【コミュ力】森喜朗さん、スポーツ推薦で早大に入り、縁故で産経に入り、知人のツテで議員になり、密室で総理になる人生だった [687522345]at POVERTY
【コミュ力】森喜朗さん、スポーツ推薦で早大に入り、縁故で産経に入り、知人のツテで議員になり、密室で総理になる人生だった [687522345] - 暇つぶし2ch1:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
21/02/15 14:38:10.15 FMauTG7ya●.net BE:687522345-2BP(2000)
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 石川県根上町(現能美市)出身。ラグビーのために早稲田大学に進学するが、体調を崩して断念。その後、多くの政治家が輩出した雄弁会に入り、卒業後は政治家になるためのステップとして産経新聞社に入社した。
 初当選は1969年で、文部(現文部科学)大臣などを歴任。00年、総理大臣だった小渕恵三氏が病に倒れると、急きょ、党の重鎮5人組による「密室会談」で後継に決まった。総理在任中は、「神の国」発言など失言を繰り返す。最終的に森内閣の支持率は調査によっては1桁にまで落ち込み、約1年の短命内閣となった。
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 有馬さんは、森氏の魅力として、具体的に「交渉術」や「処世術」を挙げた。
「産経新聞社への入社の経緯や、初当選のときのエピソードなどから、そうした才能に若いころからたけていたのだと考えられます」
 森氏の自伝『私の履歴書』(日本経済新聞出版社)でも、それらのエピソードに触れられていた。産経への入社の際は、縁故を使ったので安泰だと思っていたらしい森氏。ところがその年に限って採用がない旨をいったんは担当者から告げられるが、なんとか粘って入社にこぎつけたのだという。
 初当選の際は、自民党の公認候補になれなかったにもかかわらず、知人のつてを頼りに安倍晋三前首相の祖父、岸信介元首相に石川の地元に入って応援してもらえるようお願いしたという。当時、羽田空港と小松空港を結ぶ路線はプロペラ機だったようで、悪天候で石川入りが実現しないことを心配した森氏は、負担はかかるが列車で来るよう、自ら交渉したようだ。そのおかげもあってか、選挙区でトップ当選を果たした。
「総裁選もせずに小渕恵三さんの後継になるなど、いつもギリギリのところでうまくかすめ取ってきたのが森さんです。世の中を渡っていく知恵を蓄えているようです」(有馬さん)
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