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「あちゅい!」という最期の声
1999年11月27日と28日、私と妻・郁美と長女・奏子(かなこ=当時3歳7ヵ月)、次女・周子(ちかこ=当時1歳11ヵ月)は車で箱根に一泊旅行に出かけました。初日は温泉に浸かり、28日には芦ノ湖の遊覧船から紅葉を楽しみ、娘たちも大喜びでした。
高速道路が混んでいるという情報があったので、私たちは早めに家路に着き、千葉市の自宅をめざしました。東名高速道路を走って首都高の用賀料金所の手前にさしかかった時に、突然11トンの大型トラックに追突されました。私たちの車は轟音と共にトラックに50メートルほど押され、前の車に追突してようやく停まりました。
その間に私たちの車は火を噴き、停止した時には炎に包まれていました。炎が激しかった後部席にいた奏子と周子は、帰らぬ命となりました。
運転していた妻は奇跡的に自力で脱出できましたが、助手席にいた私はつぶれたドアに左腕を挟まれてしまい身動きできませんでした。その後何とか引っ張り出されたものの、左腕と背中に大火傷を負い、救急病院で3回の手術を受け約3ヵ月半の入院生活を強いられました。その後も入退院を繰り返し、現在でもリハビリのための通院を続けています。
事故によって突然に娘2人の命を奪われました。私の耳に奏子の「あちゅい!」という声が最後に聞こえ、永遠に忘れることはできません。
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