【戦国時代の日本で黒人奴隷が流行】 定説になりつつある…トンデモ説が欧米で"史実"扱いされる恐ろしい理由 [8/8] [仮面ウニダー★]at NEWS4PLUS
【戦国時代の日本で黒人奴隷が流行】 定説になりつつある…トンデモ説が欧米で"史実"扱いされる恐ろしい理由 [8/8] [仮面ウニダー★] - 暇つぶし2ch1:@仮面ウニダー ★
24/08/08 07:36:30.62 sif+fsWS.net
ー前略ー
■なぜ「弥助=侍」説を信じてしまうのか
 だが、ロックリー氏の学説には根拠が乏しいのも事実であり、現段階で史実とするのは難しい。
 にもかかわらず、多くの欧米知識人や、あまつさえ日本人までも「弥助=侍」説に飛びついてしまうのはなぜなのだろうか。
 英国の著名な歴史家であるE・H・カーは、「歴史とは、現在と過去のあいだの終わりのない対話である」
「過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、現在は過去の光に照らされて初めて十分に理解できるようになる」
と看破した。
 つまり、E・H・カーにとっての「歴史」とは、後世の視点によって再構築されたものという面がある、ということだ。
 この意見に基づいて考えると、ロックリー准教授の「弥助=侍」説には、やはり後世の視点が濃厚に反映されている、と見ていいだろう。
■「ポリコレ知識人」にとって都合のいい説だった
 欧米の大学を中心としたアカデミズム界隈では、「人種・文化は多様であるべきだ」といった「ポリコレ言説」が流行・蔓延している。
 「弥助=侍」説は、そうしたアカデミズム界隈の「ポリコレ言説」にとって都合のいい学説だった、とは考えられないだろうか。
 まず、欧米社会にとって「弥助=侍」説は特別な意味を持つ。言わずもがな、現代欧米社会において黒人たちは差別・迫害されている。
 それは取りも直さず、近代以降の欧米社会が黒人差別や植民地支配をもとに成り立っていた、という事実と関連している。
 そんな欧米社会において、特にアカデミズム界隈の知識人たちが、自分の正当性を主張する材料として、
黒人差別問題が使われることがある。
■「黒人差別反対」だから「私は正しい」
 要するに、「私は多様性を尊重し、差別に反対している」から、「差別と関連する欧米社会に生きていても『私だけは』正しい」と
アリバイを主張することができるわけだ。
 弥助騒動を通してマイノリティー差別と闘う自己を演出する欧米研究者の例は、中世日本史専門家でカリフォルニア大学
ロサンゼルス校においてグローバル学際日本研究のリーダーを務めるポーラ・カーティス氏やハーバード大学のデイビッド・ハウエル
教授などだ。
 カーティス氏は弥助問題を論じるオンラインのフォーラムで、「歴史を否定する多くのネトウヨ(neto uyo)は
弥助(に関するエビデンス欠如の問題)を、(同じく証拠欠如の観点から)従軍慰安婦奴隷説の否定に走る(ハーバード大学の)
ラムザイヤー教授の説と結びつけて論じており、『覚醒した欧米アカデミア』批判の補強材料にしている」と論じ、ハウエル教授も
カーティス氏の主張を強く支持している。
 このようにして、「差別的かつ前時代的な日本人ネトウヨを正す英雄的な欧米人研究者」という言説の中で、
「弥助=侍」説のエビデンス欠如という学問上の問題が、政治的正しさを基準とするマイノリティー差別問題にすり替えられている。
 そんな欧米社会にとって、戦国日本という「遅れた社会」で黒人が活躍する物語を作ったり、「弥助=侍」説という
「ポリコレ的に正しい言説」を流布したりする行為は、「黒人の活躍を支援する」行為として、「反黒人差別のスタンス」に基づくと
認識されやすい。
 よって、「戦国時代の日本でも黒人奴隷が流行していた」という説も、「黒人を差別していたのは欧米社会だけではない」
という主張につながり、欧米社会にとって特別な魅力を持つ。
■欧米社会の「オリエンタリズム」にほかならない
 要するに欧米アカデミズム界隈の人にとって、「弥助=侍」説を支持することは、「自分は偏見や差別と闘っている」という
エクスキューズとして都合のいいスタンスなわけだ。
 むしろ、「黒人差別に反対している欧米社会」こそ、「弥助=侍説を否定する遅れた日本社会」よりリベラルで良い社会だ、
という考えさえ透けて見える。
ー後略ー
岩田 太郎
PRESIDENTOnlin 8/7(水) 9:17配信
URLリンク(news.yahoo.co.jp)


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