19/05/01 12:25:10.41 DZKn2hSL00501.net BE:324894838-2BP(1000)
URLリンク(img.5ch.net)
停滞の時代
コスイギン改革の挫折後、1970年代はソ連も軍事的に関与した中東戦争による2度の石油危機で世界最大の産油国として莫大な外貨を獲得できたが[2]、
西側諸国からの機械、穀物や奢侈品の輸入に浪費されて新規事業の開拓や技術開発がほとんど進まず、西側と製品の質の点で大きく水を開けられた。
また、レオニード・ブレジネフ政権の長期化で共産党内の汚職が進み、国有企業は帳簿上の生産数と実態との乖離が大きくなった。
フルシチョフ失脚の直接の原因となった農業問題でも小麦やライ麦、大麦の生産量は世界最高だったもの
の、70年代からの凶作と旱魃で大量の穀物を北米から緊急輸入する必要が生じ、
国際市場で大量の穀物買い付けを行って高騰させたことは大穀物強盗と呼ばれた[3][4]。
これが冷戦における両国の力関係にも影響を与えた。
この時期には環境破壊も深刻化していったが、官僚制で硬直化した政府は有効な対策を立てられなかった。
URLリンク(ja.m.wikipedia.org)ソビエト連邦の経済