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▲ホン・スンジュ歴史コラムニスト.(c)ブレーキニュース
百済は温祚(オンソ)が建ててその血統が万世一系に続いたわけではなく、一つの王暦の中に二つの王権勢力だった温祚系と沸流(ピリュ)系の王たちが混在して現れる。
日本でも同じように日本書紀に出てくる天皇派閥は百済系一つの万世一系と見られるが、実は新羅系(天武天皇)と高句麗系(顕宗)の王統が混ざっている。一方、日本で新羅系が現れる代表的な事件は大化改新および壬申の乱に続く天武天皇の登場が挙げられる。ここでこれに対する歴史的背景を一度見てみることにしよう。
まず645年に倭列島で起きた政変を大化改新という。これは百済系蘇我氏の勢力が大きくなるとすぐに中大兄皇子がこれを排除するために藤原鎌足と共に倭列島奈良飛鳥地域に新羅勢力を引き込む。
この時、新羅からは大海人として出てくる新羅貴族キム・タチュク将軍が率いる新羅支援軍を派遣して奈良飛鳥軍を制圧し、蘇我入鹿大臣を除去する。この事件で百済系、皇極女王(義慈王(百済最後の王)の妹)が退いて孝徳天皇が新しく即位する。
その後、金春秋(キム・チュンチュ)が倭列島に入って唐の高向玄理(たかむこ の くろまろ)を国博士にたて唐留学生と僧侶が主導して新羅式政治改革を推進した