21/02/18 18:43:08.73 CAP_USER.net
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"イ・ヨンスさんは本人の証言だけが含まれても慰安所花屋のねじれに渡った場合に「日本軍慰安婦被害者」ではない"
日本軍慰安婦」被害者」として知られているイ・ヨンスさんが日本軍に強制連行ではなく、
実は慰安所花屋の誘惑に慰安婦になったという証言をした内容が公営放送局放送記録にまで残っていることが確認された。大きな波紋が予想される。
1992年8月15日、KBS「生放送女性、私は女性挺身隊 - 民族受難の痛みを乗り越えて」は、
当時の最初の慰安婦の証言をした金学順さんを中心にイ・ヨンスさんなども出演して、いわゆる「被害者」の証言をした。
当時の顔も名前もがリョトドンイ・ヨンスさんは司会者オスクフイ氏が「どのように挺身隊(慰安婦)で店いますか?」と聞くと、次のように証言した。
「はい、 私はその時年齢16歳なのに、貧しく立地もできずに食べてもできずありますが、
どのような人なのかワンピーススーツし靴のペアを持ってきてくれジダ。それながら行こうそう持って、
それを受けて持って非常にその時そのようなことも知らずいい基づいました。"
これに対して司会オスクフイ氏はやや慌てたように、「ああ、そうねじれに移るんですね」と言いながら、
この種の証言が日本軍に強制連行の証言がない再確認までしてくれた。
日本軍の強制連行を否定したが氏の証言は、今更ではない。
1993年度に挺対協が採録した「証言集I強制的に連行された朝鮮人軍慰安婦たち」(ハンウル)でこの種は、同じ証言を公式記録として残したからだ。
この種は、当時家出状態だったという。
「母にも話していないまま、わずか数分の順に沿って家を出た。家で着ていた黒いトンチマにボタンの付いた長い面積三を着ていると思いを集めていた。
行ってみると川で見た日本の男が出ていた。彼は四十がちょっとないされてた。国民服に戦闘帽を書いていた。
彼は私に服ボツンイかを渡しながら、その中にワンピースと革の靴があるとした。
ボツンイを軽く持ち上げてみると、果たして赤いワンピースと革靴が見えた。それて子供の心にどのよう良かったのか知らない。
だからやめ、他の考えもできずに気軽に応じて出るようになった。」
今回この種の決定的KBS証言映像を再発掘したのは、最近連日慰安婦問題の真実を究明していきているギムビョンホン国史教科書研究所所長である。
・キム所長は「慰安婦被害者法によると、「日本軍慰安婦被害者」とは、
「日帝によって強制的に動員されて性的(性的)虐待を受け、慰安婦としての生活を余儀なくされた被害者」に明白に規定されている」とし
「しかし、イ・ヨンスさん本人の証言だけが含まれても慰安所花屋のねじれに渡った場合に「日本軍慰安婦被害者」ではない」と指摘した。
キム所長は「この種は、「日本軍慰安婦被害者」がないのに今まで嘘で慰安婦法による各種支援、
利益を享受してき否定受給者であり、犯罪者」とし「この種の犯罪に対しては 、1月末、すでに警察に告発した
また、 KBS証言映像を女性家族部に提出して資格剥奪苦情を入れることで 、女性家族部の監査院に国民の感謝を請求する予定」という立場を明らかにした
・一方、イ・ヨンスさんは来る16日、ハーバード大学でハーバードアジア太平洋大学法学部学生会(APALSA)主催円卓討議で
「慰安婦被害者」の映像の証言をする予定である。最近ハーバード大学レムジャ続い教授の慰安婦論文の議論と関連して、対応性格に見える
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