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朝日新聞8月9日朝刊「キュー」
胸に太い鉄柱を打ち込まれたほどの衝撃を受けた。
Eテレの「告白~満蒙開拓団の女たち~」は、敗戦直後の満州で女たちが強いられた辛苦を迫ったドキュメンタリーである。
戦前戦中、国策として日本から多くの人が村をあげて満州に移民したが、岐阜県の旧黒川村の開拓団もその一つだ。
ソ連軍が旧満州に侵攻。関東軍が撤退したあと、取り残された日本人が次々と集団自決していく中で、黒川開拓団は、
女性をソ連兵の性の相手として差し出すことで生き延びる道を選ぶ。それは「接待」という欺瞞的な名称で呼ばれていた。
犠牲となったのは、10代から20代までの未婚女性15人。
当事者たちが証言する。
「汚いもの触るように蹴倒され、鉄砲を背負ったままやられた」「みんな、お母さん、お母さんと泣くだけだけやった」。
日本に引き揚げる途中にも、同じことが起こる。橋が落ちてしまった川を船で渡るために女性を要求され、「みんなのためなら頑張ります」と5人が
その役を負った。そうして開拓団650人のうち450人が生きて帰れたのだ。
だが、開拓団の遺族が故郷に建てた「乙女の碑」にも、開拓団の記録誌にも「接待」のことは触れられていない。満州帰りの女性たちは
差別的な目線の中で生きざるを得なかったという。そんな中で、4年前、妹を守るために人より多くの「接待」を引き受けた安江善子さんが自らの
体験を語り始めたのだ。安江さんは去年逝去。92歳になった佐藤ハルエさんは言った。「死ぬか生きるか。殺されそうになって引き揚げて、今がある」
(島崎今日子)
ETV特集「告白~満蒙開拓団の女たち~」
URLリンク(www4.nhk.or.jp)
終戦後の旧満州。命を守るため、ソ連兵の接待を若い女性にさせた開拓団があった。戦後長く語られなかった、
開拓団の女性たちの告白。その歴史に向き合う人々を見つめる。
戦前、岐阜県の山間地から、旧満州(中国東北部)・陶頼昭に入植した650人の黒川開拓団。終戦直後、
現地の住民からの襲撃に遭い、集団自決寸前まで追い込まれた。その時、開拓団が頼ったのは、侵攻してきた
ソビエト兵。彼らに護衛してもらうかわりに、15人の未婚女性がソ連兵らを接待した。戦後70年が過ぎ、打ち明ける
ことがためらわれてきた事実を公表した当事者たち。その重い事実を残された人々はどう受け止めるのか。