げてきたらすい
いまだに一番風呂で飯を最初に盛らないと怒ります…
252:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 12:33 vsQgZUKc
>251
死ぬのは一番じゃなかったのかよ
253:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 12:34 Sv/N5LuF
>>246
制服着用での結婚式は普通にあります
その時の時勢にもよりますが
自衛隊パッシングが強い頃、一つの意志を表明する
意味合いを込めて制服着用を行った方もいらっしゃいます
今とは隔絶の感があります。
254:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 12:34 9q6JQ+dH
>>251
なんかいつでも全力投球! って感じで良いな、じいちゃん(藁
255:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 13:22 f528koIJ
>>218
戦争中に小学校があったの?
もしかして日露戦争のときのはなし?
256:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 13:25 LzzPjB0d
>>255
尋常小学校の事だろ?
257:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 13:57 QhSF9GQM
>>247
何が怪しいか分からないけど…!?
>それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
↑右手を翳す敬礼をしたのでしょうか?(ちなみに挙手の敬礼と言います)
258:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 15:42 mpjwgZsH
益々怪しいな。>>257
259:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 16:06 i+G+fHLJ
>>256
>>255が言いたいのは、
小学校が国民学校になったのは昭和16年4月だから、アメリカと戦争している時は
小学校ではなく国民学校ってことでは?
260:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 16:13 7LTr2781
父から聞いた話ですが
小学校の時下駄を履いていたらしいのですが
あまりにボロになっても買ってもらえないので
田んぼに捨てて「無くなった」といったら新しいのを買ってくれたらしい
しかし数日後稲刈りで 捨てた下駄が発見され
こっぴどく叱られたそうな
261:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 16:31 AGKwU5wT
うちの爺様は獣医さんだったのに、
従軍の医者が足りないとかで軍医に駆り出されて
兵隊さんたちに「獣医のセンセ・・・」と怖がられたらしい。
昔の獣医さんって、牛馬を治す職業だからねw
よく、「軍医殿、こいつは出血が凄いです先にお願いします・・・!」と
担ぎこまれてきた兵隊さんを見て、「(む、このぐらいは出血に
入らないから大丈夫・・・じゃない、人間だ!!)」と慌てたそうです。
その爺様は小柄で運動音痴で足もトロく、
中国に行ってて、明け方敵襲に会って負傷兵がたくさん出たときに
まだ寝てたら「軍医殿ぉーーーー!!」と怒鳴って呼び出され、
慌てて準備して走ってたら、あまりの足の遅さに見かねた
兵隊さんに鞄ごとぽいっと持ち上げられ、みんなに次々パスされて
すごい速さでテントまで放り投げられ、「車酔い」みたいになったそうです。
262:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 16:50 LYl8G/CX
>>261
やっぱり獣医が人医としてかりだされた話は本当だったんだ。
近所の医者(もう引退)は獣医だったのが、戦争で軍医として
かりだされ戦地に。戦後はもちろん人医の免許がないので、
学校に行きなおして医者になったと聞いたことがあったのだが
本当の話かどうか疑っていたんだ。
263:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 18:25 qmM24MFJ
でも正直牛馬のほうが人に近いと思う。でかいし。
これが現代で、犬猫ならまだいいが、
イグアナだの小鳥だのの専門医が狩り出された日にゃ…。
まあ医者余りまくってるし大丈夫か。
264:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 18:48 TNSU8vEv
大和より長門に乗ってた方が俺的には萌える
265:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 19:40 gyh63ZR8
>>261
人身リレーワロタ
266:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 19:45 Tw5Ntxz8
朝鮮半島や満州で鬼畜な行為をしていた爺さん達の話も聞きたいな。
267:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 19:52 v7+CAJjq
神戸・・
空襲警報が鳴ると塀の上に芋を並べておく。
焼け跡に行くと、焼き芋ができている。
それと、爆撃中に逃げるとき、爆弾が落ちた穴の中に入って
休憩する。「一度落ちた跡にもう一度落ちる確率はほとんど無い。」だって。
268:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 19:55 WCgWfQIe
>>266
ベトナム戦争で韓国軍の行った鬼畜行為も聞きたい
269:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 19:57 LJdYYwij
朝鮮半島では敵国じゃないから鬼畜な行為なんて出来ないんじゃ。
満州や台湾ならわかるけど。
じいさんは悪いことをしてがっぽり儲けて女遊びも相当激しかったようだ。
もう死んだけど。
そんなじいさんと金がなかったばかりに結婚できなかったうちのばあさんは
当時女学生で飛行機を作っていた、と言っていた。
さぼって南座でお芝居を見ていたとも言っていた。
270:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 20:02 fTZExf4Y
満州といえば、父の一家は戦前から満州の大連にいたんだが、
終戦後祖母と父達子供ら五人で引き揚げる事になった際(祖父は兵隊に取られてた)
船に乗り込む順番が中々まわって来なくて、手持ちの金がつきかけた時、
周りの引き揚げ者から『お召し』(昔の訪問着の着物。大概絹織り)とミシンを買い込み、
(手荷物制限があるので、船に持ち込めない荷物を売っている人が一杯いたそうで)
『お召し』をほどいてドレスに仕立て直してロシアの女兵士に売り付けて金を稼ぎ、
見事子供ら一人も欠ける事無く日本に戻ってこれたそうだ。
その頃の『お召し』は生地も上等でたっぷり布を使っていたので、一枚の『お召し』から
三枚のドレスが作れたそうで、今まで『絹のドレス』など手にした事も無い女兵士達に
それはもうひっぱりだこだったそうで…
ちなみに材料の仕入れと、裁断としつけは祖母。ミシンをかけるのと売りに行くのは父(13才)。
おかげで父は今でもミシンを扱えるし、カタコトだがロシア語が話せる。
もしかしたら今もロシアのどこかの家に、祖母と父作のドレス(微妙にアジアンテイスト)が
眠ってたりするんだろうか。
271:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 20:06 6xgGamz0
>246
私の旦那さん(海自)と結婚した時、式には皆さん礼服(制服)着用でしたよ。
それに他の人の結婚式にも礼服として着ていっています。
全員がそうとは言いませんが、着ていく人は少なくないと思います。
>243の方が、騙りでは無い場合、自衛官職に就きながらの反応だとすると
公務員になりたかったものの試験に受からなかったので仕方なく自衛官に
なった人にありがちな反応だと思います。
あと、式とは別ですが戦時中に船に乗られていたという方に会うと
(その方が申告されて気付いた時にですが)制服着用時などの時は
姿勢を正して敬礼しますよ。
それは媚び諂うのではなく、先輩に対しての礼を尽くすという対応です。
まぁ自称乗組員というか、>202さんのご近所のロスケ爺さんのような人には
その限りではないのですが(そういう人は話しているとボロばっかり出て嘘とわかるので)
>224のお話、もし私の式で来賓にそういうお爺さんが来られたら
ありがちな話だなとは思いましたが、ただそうした場合、全員で式の最中ではなく
式が終わり、そのお爺さんが式場を出たところで「どの艦に乗艦されていたか」と
尋ねて敬礼する流れになったろうなぁと思いました。
272:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 20:35 6xgGamz0
これだけではなんなので、似たようなうちの祖父の話。
祖父が海軍の士官の頃、上陸して街に出るとそれはそれはもてたそうで
若さゆえに大騒ぎをしたり、乱闘騒ぎになりかけたりとしたそうです。
あるとき、一つの店で祖父の乗艦している船のライバル状態に競い合っている別艦の
乗組員とがかち合ってしまい、あわやの喧嘩騒ぎになりかけたとき1人の店の近所に住む
老人が、棍棒片手に真中に割って入り説教を始めたそうです。
血気盛んな若い軍人の1人が、その老人を邪魔だとばかりにはじき出そうとした所
その老人に打ち据えられ、皆がその老人に寄り詰めても老人はまったく
引きもせず、祖父が老人に以前の職を尋ねるとその老人は勤皇の士であったことが
判った瞬間、周りの騒ぎの中心にいた軍人どころか、野次馬に集まってきた
軍人共々、店の中や外にいた全員がその中心に居る老人に対し、姿勢を正して敬礼をして
騒ぎはあっという間に収まったそうです。
273:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 20:35 CxBgyVDg
母方の祖父は特高だった。自宅が警察のすぐそばにあり、
母はよく遊びに行っていたらしい。母は、父の上司や同僚に
とても可愛がられていて、遊びに行くといつもニコニコして
バナナや干し芋やチョコレートをもらっていたらしい。
アカと思われる容疑者が連れられてくると、さっと顔つきが
変わって取調室に向かう同僚の人たちを見たり、
聞こえてくる叫び声や罵声に怯えたらしいが、それでも
普段お目にかかれないおやつに目がくらんで、母はちょくちょく
顔を出していたらしい。
274:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 20:46 CxBgyVDg
もうひとつ。
父が子供の頃、祖父(父の父)から手榴弾を持たされていた。
もしアメリカ兵に捕まって捕虜になったら、それは日本男児の
恥であるのでそれで自決しろ、という事だった。
当時7歳かそこらだった父は、恐ろしくて、空襲のあった日
逃げながらどさくさにまぎれて、その手榴弾をほり投げて捨
てたらしい。
壊滅状態にあった東京の中でも、比較的被害の少ない地域で
家族全員が生き残っているが、父は爆撃を間近に受けて
右耳が聞こえなくなった。しかし、それよりも「あの時自分が
捨てた手榴弾で、近所の家を壊してしまったことは誰にも
言えなかった」と酔った時によく語っている。
って笑えない話だな・・・
275:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 21:00 cHnCm0lP
>>269
おいおい、台湾も当時日本の領土で今でも親日的な人が多いぞ。
満州国は実質日本のようなもの(日本が傀儡政権を樹立して操ってた)。
まあ、こっちはいろいろあったようだが・・・。
で、その満州あたりで戦車兵をしていたじいさんは終戦後ソ連に投降して
シベリア送りとなり収容所に5年いた。ソ連兵は掛け算という概念が
無く、収容所の点呼は寒い中いちいち一人づつ確認するので時間が
かかってしかたなかったらしい。(逃げようも無いんだが・・・)
食べ物も少ないので作業の行き帰りに道端の野草(野生の大蒜があったらしい)
を見つけて貪り食ったとか。「ロスケが制止してもみんな止めないんだよ
機関銃で撃たれるかもしれないけど腹が減ってたからなあ」と懐かしそうに
話してました。また、手に職を持っている人(各種職人さん)は優遇された
そうです。じいさんは、大工だったが分かると待遇がよくなったそうです。
ただ、収容所内での赤化教育は「ロスケの言いなりになんかなれるかい!!」
と言っていたため、結局5年もいる破目になったとのこと。ばあちゃんは
再婚話を断りつつ必死で三人の子供(うち一人が俺の親父)を育てて家庭を
守っていた。死んだかもしれないと思っていたじいさんがひょっこり帰って
きたときは玄関先で抱き合って泣き崩れたそうな。今でも、仲のよい
老夫婦です。
276:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 21:44 iq9wLGVS
>272
ぼくも勤皇の士が前職なんですが、敬礼してもらえますか?
277:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 21:56 kTRI3I1X
>>207 パンパンさんて何ですか?
278:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 22:03 kTRI3I1X
>>202 >>204 >>205 ロスケって何ですか?
279:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 22:04 iq9wLGVS
>278
ロシア人の蔑称
280:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 22:07 nuxyM87I
>277
パンパンは米兵相手の売春婦
ロスケはソ連人に対する別称
日本人のことをジャップというようなもの
っていうか検索したら出るよ
281:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 22:07 oel+51br
>>277
進駐軍を相手にする売春婦のこと。
282:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 22:07 nuxyM87I
3人でケコーン
283:277、278
04/03/13 22:18 kTRI3I1X
>>279 >>280 >>281 ありがとうでつ。
284:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 22:18 ai2GF+fy
結婚式だろうがなんだろうが
街中で制服着る自衛隊員なんざ ただの D Q N
285:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 22:24 Tw5Ntxz8
では町中で制服着る警察官はどうですか?
286:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 22:39 xo1GZiHl
スレの趣旨に合ったこと書き込んでよ
287:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 22:50 N5IrfWGR
式場で着替えるんじゃないの??
にしても粘着だね。
288:おさかなくわえた名無しさん
04/03/13 23:42 Bag3cAfw
大和と聞いていきなり敬礼、つくり話ぽいね。映画かなんかの見すぎ。
旧軍にそれなりに敬意は払うけど、そんな軍ヲタのノリを外に持ち出したりしませんよ。
制服着用は有りうること。
289:おさかなくわえた名無しさん
04/03/14 00:19 d2Af76Ev
笑えるかわかんないけど小ネタ。
母方のばあちゃんの遺品整理してたら、若き日のじいちゃんが
いろんなポーズでキメキメに気取った姿で写ってる
謎のじいちゃんブロマイドが何枚か出て来た。
何じゃこりゃ!と思って笑って見てたんだけど、
当時は戦争行く前にこうやって写真撮ったんだよ~と
伯母さんが話しててちょっとしんみり。
にしてもじいちゃん調子乗り過ぎてて笑える。でも泣ける。
ちなみにじいちゃんは無事生還しました。ヨカタヨカタ
290:おさかなくわえた名無しさん
04/03/14 00:22 8QHFvYg2
大和で敬礼うんぬんが本当かどうかはともかく、>>285は相当の馬鹿。
291:おさかなくわえた名無しさん
04/03/14 00:29 NXQ3L5LY
>>290
釣られてるのか釣ってるのか、気持ち悪くてムズムズするレスだなw
292:おさかなくわえた名無しさん
04/03/14 02:13 fBIqnIg+
>289
なんかいいなー(藁
国語の教科書とかに載ってるような小説とかだと必ずそういう写真は「引きつった顔をした家族写真」とかに
なってるが、実際はこういう興奮してちょっとテンパっちゃったような写真も多いんだろうなあ。
ほんと、生還出来てなによりですね。
293:おさかなくわえた名無しさん
04/03/14 12:18 L0JAxmbY
でもじいちゃん今そのブロマイド見たら、顔から火が出る思いだろうな。
294:おさかなくわえた名無しさん
04/03/14 12:26 4oeh7HMI
昔撮ったプリクラ
295:おさかなくわえた名無しさん
04/03/14 14:17 6rXEycUR
昔の写真撮ったアルバムを見た。
祖父の小さな頃の写真とかもあった。
なんか、写真館で決めすぎているのがやっぱりあったw
写真好き一族だったんだろうか
296:おさかなくわえた名無しさん
04/03/14 21:29 l/qBFcwi
カメラが高級品で今のように普及していなかった当時は
町の写真館で写真を撮るというのは一大イベント
だったのですよ。
297:おさかなくわえた名無しさん
04/03/14 22:41 iZNRRk0v
にしても290は折角の楽しい雰囲気を台無しだな
どっか行け、シッシッ
298:おさかなくわえた名無しさん
04/03/14 23:17 D+rJ6Egr
>296
戦地に赴く前に家族が大奮発して一大イベント、かぁ・・・。なるほど~。
299:おさかなくわえた名無しさん
04/03/15 01:34 Z3YZrH7e
俺が母ちゃんに「爺ちゃんは戦争の話しなかったの?」と聞いたら、
ほとんど聞いたことが無いって言ってた。
ただ1つ覚えてるのが、じーちゃんが戦時中に基地かどっかで夜眠りにつき、
朝になったら回りで寝ていた仲間の兵士が死んでいたってことだけだとか。
当時は状況も状況だったから衛生管理が徹底されておらず
伝染病で沢山の人が死んでいたそうな。
スレ違いでごめん