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7月18日午前、聖路加国際病院の日野原重明名誉院長が105歳で亡くなった。
昨年、日野原氏へのインタビューを『日野原重明先生の生き方教室』にまとめたジャーナリストの大西康之氏に、日野原氏の功績について緊急寄稿してもらった。
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■予防医療の普及に半生を捧げた
日野原氏の最大の功績は日本における「予防医療」の普及だろう。
「病気になってから病院に行くより、病気になる前に行って予防した方が本人のためにも社会のためにも良いはずだ」
そう考えた日野原氏は1973年に「財団法人ライフ・プランニング・センター」を立ち上げ、予防医療の普及に半生を捧げた。最初にやったのは「家庭での血圧測定」だった。
今でこそ、家庭に血圧計があるのは当たり前だが、当時、血圧測定は「医療行為」とされ、病院で医師や看護師に測ってもらうしかなかった。
面倒だから誰も普段から血圧は計らない。ある日突然、脳溢血や心臓発作など高血圧に由来する病気で倒れるのだ。
氏は厚生省(現在の厚生労働省)と掛け合い、家庭での血圧測定を認めさせる。
一方でライフ・プランニング・センターは全国を巡回し、プロの看護師が主婦たちに血圧計(当時は水銀を使っていた)の使い方を教えた。
ライフ・プランニング・センターの設立にあたって、資金を提供したのは財団法人日本船舶振興会(現日本財団)の笹川良一会長(1899-1995、当時)だった。
笹川氏は自らの主治医でもあった日野原氏の思想に共鳴し、センターの活動資金として日本船舶振興会から3億6000万円を拠出、
さらに東京・港区にある笹川記念館の11階フロアを権利金・敷金なしの破格の家賃で貸した。
毀誉褒貶の激しい笹川氏から支援を受けることについて、周囲は反対したが、日野原氏は「世のため人のためにお金を使おうとしている今の笹川氏は立派な人だ」と話し、堂々と金を受け取った。
理想を実現するためには、現実と向き合う。そんなプラグマティズム(実用主義)が氏の真骨頂だった。
■「成人病」を「生活習慣病」に改名
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■スケジュール帳は3年先まで埋まっていた
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(おしまい。