昭和20年8月17日、陸軍少佐・晴気誠、サイパン陥落に責任を感じ、市ヶ谷の陸軍省内で割腹自決 32歳没 [309927646]at POVERTY
昭和20年8月17日、陸軍少佐・晴気誠、サイパン陥落に責任を感じ、市ヶ谷の陸軍省内で割腹自決 32歳没 [309927646] - 暇つぶし2ch1:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
19/08/17 17:06:37.00 L7dWiPAh0.net BE:309927646-2BP(1000)
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晴気 誠(はるけ まこと、1912年11月7日 - 1945年8月17日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。
生誕 1912年11月7日
死没 1945年8月17日(32歳没)
経歴
佐賀県生まれ。陸軍士官学校46期卒業。同期に、陸軍少佐益田兼利(後に陸上自衛隊、東部方面総監)。
参謀本部作戦班在職時、サイパン島防衛計画の主務者であった(かつ、結果的に全く効果がなかった水際迎撃作戦を立案した)為、
サイパン陥落に責任を感じ、1945年8月17日早朝、陸軍省内の大正天皇御野立所で益田の立会いの下で割腹自決。
現在、陸軍少佐晴気誠慰霊碑が建てられている。
URLリンク(ja.wikipedia.org)
遺書
戦いは遠からず終わることと思う。而して、それが如何なる形に於て実現するにせよ、予はこの世を去らねばなら
ぬ。地下に赴いて九段の下に眠る幾十万の勇士、戦禍の下に散った人々に、お詫びを申し上ぐることは、予の当
然とるべき厳粛なる武人の道である。
サイパンにて散るべかりし命を、今日まで永らえて来た予の心中を察せられよ。
武人の妻として、よくご納得がいくことと思う。
而して、予の肉体は消ゆるとも、我が精神は断じて滅するものにあらず。魂はあく迄皇国を護持せんのみ。
予は茲にこの世におけるお別れの言葉を草するにあたり、十年間、予と共に苦難の途を切り抜け、予が無二の内
助者たりし貴女に衷心より感謝の意を捧ぐ。
又、予は絶対の信頼を以て、三子を託して、武人の道に殉じ得る我身を幸福に思う。
然るに、夫として、又父として物質的、家庭的に、何等尽すことを得ざりし事を全く済まぬと思う。
今に臨んで、遺言として残すべきものは何ものもない。
予が精神、貴女が今後進むべき道は、予が平素の言、其の都度送りし書信に尽く。
三子を予と思い、皇国に尽す人間に育ててもらえれば、これ以上何もお願いすることはない。
三子には未だ幼き故に何事も申し遺さぬ、物心つくに伴い、貴女より予が遺志を伝えられよ。予がなきあと、予が
残したる三子と共に、更に嶮しき荊の道を雄々しく進まんとする貴女の前途に、神の加護あらんことを祈る。
予が魂、亦共にあらん。
昭和二十年八月十日記
URLリンク(www.asahi-net.or.jp)
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晴気誠の自決に立ち会った益田兼利は、25年後、陸上自衛隊東部方面総監在職時に、
奇しくも同じ市ヶ谷で三島由紀夫の自決に立ち会うことになる


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