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「僕も自分が医者になるなんて想像もつきませんでした」
そう話すのは、訪問診療の医師として働く澤井一真さん。実は高校時代の偏差値は35。遅刻・欠席の常習犯で、高校を無期停学になるなど、まさに医学会の「ビリギャル」だったという。
そんな彼も今では医学部を卒業し、立派な医師として働いている。さらに「病室で念仏を唱えないでください(TBS系)」に医師役として出演するなど、医師と俳優二足のわらじを履いたエリート医師なのだとか。偏差値35の彼がなぜ医師になれたのか。話を聞いた。
偏差値35で医学部を目指すどころか高校退学寸前に
―医師というと優等生のイメージですが、偏差値35だったんですか?
本当に勉強ができなくて、周りからもバカのレッテルを貼られていました。小学校は入塾テストに入れないくらいのバカ、中学校では万年学年ビリ。高校になるとバカに輪をかけてグレてましてね(笑)。
遅刻・欠席は数知れず。真面目に学校に行く日のほうが圧倒的に少なかったです。いつも悪い奴と一緒にいて、高校1年生のときの学校集会で同級生とケンカをしたことで、無期停学になってしまったこともあったんです。
校長、教頭、担任の先生に親が呼ばれ「次、何か問題を起こしたら退学ですよ」と。学校に行けないので、ひたすら家でゲームをして時間が過ぎるのを待っていました。両親には完全に見放されているのをまざまざと感じましたね。
―そんな状況から、よく医学部を目指そうと思いましたね?
半年後に学校に戻ると、一緒につるんでいたワル仲間が何人か退学しちゃっていて、僕一人だったんです。一緒に遊ぶ相手もいないし、暇だし、やることないなと思ったとき、「この状況をどうにかしなくちゃ」と思うようになったんです。
そこから、一念発起して予備校に通い始めました。それも、知り合いが誰もいないところを選んで、集中して勉強をする環境に自分を持っていったんです。
でも、基礎学力もなければ、勉強のやり方もまるでわからない。文房具すら学校に持って行ってなかったんですから(笑)。
それなら、わかる人にどんどん聞いていこうと思って、予備校でバイトしている大学生や同じ予備校の頭のいい生徒に勉強の仕方を聞くなどして、自分の勉強スタイルを確立していきました。
受験勉強はまさに自分との戦いで、本当にしんどかったけど「こんなに勉強をサポートしてくれている家族や予備校の人たちに喜んでもらいたい」という恩返しの気持ちを強く想いながら、自分を鼓舞させて勉強していました。
そのおかげで、一浪をして都内の私立大医学部に入学できたんです。
―大変な受験勉強から解放されて、晴れて医学生になったわけですね?
それがですね……受験勉強から解放されて喜んだのも束の間、医学部になってからのほうが定期試験に追われて本当に大変だったんです。
1科目の試験範囲が200ページくらいあるんですよ。用語の暗記や内容理解のために、まず試験範囲のコピーから始まりました。全ページなので、結果コピー代が2万円くらいになって……(笑)。
あと、医学部は留年も多いんですよ。当時、6年間留年せずに卒業できる人は6割切るくらいでした。
1科目でも落とすと留年になるので、試験中に「これを間違えたら500万(1年間の授業料)か……」と思って怖くなったこともありましたね。
僕は必死に勉強したので、留年せずにストレートで医師免許を取得できましたが、常にそういったプレッシャーとの戦いだったので、医学部の6年間でかなり心臓は鍛えられたと思います。
あっ、その高い留年率のせいで、先輩後輩の上下関係ががめちゃくちゃになるという現象もよくありましたね。これは医学部あるあるかもしれません。
―コロナを機に、医療関係の仕事に興味を持つ学生が増えたと聞きました。
本当ですか? 若い世代の人たちが興味を持ってくれることほど、嬉しいことはありませんね。少し前までは、いわゆる進学校に行かないと、頭の良い人の考え方や問題の解き方なんて知る術もなかった。
それが、今は東大生や頭の良い人たちのYouTubeを見れば、誰でもその考え方に触れることができます。
つまり、強い意志さえあれば誰でも難関大学に挑戦できるし、医学部にも入れると思うんです。僕からしたら、素晴らしい時代ですよ。
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