18/11/29 22:20:24.16 CAP_USER.net
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▲三菱ロゴの「3つの菱形」、出発の時から始まった「政経癒着」の象徴
日帝強制占領期強制徴用被害者が戦犯企業・三菱重工を相手に損害賠償訴訟を提起し、18年ぶりに最終的に勝訴し、三菱が日帝とともに行った過去の戦争犯罪に対する関心もまた高まっている。
日本の3大グループの一つ、三菱グループは出発から政経癒着に始まり、菱形3つが刻まれたロゴの中にも政経癒着から出発したこの企業の屈曲した歴史が入っている。この3つの菱形は19世紀から第二次大戦終戦まで日帝の旭日旗とともに全アジア地域を侵略し、韓国と中国、東南アジア全域の住民たちの膏血を絞って成長してきた。
今回の訴訟を起こした被害者らは1944年9月~10月当時、日本広島の三菱重工業機械製作所と造船所に引きずられて行って強制労働させられたチョン・チャンヒ(95)ハラボジら6人だった。彼らは2000年5月、強制徴用による損害賠償金と強制労働期間にちゃんと支給されなかった賃金を賠償するよう訴訟を起こした。日本政府はこの日の判決を決して受け入れられないと反発したが、今後、国内外の日帝強制徴用被害と関連した訴訟に影響を及ぼす展望だ。
今回の判決で過去、戦犯企業として悪名が高かった三菱グループに対する関心も高まっている。三菱は明治維新期の19世紀中葉から日帝の戦争と共に成長した戦犯企業だった。この企業が草創期から政経癒着と戦争で大きくなった事実は菱形3個で構成されたこの企業のロゴで知ることが出来る。
この3つの菱形は本来、三菱グループを創立した「岩崎弥太郎」が自分の出身地である日本土佐地域の領主、山内一族の象徴から作ったロゴだ。岩崎は政経癒着で悪名高い商人で、土佐地域の借金を返す代わりに勝ち取った蒸気船と莫大な利権を利用して戦争物資輸送など海運業で金を儲けた。三菱のロゴは地域政権との結託を見せる象徴だった計算だ。
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▲正式名称は「0式艦上戦闘機」別名「零戦」と呼ばれたA6M機種の戦闘機。三菱重工が1939年製作、第二次大戦当時悪名を駆せた。(写真=ウィキペディア)
三菱が本格的な戦争企業になったのは1874年、日本初の対外遠征戦争である台湾出兵の時であった。当時、三菱は台湾出兵の時、軍需物資輸送を引き受けて日帝と結託、その後1877年、日本で発生した内戦である西南戦争では明治政府の軍需業務を独占して莫大な利益をあげた。
2代三菱総帥になった岩崎弥之助は日王の特別指示で日本銀行総裁の席まで上がり、官界とさらに強く結託、三菱は日本の対外膨張政策と共に成長する侵略戦争の手先の役割を正確にすることになった。
政経癒着を通じて「財閥体制」の根幹を達成した三菱グループは第二次大戦以前までタコ足式拡張を実施する。鉱山、造船、海運、電気、航空機、化学、石油まで手を伸ばしながら日帝の大陸侵略戦争とより一層密着することになる。強制徴用で我が国だけでなく、アジア全域の住民たちの膏血を吸いとった三菱重工は第二次大戦当時、日帝の各種武器生産も担当した。
三菱重工が開発した代表的な武器は太平洋戦争序盤、悪名高かった日本の戦闘機A6M戦闘機、よく「ゼロ戦」と呼ばれる機種だった。中日戦争後、真珠湾空襲当時も使われたこのゼロ戦は日帝崩壊が深まる当時、神風特攻隊にも使われ非常に悪名高い戦闘機として残ることになった。
イ・ヒョヌ記者<(c)経済を見る目、世界を見る窓、アジア経済
ソース:アジア経済(韓国語) 戦犯企業「三菱「ロゴに菱形3個が入る理由
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