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乙女の碑「接待」刻む 黒川開拓団遺族会長が謝罪 岐阜
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敗戦直後の旧満州(中国東北部)でソ連軍将校らへの「接待」をさせられ性暴力を受けた黒川開拓団の女性を悼む、岐阜県加茂郡白川町黒川の「乙女の碑」に、
黒川分村遺族会が事実を明記した碑文を作った。18日、除幕式が行われ、藤井宏之会長(66)が「罪深い思いをさせた」と遺族会長として初めて女性たちに謝罪した。
「接待」は1945年秋、ソ連軍の乱暴や現地民の襲撃から開拓団を守るために団幹部の指示で行われ、17~21歳の15人前後が犠牲になった。うち4人は性病などが原因で現地で亡くなった。
引き揚げ後、女性たちに補償や謝意を伝えられたことはなく、元団員らが初訪中した81年、安江善子さん=故人=が「接待」を回顧したことをきっかけに4人の慰霊の機運が盛り上がり、遺族会が碑を建立。生存者に配慮して碑文はないままだった。
式典には生存者の佐藤ハルエさん(93)も出席。引き揚げ者4世、5世に当たる遺族会員の孫らが除幕した。
藤井会長は「若き女性たちの奪われた青春と、引き揚げ後の誹謗(ひぼう)中傷された長い年月に、遺族会長として誠に罪深い思いをさせたと深くおわびする」と碑に頭を下げ、
「後世に黒川開拓団の史実を正しく伝え、平和の大切さと必要性を伝えると誓う」と語った。
「告白~満蒙開拓団の女たち~」 2017年8月5日(土)
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戦前、岐阜県の山間地から、旧満州(中国東北部)・陶頼昭に入植した650人の黒川開拓団。終戦直後、現地の住民からの襲撃に遭い、集団自決寸前まで追い込まれた。
その時、開拓団が頼ったのは、侵攻してきたソビエト兵。彼らに護衛してもらうかわりに、15人の未婚女性がソ連兵らを接待した。
戦後70年が過ぎ、打ち明けることがためらわれてきた事実を公表した当事者たち。その重い事実を残された人々はどう受け止めるのか。