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日本のユーロビート
1980年代後半
1980年代後半から1990年代前半にかけて『ザッツ・ユーロビート』というコンピレーションCDがアルファレコードから発売され、
ブームに火を点けるとともに、ユーロビートの名称が定着した。同シリーズはVol.44まで続き、今ではユーロビートの古典的存在となっている。
また、同時期には、他社からも「ユーロビート・ファンタジー」(ポニーキャニオン)、「ベスト・ディスコ」(ビクター)というシリーズが発売され、ディスコ・ブームとともにユーロビートは日本で一世を風靡した。
ダンス音楽として制作されたユーロビートの楽曲はシングル単位で消費される例がほとんどだが、
キング・コング&ジャングル・ガールズ(『BOOM BOOM DOLLAR』)、マイケル・フォーチュナティ(『GIVE ME UP』)、ポール・レカキス(『Boom Boom (Let's Go Back to My Room)』)などは
一般消費者にも受け入れられ、アルバム単位でもヒット作となった。また、ロングセラーになる曲も多く、Melaの『Help Me』などが代表格である。
日本の歌謡曲にも影響を与え、特にアイドル歌謡にユーロビートアレンジを採用する例が多かった。当時のヨーロッパでヒットしていた
ユーロビートを日本のアイドルがカバーした作品としては、荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)』、森川由加里『Show Me』、
長山洋子『ヴィーナス』、BaBe『Give Me Up』、Wink『愛が止まらない 〜Turn it into love〜』などが挙げられる。アイドルがカヴァーしたことによって、オリジナルもヒットするという現象も多々あった。
また、日本の歌謡曲に日本人プロデューサーがユーロビート風のアレンジを行ったものをアイドルが歌った作品としては、
森高千里『17才』が挙げられ、1970年代の南沙織の同名のヒット曲を斉藤英夫がユーロビート風にアレンジし、大ヒットさせた。
1980年代当時、日本人アイドルの歌った日本製の「ユーロビート」は、
DEAD OR ALIVEやカイリー・ミノーグなどの本家のユーロビートとともに日本のディスコのフロアで流されていた。
またポップスの方面でも、小室哲哉率いるTMNはプロデュースやリミックスをユーロビートの本家である
イギリスのPWLレーベルに委ねており、ダンス音楽に限らず、ユーロビートは日本国内で広く浸透していったことが分かる。
また、アジアにおけるユーロビートの流行が、日本を起点に香港や韓国などのアジア諸国に拡大していく例もあった。
特に、荻野目洋子ヴァージョンの『ダンシング・ヒーロー (Eat You Up)』は、香港などでカヴァーされる際に、
オリジナル曲ではなく、日本での編曲が使われた。韓国では「ザッツ・ユーロビート」のコピー盤が流通したり、
90年代にはR.efやNRG、Koyoteといったアイドルグループがユーロビート調の楽曲を歌っていた事があった。wikipediaより
ユーロビート系歌謡曲・JPOPの名曲を紹介したり、懐かしんだり、
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