【篠原孝】サンマが高級魚になる日 中台韓のサンマ乱獲 公海の資源は人口比で分配すべし(?)という中国の無茶な屁理屈[8/29]at NEWS4PLUS
【篠原孝】サンマが高級魚になる日 中台韓のサンマ乱獲 公海の資源は人口比で分配すべし(?)という中国の無茶な屁理屈[8/29] - 暇つぶし2ch1:ねこ名無し ★@\(^o^)/
17/08/29 21:25:43.22 CAP_USER.net
日本はかつて世界一の漁業国であった。世界中の海をところ狭しと駆け回り、世界中の魚を獲っていたといってよい。典型的な魚食民族であり、戦後初期の頃、水産物は全輸出の1割を占めていた。
秋の味覚として庶民に愛されるサンマは、今年も8月23日、北海道沖で獲れた20tが気仙沼港に初水揚げされた。中程度の大きさが中心で、昨年と比べてキロ当たり100円ほど高いという。しかし、最近ではそのサンマに暗雲が立ち込めている。
<海洋法条約に加盟するには漁業資源の保全制度の導入が条件>
1976年、200海里時代の幕開けの頃、企画課の係長だったが、約20年後の1994年秋に水産庁企画課長を拝命した。私は水産庁に3回も勤務している。農業の専門家としていろいろ言われているが、実は農林水産省30年間の勤務のうち、約3分の1は水産に関係している。
20年の歳月は海を巡る状況を一変させた。第三次国連海洋法条約がまとまり、水産資源保護のために資源量を把握して、これ以上獲ってはいけないという制度の導入を進めざるを得なくなっていた。TAC法と呼ばれ、海洋法条約に加盟するための条件でもあった。
鉱物資源はそれぞれの国が権利を持っている。だから輸入して、それを加工して、それを輸出して日本の加工貿易は成り立っていた。ところが海の資源へのアクセスは簡単で、12海里の領海外は自由に漁業ができたのである。
勿論日ソ漁業交渉、日米漁業交渉等で漁獲量は減らされたが、締め出されることはなかった。そこに突然出てきたのが200海里時代である。沿岸から200海里はそれぞれの沿岸国に主権を与え、資源管理を任せるというものである。
沿岸国で獲りきれなかった場合は、外国に割り当てるという今のルールが出来上がった。
<日本の遠洋漁業が急がせた200海里排他的経済水域>
200海里のルールは日本が世界中の海で縦横無尽に獲り歩いたことに原因があるかもしれない。どうせ来年か再来年に漁獲量を削減されるから、今のうちに儲けておこうということになる。
網で相当な魚を大量に獲ったとしても「地産地消・旬産旬消」に最も反することになるのだが、冷凍、冷蔵して日本まで持たせて採算を合わすとなると、高級魚しか残さず余計な魚、小さな魚は皆海に捨てる。こうしたことが繰り返されたのだ。
言ってみれば、他国の庭先(EEZ内)で魚を獲り放題だったがために、もうやめて出て行けと言われただけのことだ。
<中・台・韓が遠洋漁業に参入して日本近海は一変>
その意味で200海里時代を当然のことだと思う。ところが日本も勝手な国である。遠洋漁業に乗り出す力のない中国と韓国に対しては、200海里ではなくお互いに12海里の外については自由に獲りつづけようということにしていた。
ただ、ロシアが200海里を引いて日本に対して締め出しをしてきたので、対ロシア用に200海里を設定していた。
ところが時代は過ぎ、中国・台湾・韓国漁船が日本に押し寄せてくるようになると、日本の漁船が資源管理をして休漁中なのにもかかわらず、目の前で中国・韓国・イモ漁船がやたらと魚を獲っている。これでは日本の漁業はやっていけない。
早く200海里を設定しろという声が一斉に沸きあがった。つまり、日本が一昔前に世界中でしていたことを、近隣の中・台・韓がし始めたのだ。
<長くかかった国連海洋法条約会議>
今はTPP、日EU・EPA等が日本の紙面を賑わしているが、最も長くかかった国際交渉は海洋法条約である。第一次、第二次、第三次海洋法条約と続き、1982年にやっと採択され発効したのは1994年である。
第三次海洋法条約だけでも1973年に開始され10年もかかっている。日本は前述の通りTAC法等を変え1996年に批准した。そして海の日7月20日はその海洋法条約の発効日であり、私が手塩にかけたTAC法等の関連法案の施行日でもあった。
既にこの時、今の中国のサンマに対する頑固な姿勢が垣間見られていた。海の資源は人類共有の財産(common heritage of mankind)といわれている。この関連の議論はなかなか卓越していた。
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>>2以降に続く)


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