20/04/21 10:50:11.98 fOkrbsHA.net
「コロナウイルス禍での安倍晋三 会食日記」
://twitter.com/unclepaul_jp/status/1251716311933022215?s=20
スペイン風邪で子供をなくした与謝野晶子。まるで今を見ているような文章を残している。
://twitter.com/mofutwiko/status/1246442366510092290?s=20
女性がトップの7カ国のコロナとの戦い方が興味深かった。
「真実」を伝え、「断固とした決意」で、「テクノロジー」を使い、「愛」を持って接する。
://twitter.com/yoshilog/status/1249886047678410752?s=20
【東海アマ】
安倍晋三がコロナ禍をひどく軽く考え、PCR検査をしたがらないのも、事態の深刻さを直視したくない。
直面する事態を軽く見せかけ、すぐにでも解決できるようにしか公表しない。
日本人は、どうして、ここまで現実にある問題の矮小化=「ことなかれ」が好きなのだろう?
私は、「残酷を直視できない」日本人の文化的パーソナリティに大きな問題があるような気がしている。
日本映画やドラマで、遺体の出てくるシーンがあったとしても、
アンチリアリティの制約でもあるのかと思える実に抽象的で陳腐な表現ばかり。
肉片が飛んだりの現実感が希薄なのだ。
だから、座頭市など日本映画のチャンバラシーンは、「殺人でなく、体操にすぎない」と、海外では不評だった。
後に、勝やタケシが、少しはリアリティのある殺陣を公開してみても、
どこか芝居じみて現実感に乏しい表現から逃れられないでいる。
テレビドラマで、毎回死体が登場する、沢口靖子の科捜研シリーズとか、内藤剛志の刑事シリーズなども、
24時間経た遺体の血糊が顔料赤のままになっていて、とてもアホらしくて見ていられない。
日本製の映画やドラマが評価されないのは、
こうした真実・現実から乖離した観念的でリアリティのない表現ばかりであることが最大の原因だろう。
ユーチューブも、残酷シーンがわずかでも含まれている動画は、片っ端から削除していて、
ネットの残酷シーンに拒絶反応を示して、追放を要求する知性も思索もない馬鹿が溢れているが、
いざ、コロナ禍のような事態に遭遇して、対策を正しく考えることなどできるはずがない。
我々は、すべての真実を隠蔽しないで見せるメディアを必要としているのではないのか?
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