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【女性セブン】天皇皇后両陛下 「高麗神社」参拝で伝えた平和への願い - 暇つぶし2ch1:ねこ名無し ★
17/10/04 02:32:07.00 CAP_USER.net
4年前に始まった両陛下の私的旅行は8回目を数えた。ある時には魚市場をご覧になり、時に紅葉を楽しまれ、時にサクランボを収穫された。しかし、そんなプライベートタイムでも「象徴の重責」から解放されることはない。今回もまた、両陛下はある思いを胸に秘めて旅路へとつかれていた。
「三国時代」と聞けば、誰もが思い浮かべるのは3世紀頃の中国で魏、呉、蜀が覇権を争った、いわゆる三国志の時代のことだろう。
実は、4世紀から7世紀にかけての朝鮮半島でも3つの国がにらみ合う時代があった。「百済」、「新羅」と並び、朝鮮半島の北半分と中国南西部を支配したのが「高句麗」だった。一時は三国の中で最大規模の領土を誇ったが、668年、新羅と唐(中国)の連合軍に破れ滅亡。祖国を失った人の中には、海を越え日本にまで逃れた人々がいた。
彼らが多く移住したのが、現在の埼玉県日高市と飯能市にまたがる地域。高句麗にちなみ、明治時代まで高麗郡と呼ばれたその地には、当時の指導者を祀った「高麗神社」が厳然とたたずんでいる。
9月20日、天皇皇后両陛下は同神社に足を運ばれた。
「20日には高麗神社のほか、約500万本の真っ赤なマンジュシャゲ(ヒガンバナ)が咲き誇る巾着田曼珠沙華公園を訪問。1泊されて21日には、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京証券取引所、東京ガスといった数々の企業の設立に寄与した事業家・渋沢栄一の生誕の地や記念館をご覧になりました」(皇室記者)
私的な行事でありながら、今回のお出ましは遠く韓国でも大きく報じられた。
《参拝は歴代日王(天皇)で初めて》
主要各紙にはそんな見出しが躍り、参拝時の両陛下の様子が詳報された。その理由は、同神社が朝鮮半島からの渡来人に縁深い地だからに他ならない。
「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記されていることに、韓国とのゆかりを感じています」
2001年の誕生日会見で、陛下はそう述べられていた。また、2005年のサイパン、2015年のパラオと先の大戦の「祈りの旅」を続けられてきた両陛下にとって、韓国は“最後の地”ともいわれている。それだけに、両陛下の胸にもさまざまな思いが去来したことだろう。
「高句麗は何年に滅んだのですか」
「高句麗人と百済人は、どのような違いがあるのですか」
両陛下は、同神社を案内した宮司にそう質問を投げかけられた。訪問にあたっては事前に資料をご覧になったほか、御所で専門家からの説明も受けられたという。だが、その熱心な姿勢の陰には、単なる「ゆかり」以上の理由があった。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が明かす。
「1980年頃、まだ昭和天皇がご存命だったときに、私は高麗神社の関係者から“陛下に足をお運びいただくことはできないものでしょうか?”と相談を受けたことがあったんです。当時、テレビ局で宮内庁担当記者をしていた私は、その希望を宮内庁側に伝えました。ですが、返ってきた答えは“NO”。さまざまな事情を考慮しての結果だったようですが、結局、昭和天皇が同神社を参拝されることはありませんでした」
それからおよそ40年。今回の訪問は陛下、そして美智子さまにとって、昭和天皇が遺した悲願を叶える旅だったのかもしれない。
◆訪問先は一般人立ち入り禁止
元共同通信記者で、陛下のご学友としてさまざまなメディアに登場した故・橋本明氏は生前、本誌・女性セブンの取材に次のように話していた。
「皇太子時代の1986年、両陛下の韓国訪問が予定されていました。ところが、美智子さまが子宮筋腫の手術のため入院を余儀なくされ、取りやめに。それからというもの、両陛下は韓国訪問への思いを日増しに強くお持ちでした」
だが、韓国内での反日感情の高まりや、燻り続ける「慰安婦問題」などのトンネルの出口は見えず、日本と韓国の間には緊張状態が続いている。それだけに、今回の私的旅行でも異例の光景が広がっていた。
URLリンク(www.news-postseven.com)
>>2以降に続く)


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