18/07/11 12:07:54.98 CAP_USER.net
『虚構の時代の果て─オウムと世界最終戦争』の著者で、社会学者の大澤真幸さんは「事件が一部の特異な人たちの犯行だと考えるべきではない」と強調する。
「オウムは、社会に人生の希望や理想を見いだせなくなった時代に出てきた。信徒たちが抱いたような虚無感は一般の人々にもある。
人生について真面目に考えている人ほど、オウムのようなものに魅了される」
若者が社会に矛盾や疑問を感じるのは世の常。心のすき間に入ってきた麻原は決して特別な存在ではないと分析するのは、
立正大教授で社会心理学者の西田公昭さんだ。一連の事件で、心理鑑定を担当した。
「あの手の特別さは麻原が唯一無二ではない。心の闇を抱えている人に、あたかも簡単に解決してあげられるかのように、
ウソの手を差し伸べれば、ピタッとはまります。今後もカルト的なものが問題になることはありうるのです」
事件当時よりも社会の閉塞感は広がっており、若者は日本に明るい未来を感じていないと思うからだ。
「このまま社会に出ていってうまくいくんだろうかと思っている大学生や、就職しても結局は会社の中でうまくいかない若者は少なくない。そういうところに、
ポンッとカルト的なものが入ってきたら、パッと食いつきますよ」
事件を境にして、社会のありようが大きく変わったという見方もある。有田さんは、こう振り返る。
「監視社会になりました。街中に監視カメラが設置されて、日常生活が監視されている。それによって犯罪が明らかになるなど良い面もあるが、
あれから23年で、相互監視が当たり前の社会になった」
■ヘイトスピーチ、根底に同じもの
森さんは、事件は政治の在り方にも影響を与えたとみている。
「極論を言えば、事件がなければ安倍政権は誕生していなかったと思います」
事件と政権を直接結び付けることはできないが、森さんの見立てはこうだ。
「あの事件によって社会の不安と恐怖が刺激された。人は不安と恐怖をもつと集団でまとまりたくなるのです。集団でまとまるとみんなと同じ動きをしたくなる。
そのためには、同じ動きをしないものは排除していく必要があり、それには強いリーダーが欲しくなる。リーダーは自分への支持を集めるため、共通の敵を探したくなる」
7/11(水) 11:30配信 AERA dot.
これは、01年の同時多発テロのときの米ブッシュ政権にあてはまるが、同じことが日本でも始まっていたという。
「だから今は、安倍的な政治家が一番いいんでしょうね」
社会にさまざまな影響を与えたオウム真理教。平成という時代を象徴する事件だが、今後、第二のオウムが現れる可能性はあるのだろうか。
宗教学者の山折哲雄さんは「日本人の心の問題を議論し、解決策を出さなければ、同じ事件は起きる」という。ジャーナリストの魚住昭さんは次のように分析する。
「麻原氏の教義は、仏教、キリスト教、神道などが混合した習合的なものでした。これにユダヤ民族による世界征服という荒唐無稽な陰謀論と、
自分たちは神に選ばれた民、という選民意識が加わった。それがオウムを武装化に駆り立てた。この陰謀論や選民意識は、形をかえていまも存在します」
例えば、ヘイトスピーチ。最近、ありもしない陰謀論をうたい、攻撃的な発言をする集団が目立つ。
「こうした、ねじ曲がったナショナリズムは存在するし、それが暴力的な手段を取ることはいくらでもあり得ると思っています。教団の思想を分析し、
事件全体を解明すべきだった。なのに、死刑執行ですべては闇のままです」
大澤さんもヘイトスピーチの根底に、自分の不遇を責任転嫁するオウムと同じものが流れているとみる。
「今の若い世代が生きる意味や目的を見つけたというわけではない。つまり、根本的な日本の病理が解決したということではない。
病気が慢性的になると、自分が病気であることに気づかないことがある。自覚なき虚無感です」
いまの日本は東京五輪くらいしか目標がない、と大澤さんは指摘する。目標を失ったとき、人びとは救済を求め、同じような事件が起きる可能性はある。
闇に葬り去られた“オウム”は、また現れるのだ。(本誌・上田耕司、岩下明日香、吉崎洋夫、永井貴子)
※週刊朝日 2018年7月20日号 記事の一部抜粋
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