17/11/20 19:43:41.39 OaYnqMao●.net BE:711847287-2BP(2001)
URLリンク(m.huffingtonpost.jp)
玉姫公園ていうところだったんだけど、その時俺は99.9%死んでたと思う。
「おーい、おーい」って声が聞こえてきて、あの世からお迎えが来たのかと思っていたら、ボロボロのシャツを着た小さなおじいさんが立っていて。
リヤカーに乗せてくれて、公園の隅っこに連れて行ってくれた。
おじいさんはテントを張っていて。ドラム缶に穴を開けて、かまどがわりにしていた。そこに鍋を置いて、煮込みうどんを食わしてくれた。
今から考えると、犬の飯か猫の飯かわからないようなものだったけど、その時の味は今でも忘れられない。
死んだ人間が生き返るってのはこんなもんなんかなぁ、と思って。なんか、頭のてっぺんから足のつま先まで新しい血が、どく、どく、どくって流れるみたいに。
そのおじいさんが、いわゆる「バタ屋」さんと言って、今で言う廃品回収の仕事。
俺も手伝うようになって。俺がリアカーを引いて、おじいさんが後ろから押して。
おじいさんは朝早くから夜遅くまで黙々と働いた。寡黙で、声かけてもほとんど何も言わない。
あるとき、おじいさんが俺のために名前の書き方を教えてくれた。
「タカノマサオ」って音では知ってるけど、書けなかった。少年院とかでも蹴飛ばされて馬鹿にされたこともあった。
おじいさんはごみの中から、いろはかるたを拾ってくれて。
たこの絵で「た」、カニの絵で「か」、のぼりの絵で「の」、鞠の絵で「ま」、猿の絵で「さ」、桶の絵で「お」と並べて、「これがお前の名前だ」って。
ちびた鉛筆で、たった6文字を書くのに何日かかったかわかりゃしない。当時17歳。
生まれて初めて自分の名前が書けた時、心臓がドキンドキンって高鳴り、手が震えた。