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あの戦争で亡くなった日本軍の軍人、軍属約230万人のうち、過半数が飢餓や栄養失調による戦病死だったとみられている。
「お国のため」と万歳で見送られた若者たちの多くはなぜ、戦闘でなく飢えによって命を失ったのだろう。誰のために。何のために。
福島県白河市でひ孫3人に恵まれ、4世代で住む大塚君夫さん(93)は今も、食品に書かれている「賞味期限」が許せない。
コンビニでは期限が来た食品が処分されていると聞く。
さらに東日本大震災による原発事故の後は、福島県産というだけで食べ物が廃棄された。
「びんたをしてやりたいほど腹が立つ」
あの島では、サツマイモ一つで、命を失った人たちがいたのだから。
グアム、パラオ、トラックのどこからも500キロ以上離れた文字どおりの絶海の孤島、メレヨン島に1944年、大塚さんの部隊を含む
約6500人の兵力が配備された。
午前中に決まって米軍機が襲来し、飛行場や食料庫を爆撃した。
軍事拠点として無力となると米軍はもう見向きせず、部隊は移動手段も補給経路もほぼないまま、放置された。
兵に配られる米は少しずつ減り、最後は1日100グラムになったが、幹部らは増量された。
農耕班を作り、サンゴ礁のやせた地でサツマイモなどを作ったものの、収穫はわずかだった。
歩けなくなり、やせる。
ムシロに寝たきりになり、今度はむくむ。
毎日5、6人ずつ死んでいったのを大塚さんは覚えている。
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