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「わからないを受け止めよ」 山極寿一京大総長インタビュー
私の学生の頃は知識を手に入れるには大学へ来なければならなかった。知識を持つ人間から伝達されるか、図書館で本を読んでその知識を得るしかない。
今の時代は密室にいてもインターネットで基本的な情報なら手に入る。そういった意味では大学は知識を手に入れる学びの場ではなくなった。
生きた知識は対話を通じて生の情報をやり取りすることで初めて得られる。言ったことが誤っていれば、間違っていると言い返せる。
これによって情報や知識を変えることもできる。情報になったものを受け取るだけだと勝手に解釈されてしまう。
インターネットでは情報は伝達できても、情報から得る大切なものはやり取りできない。講義も聞くだけでは意味がない。
対話によってやりとりするアクティブラーニングで、考え方や考えたこと、考えることを学ぶ。実験やフィールドワークを通じ、生の経験を共有しながら学んでいく。
多くの人は「わかること」が「学び」だと勘違いしている。「わからない」ということを「知る」ことが学びだ。
友達ならずっと付き合っていけばわかりあえると思っている人がいるが、人間なんてわかりあえない。
わかりあえないことをいろいろやり取りしていることこそが学びだ。知識だって同じで、いくら得てもわからないことはたくさんある。
わからないということを学びながら、高みに上がる、深みに入っていくということを面白いと感じなければ学びではない。
人間は言葉によって、世の中に因果関係があるという物語を作った。原因と結果を理解する長大なプロセスを短くするため、知識を利用する。
知識が誤っていたり未熟だったりすると、結果は本物ではなくなる。結果をすぐに求めようと、都合のいい知識を当てはめても、世界はわからない。
世界はそれだけ謎に満ちている。
(続く)
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