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1986年に発生した「ピープルパワー革命」で、マラカニアン宮殿を追われたフェルディナンドとともにハワイ州に亡命した。
マルコス一家は、フィリピン国内のラオアグに行くことで米側と合意していたが、果たされなかった。
このことに対しイメルダは後年、「私たちは米軍機で誘拐された。」と述べ、また「マルコスは同盟国に裏切られて潰された。」とも
述べている。
彼女が退去した後のマラカニアン宮殿には、1060足の靴、15着のミンク・コート、508着のガウン、888個のハンドバッグが
残されていた。
この様子は、マスメディアによって『イメルダ・コレクション』と取り上げられ、イメルダの浪費癖に対する批判の声が高まった。
これに対してイメルダは、「貧しい者のための希望の星であることが私の義務だった。」と述べるとともに、「夫は、金のトレーダー
だった。1949年の政界入りしたとき、彼は山ほどの金を持っていた。1950年代後期には、マルコスは7500トンの金の個人財産を
持っていた。」と述べて横領で購入したものでは無く、フェルディナンドの財産で購入したと主張している
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