18/10/11 20:06:42.99 CAP_USER.net
鳴梁(ミョンリャン)海戦と青山里(チョサンリ)戦闘、安重根(アン・ジュングン)義士の偉業はみな私たち国民にとって日本の侵略や圧力に抵抗して達成した勝利の記憶だ。壬辰倭乱を起こして破竹の勢いで朝鮮全域を蹂躙した日本軍に決定的「一発」を飛ばした李舜臣将軍の鳴梁海戦の話に国民は胸をなで下ろす。
歴史に仮定はないとしてもみな「李舜臣将軍がいなかったら今の私、今の我が国はなかっただろう」という仮定を一回ぐらいしたことがあるだろう。青山里戦闘はもしかしたら壬辰倭乱より大きな国難といえる庚戌国辱(1910年)で、朝鮮が日本に国権を奪われた中、この土地の民衆が憤然と起って義兵として日本正規軍と戦い、大勝をおさめた戦闘だ。国権喪失直前の1909年、中国ハルビン駅で起きた安重根義士の偉業が私たち国民に与えた響きも大きかった。
しかし、このような英雄的抵抗の後、日本の反撃も侮れなかった。時には私たちが得たもの以上、私たちは日本に痛恨の報復をされた。
鳴梁海戦後、倭軍は全南(チョンナム)霊光(ヨングァン)、務安(ムアン)、海南(ヘナム)など南部地域の様々な村を灰にした。忠南(チュンナム)牙山(アサン)の李舜臣(忠武公、イ・スンシン)本家もこの時、廃墟になった。倭軍に対抗して本家を守っていたイ・スンシンの三番目の息子(当時21才)が命を落としたのもこの時であった。その後、息子の死のニュースを伝え聞いた忠武公は号泣した後、鼻血を一升