17/10/20 07:35:53.04 CAP_USER.net
町内会で気さくな親父として知られるご近所さんが倒れたというので慌てて駆けつけたところ、泥酔して転んで柱に頭を打っただけであることが分かって強い時間を返せ感を覚える今日この頃ですが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
というのも、私は現住所と実家と生家の三箇所で町内会活動をひっそりやらせていただいておりまして、何をやるにも足りないんですよね、人手が。
外国人の方たちがご近所さんになるということ
ご多分に漏れず、首都圏東京でも都市全体が高齢化するという問題を引き起こしていて、また独居老人が増えたり保護司的な活動をされる方が慢性的に不足していたり、地域のために働く人はボランティアベースで対応しなければいけない分、いろんなものに手が回りません。
薄給か、場合によっては無報酬で取り組んでおられる方を見ると、率直に頭が下がる思いです。
そんな昨今、地域の問題として急激に頭をもたげてきたのは、近隣に住む外国人の方たちとのトラブルです。
三年前ぐらいからでしょうか、アジアから帰化された方が集合住宅にお住まいになられ、最初はゴミの収集で、次いで夜間の騒音で、さらには自転車の停め方、朝晩の悪臭、街角の備品の盗難から落書きなどなど、ありとあらゆるところで揉めていました。
私も移民受け入れ制限をせざるを得ないと思っていました
私もまあ、外国から来られて日本に住んでいる人たちが近所に住むというのはいろいろ警戒しました。最近でこそ常勤の仕事を大幅に減らして育児や介護などプライベートを優先するようになりましたが、当初は海外への長期出張も多く、自宅に家内と子供を置いて留守にするのが心配でなりませんでした。
また、現住所の近くにはデジタル系の大学が多くの留学生を抱えており、中国や韓国、台湾といった見慣れた人たちだけでなく、フィリピンやベトナム、シンガポール、インドなどからも多数の人達が集まるようになってくると、もう何がなんだか分かりません。
それまでは、どちらかというと日本は移民の受け入れを制限せざるを得ないんじゃないかと思っていました。仕事でもビジネス習慣の違いでやりづらさを感じる近隣国もあり、行儀の悪い人たちと仕事でご一緒するだけならともかく近所で仲良く暮らすなんて大変だろうと考えていたからです。
実際、実家は近くに繁華街もあり、そこで外国人女性が客引きをしてトラブルを起こしているのを何度も見ると、率直に言って「平穏を乱して滅茶苦茶をやるぐらいなら、どこかへ出ていってもらえないかな」と感じたものです。
会釈から始まり、外国人に話を聞くようになって考えが変わった
しかしながら、町中の揉め事はあれども、実際にそこに住み、顔を合わせるようになってしばらく経つと、状況は変わってきます。顔を認識するようになり、スーパーの買い物でお互い会釈をするようになり、公園で子供同士が遊ぶようになると自然と会話をするようになります。「どこから来たの?」「ベトナムのダナンという街です」「ああ、行ったことある!」
あたり前のことなのですが、日本を選択してやってくる外国人にも理由があり、生活があり、家庭があって、人生を送っているのです。いままでは、近所に住んでいるけど得体の知れない外国人だった人たちは、れっきとした社会人であり、日本で暮らす隣人であり、幸せと懊悩を併せ持つ立派な人間だということが分かります。
彼らなりに日本社会に溶け込もうという努力をし、しかし自分たち固有の文化の生活は守る。感情や現実の鬩(せめ)ぎ合いもありつつ、良い人生を送りたいと考える人たちもいます。
彼らとよく話すようになると、一緒にやってきた一族の若者が仕事を見つけられず料理店の良からぬ連中と付き合っているようで悩んでいるとか、最近ようやく下の子が日本の小学校に通って友だちができるようになったとかいう話を聞かされ、こちらも考えが変わってきます。
それまで警戒感を抱いていた外国人に対して、こちら側も一歩彼らのほうに踏み出してともに協力していかなければ、ゴミから自転車から騒音からこの街の問題は解決しないのだ、ということに気づくのです。
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