☆★ 邪馬台国は【葛城】である【5】 ★★at HISTORY
☆★ 邪馬台国は【葛城】である【5】 ★★ - 暇つぶし2ch1:日本@名無史さん
18/04/19 13:05:56.87 .net
邪馬台国は葛城である。
葛城に住んでいたヒミコが判明したからである。
10代崇神天皇がいつごろの人物なのか。
これで邪馬台国論争は終了する。
崇神陵=行燈山古墳=布留1式=4世紀初頭から前半。
2015年久住編年でもこれが最有力。
そして卑弥呼擁立の時代=庄内0式(2世紀末)まで文化断絶がない。
という事は崇神から卑弥呼の時代までを普通に遡れるのだ。
にもかかわらず古代史家、考古学者の誰一人としてヒミコを探そうとしない。
ヒミコは記紀に登場しないという固定観念があるからであろう。
わしは探した。 ほらヒミコもトヨもいた。
⑩崇神(310年頃 318年没)
⑨開化
     ⑧孝元
          ⑦孝霊   
トヨ津        ⑥孝安 ⑤孝昭
トヨ津   (250年頃)④懿徳 
ヒメ踏鞴        ③安寧
ヒメ踏鞴        ②綏靖
ヒメ踏鞴 (200年頃) ①神武 
神武から6代孝安まで宮は葛城である。
また神武から孝安まで不自然な事に正后はいても「妃」がいない。
彼らは複数の妃を持つ大王ではなかったからである。
つまり魏志に書かれた女王国とは神武~孝安時代の事であり、 それは葛城王朝であった。
※考古学的根拠「国宝」中平銘鉄刀・和邇氏の系図は>>2


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