東浩紀さん、批評家からの卒業を発表 「敗北主義、冷笑主義、現状肯定、好きに呼んでくれていい」 [839150984]at POVERTY
東浩紀さん、批評家からの卒業を発表 「敗北主義、冷笑主義、現状肯定、好きに呼んでくれていい」 [839150984] - 暇つぶし2ch1:番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です
19/05/21 14:55:46.75 jgeM6Kf30.net BE:839150984-2BP(1000)
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昭和天皇が崩御したとき、ぼくは一七歳だった。いまは四七歳だ。平成はそのあいだの三〇年を占めている。
つまり平成は、ぼくの人生の知的で生産的な期間と完全に一致している。昭和期は仕事はしていない。すべての仕事は平成期に発表された。
そしてぼくはいま五〇歳近い年齢であって、まったく新しいことを始めるのはむずかしい。新元号でも仕事はできるだろうが、それは平成期の延長にならざるをえない。
つまりはぼくは本質的に、平成の批評家であり哲学者であり書き手なのだ。平成というのは、ぼくにとってそういう時代である。
 
その事実はぼくを憂鬱にする。というのも、ぼくは平成が好きではないからだ。字面からして好きではなかった。
三〇年前、ブラウン管のなかで(当時はまだブラウン管だった)官房長官が「平成」と書かれた色紙を掲げたのを見たとき、なんて間抜けな命名かと感じたのをよく覚えている。
そう、平成はその名のとおり間抜けな時代だった。平成に入る直前の日本は大きな可能性を秘めた国だった。
世界第二位の経済大国で、欧米も仰ぎ見る技術大国で、時価総額で世界トップの企業がごろごろとあり、若者も多く、人口もまだ増えていて、二一世紀は日本の時代だと言われ、新首都の建設さえ真剣に検討されていた。
にもかかわらず、平成期の日本人は、自分たちになにができてなにができないのか、そもそも自分たちはなにをしたいのか、きちんと考えないままに自尊心だけを膨らませて、空回りを繰り返して自滅した。
それを間抜けといわずして、なんと形容しよう。
(中略)
改革の九〇年代とリセットの二〇〇〇年代、ぼくは時代と完全に共振していた。ぼくは世界を変えられると信じていた。
そして変えられないのならばリセットすればいいと信じていた。日本人が日本を変えられると信じ、変えられないのならばリセットすればいいと信じていたように。
その共振が解除されるようになったのは、祭りの一〇年代に入ってから、すなわちぼくが四〇代に入ってからである。
震災後、デモの盛り上がりに反比例するかのように、ぼくは急速に政治への関心を失っていった。
朝日新聞の論壇委員を降り、早稲田大学教授の任期延長を断った。テレビや週刊誌に出なくなった。サブカルチャーやネットカルチャーにも期待しなくなった。
それでも原発事故についてだけは考え続けようとしていたが、二〇一三年(平成二五年)の『福島第一原発観光地化計画』の出版が失敗に終わったあとは、社会問題に関わること、それそのものが虚しく感じられるようになった。
あの失敗は、たんに売上の点で不調であっただけでなく、不調を知った共著者の社会学者が手のひらを返したようにぼくを批判し始めるという、きわめて後味の悪い経験だった。
ぼくは似た経験をほかにも繰り返し、徐々に、福島も沖縄も改憲も民主主義も、この国ではすべてが言論人のお祭りのための駒でしかなく、なにを話しても無意味なのだと考えるようになった。
(中略)
ぼくは平成の批評家だった。それは、平成の病を体現する批評家であることを意味していた。
だからぼくは、自分の欲望に向きあわず、自分にはもっと大きなことができるはずだとばかり考えて、空回りを繰り返して四半世紀を過ごしてしまった。
ぼくは新元号では、そんな空回りを止めて、社会をよくすることなど考えず、地味にできることだけをやっていきたいと思う。
それはおそらくは、批評家の資格をなくすことを意味している。敗北主義で冷笑主義で現状肯定だと批判されることを意味している。
おまえらがそんなヘタレだから日本はこうなったんだと、若い世代からは非難されることも意味している。
けれども、もう偽りの希望はうんざりだと、平成という病を生き抜いた四七歳のぼくは心の底から思っている。
そして、その疲労は、きっと、ぼくと同世代の多くの日本人が共有しているはずだとも思うのだ。ひとの人生は無限ではない。
URLリンク(headlines.yahoo.co.jp)


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