22/02/05 19:47:15.21 .net
【邪馬台国から持統天皇までの王都は阿波であり壬申の乱も阿波で起こった事】であると、
とんでもない電波を飛ばす「阿波古事記研究会」や「阿波国古代研究所」なる団体があります。
説を唱えるのは自由ですが徳島県では地域ぐるみで、【地名や伝承の捏造】も行っています。
神社側も捏造に加担しており、神社伝承学を逆手に取った悪質な犯行であると言えます。
このスレは徳島県におけるこの状況に対して深く反省を促すと共に、この捏造を周知するため悪行を晒し上げるものです。
【阿波説完全崩壊のお知らせ】
王都阿波説がその根拠としている
「(論)大御和神社」神社拝殿上に「文武天皇(七〇二年)の御宇、 この閤宮より、国璽の印と国庫の鍵を差し出した」及び「(論)八倉比売神社」(徳島市国府町矢野)祭神・大日靈女命。
★この両神社は、明治3年に祭神奉遷を行ったものであり、★
★式内社ではない事が確実にわかりました。由緒は捏造です★
【国府町史料】大御和神社(文学博士 吉田東伍著 大日本地名辞書 抄)
延喜式、大御和神社今府中にあり、印鑰大明神是歟と云ふ、然れども印鑰と名つくるは惣社にあらずや、不審、矢野の杉尾社を参考すべし
○因曰同書に矢野杉尾明神は神山に在り相傳へて天岩門別八倉比売祠と為すも疑わし阿和志云接するに
八倉比売社は名東郡の一宮なり寛延の勧進帳序に見えたり先輩の説も然り扨此社は郡中の大社なれば郡第一たる社の内にて一宮といひしならん此
矢野村杉尾社は大御和神社なるべしさるは杉は三輪神の因由なり。
◆印鑰大明神社(岩野信太郎氏所蔵玉牆神路巻 抄)
名東郡府中村印鑰大明神 奉尋御神名 印鑰又名麝香童子
丁印通用金剛 本地釋迦如来也 辨財天十五童子之
第一也當社祭禮九月九日也
◆大御和神社祭神奉遷(名西郡多田尚平氏所有)
其奉祠横倉名 名西郡左右内村 熊野神社 向後 大御和社 興奉稱候事
庚午閏十月(明治三年) 民政掛
明治3年からの神社を根拠に組み立てられた王都阿波説。
始まりもせずに終わりました。ぶった切り完了につきスレタイ変更。
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