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【19世紀人身売買と奴隷禁止の流れ(簡略版)】1
(※『日本婦人問題資料集成〈1〉』ドメス出版 1978参照)
・1872年(旧暦)7月9日 「マリヤ・ルス号事件」発生
・同年 8月16、17、18、19、21日 同事件「奴隷裁判」
※日本側「労力への契約は奴隷契約」
船長側「日本の娼婦はより過酷な奴隷契約」
・同年 8月25?日 裁判結審
※「労力は自由。自国内に奴隷制があっても
輸出入を認めないのは50年前の米も同じ」
・同年 10月2日 「太政官達第295号」
※「従来の人身売買(親による身売り)による
年季奉公契約の娼婦は人倫にそむき禁止」
・同年 10月4日 「人身売買厳禁に関する東京府令」
※「今後、娼婦は本人の希望があった場合、
それぞれ吟味して許可を与える」
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