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正論 2015年11月号
虚妄の「強制連行」論が隠した在日の過去
朝鮮問題研究家 安倍南牛
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帝国解体時、それまで約200万人近くいた日本在住の朝鮮人の内、ほぼ160万人が帰った。昭和21(1946)年末
時点で大凡40万人しか在日朝鮮人はいなかった。それが北朝鮮人への「帰国運動(帰還事業)」が始まった昭和34
(1959)年には60万人に増えた。むろん、これは表に出た数字である。民族間の対立を助長させるGHQの朝鮮人
優遇政策は、朝鮮半島への帰国を目指した朝鮮人の足止めを招くどころか、むしろ逆流するきっかけを作ったのだ。
僅かな期間で人口が1.5倍に増えるなどあり得ない。この間、密入国で摘発された者は約6万人である。6万人の
3倍は逮捕されなかった密入国者がいたことが指摘されている。約20万人であり、60万人から40万人を引けば
20万人と数字的には合っている。しかし、この「在日朝鮮人60万人の内、20万人の密入国者」が持つ意味は、
これまで余り問題にされて来なかった。
それも、在日朝鮮人は「強制連行」されてきた人々だというイメージが定着しているからだ。それには、
在日朝鮮人歴史家・朴慶植の著作、『太平洋戦争中における朝鮮人労働者強制連行について』(1962年)の
刊行が契機となっている。
ここに使われている「強制連行」という言葉だが、朴慶植は「中国人の強制連行の調査に関する資料」が、
岩波書店の雑誌『世界』の1960年5月号に掲載されたことに刺激されたと述べている。関東大震災時に於ける
朝鮮人虐殺の研究者、山田昭次はこれを受け、「強制連行」は朴慶植の造語ではなく、以前の中国人強制連行
という言葉が知られていたから借用したのだろうと指摘し、「物理的暴力にしか頼れなかった占領地(中国)から
の強制連行と皇民化教育のようなイデオロギーによる強制も駆使した植民地からのそれとの違いを認識されな
かった」(『追憶 朴慶植』)と、朴慶植の借用を批判した。
朴慶植の、『太平洋戦争中における朝鮮人労働者強制連行について』は朝鮮大学校から刊行された。この時に
使われた「強制連行」という言葉を、在日朝鮮人作家の金達寿は物理的強制(暴力を伴った)で行われた中国人
の日本への連行に、朝鮮人の自主的渡航を重ね合わせた点を指して、あれは朴慶植の造語だと断定した。一方、
朴慶植は最晩年に「身体の拘束による連行だけが強制連行じゃない」(『追憶 朴慶植』)と、山田に強弁したそう
である。
この朴慶植の言葉は、朝鮮人の「強制連行」を造語した朴慶植本人が、物理的暴力で日本へ渡ってた朝鮮人は
いないことを浮き彫りにしている。
(中略)
朴慶植は、自らを「強制連行されてきた朝鮮人ではない」と述べていたが、1965年には『朝鮮人強制連行の記録』
(未来社)を刊行する。今では朴慶植のこの著作が「強制連行」を日本社会に定着させた、と受け取られている。
だが、一冊の著作で在日朝鮮人は「強制連行」されてきた人々だとみられるようになったのだろうか?
ところで先ほど述べた20万人の密入国者は何処に消えたのであろうか?少なくとも、密入国者の存在は70年代
半ばまでは、広く知られていた。北朝鮮への帰国運動で10万人が海を渡って行く一方で密入国者は増えており、
阪神地域の産業を底辺で支える労働力として期待されていた存在でもあった。
多くの在日朝鮮人が密入国者であったことを、多くの日本人は今では忘れている。その過程に金嬉老事件が
ある。それは金嬉老や事件に対して「在日朝鮮人は差別されてきたのだから、罪一等減じるべきだ」といった主張
が繰り広げられるのを受けた朝鮮総聯の運動があったから、とも言える。
《続く》