11/07/11 04:10:26 BvgFcD4Q
須田ビル周辺は戦後の闇市の流れをくんだ、生鮮食料品の市場だった。
今は亡き、射水線や富山港線でおばちゃんが運んできた魚介類や
笹津線で運ばれてきた野菜などが、売られていた。
当然、買い物に訪れたお客や従業員に飲食や雑貨を売る店も沢山あった。
一歩足を踏み入れると、独特の臭気(今思えば臭かった)とアングラ的な
不気味さがあった。干物の匂いを嗅ぎながら、本屋で立ち読みの毎日(電車の時間待ち)
であった。
一つ裏筋に入ると、東京上野のアメ横や横浜の中華街よりも怖いくらいの
アングラ感がそこには存在しました。
でも、良かったんですよねぇ~そこにはフロンティア精神が残ってました。
はぁぁ~、あの時代は夢があった。
セールの時は、必ず大和にアドバルーンが上がってたし、
セスナ機が<<タイヨーに行こう!って上空からアナウンスしてた。
大和の一階噴水に板張ってKNBサテライトスタジオにしてた。
総曲輪・中央通りは毎週末、山王祭りのごとき人込み・・・
中教院の夜店も大繁盛!
荒町(電電公社前)や公会堂(旧ANAホテル)のバス乗り場の大混雑。
市内中心部だけじゃないよ、石金(不二越?)や城北(開かずの踏切)も
賑わってた。はぁぁ、兵どもが夢のあと・・だね。