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地元・福井の誇る黒タイツに伊達眼鏡、ひざ上丈のミニスカート、まっ赤なジャケットで壇上にのぼった稲田センセイである。
「皆さん こんばんは。本日は『南京攻略80年記念大講演会』に、このようにたくさんの方にお集まりいただき、また私も急遽、お招きをいただいたことに深く感謝申し上げます」
あれ、急遽だったの? プログラムにはプロフィールも演題も組みこまれているのに―。だがそのワケは、この後、判明する。
「『この会に来て、弁護士時代の“百人斬り裁判”の話をしてもらいたい』とお誘いを受けましたのは、私が防衛大臣を辞任いたしました直後のことでございました。
しかしながら皆さんご承知の通り、私、防衛大臣になりましてから1年で辞任をいたしたわけでございますが、その1年間は、私の12年の政治生活の中で、
というよりも、私の人生の中で最も困難な、最も試練の1年でもありました」
どんな困難を試練と自覚していたのかと思えば、その説明はなし。
2キロ太った
「そういったこともありまして、実は辞任直後は、かなり心身ともに参っておりました。立ちすくんで、前進も後退もできない、どうしていいのか分からないという状況で、
少なくとも年末まで、今年中は多くの皆さんの前で何かお話ししたりするような状況ではない。静かに自分自身を見つめ直して、
また来年から前進しようという気持ちだったものですから、『この講演会に参加することはお控えする』と主催の方にご理解頂いたんです」
実に殊勝な前防衛大臣であったのだが―。
「ところが急に衆院選に突入致しました。『前にも後ろにも行けない』なんて言っていたら、選挙、戦えませんから……」
選挙に突入することになった一因は、あなたにもあるのだが―。
「大変厳しい選挙でありましたし、当初は中央からたくさんのマスコミが駆けつけて、たぶん私が負けると思ったんでしょうね。
あんな状況でしたから。後援会の皆さんも『なんで稲田さんなんか応援するだ』と言われ、意気消沈する中の選挙戦でした。
でも何とか、私の思いが地元の皆様方にも通じて、前回よりも票を増し、相手方が比例で復活することもなく、当選することができました」
圧勝であったことをアピール。さらに―。
「皆様ご承知のように、ちょっと私、ふっくらいたしましたでしょ。2キロ太っております」
禊ぎも済んで体調も万全のようである。ところで演題は?
自著で泣きだす
「私もこの12年間、政治家としてやってきたけれど、『何のために永田町にいるのだろう?』『何のために政治家になったんだっけ?』ということを取り戻すことができた、非常にいい機会だったと思います。
じゃあ何のために政治家になったかと言いますと、“百人斬り裁判”、これが大きなきっかけだったのであります」
ようやく、主催者側が頼んだ演題に突入である。
「裁判は最高裁まで行って敗訴してしまったわけでありますけど、その後に『百人斬り裁判から南京へ』(文春新書)という、この本を書きました。
今回、この本を探したんですけど、ないんですね。自分が書いた本なのに、色んな人にあげたりして、どうしてもない。
本屋にも売ってないものですから、国会図書館から借りてきて、そして読みました」
え、読んだの?
「読みながらですね、私ちょっと涙もろいものですから、泣いてしまいました。なんかこう……闘っている時の(すでに涙声)、すごぉく、こう、思い(嗚咽に変わる)、アツい思いがですね、甦って……」
自分の著書を紹介するのに泣きだす人は珍しい。「ホントに自分で書いたの?」と思うほどだ。だが、南京事件の真実を求めて集まった聴衆は、裁判で闘ったジャンヌダルクに優しい。
ヒックヒックして、稲田センセイに温かい拍手を送るのだった。
「私は何回も何回も裁判所で泣き叫んで『同じ日本人が、どうして日本の名誉を守れないんだ』と。なぜ同じ日本人としていわれなき非難、慰安婦問題もそうですよね、
20万人の若い女性を強制連行して監禁して性奴隷にして、挙げ句の果てに虐殺したと言われているわけです。
そういう状況を同じ日本人としてなぜ放置することができるのか、ということが政治家になる怒りの源泉、
その思いでもって永田町に来たわけであります。そのことを自分の本を読んで泣くくらいですから、ちょっとおかしいですね」
自覚はあるようである。だがどうやら、稲田氏の南京事件、慰安婦問題の矛先は、中韓ではなく国内を向いているようである。ここでようやく“百人斬り裁判”の話に入る。
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