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『レスリングオブザーバー』より記事抜粋(デイブ・メルツァー記者)
「1976年6月26日に武道館で起きたことの最も驚くべき点は、試合が本当に行われたということである。
試合数日前になってアリが心変わりし、プロレスのジョブを拒否した、という経緯を考えれば、なおさらのことだ。
いくつかのルールが試合直前になって決まった。
腰から下へのテイクダウン、拳を握ったパンチ、頭部とボディへの蹴り、スープレクス、サブミッションが禁止された。
グレコローマン式のテイクダウンは許されたが、そのあとのグラウンド・アンド・パウンド攻撃は禁じられた。
猪木がアリを掴んだ場合のロープブレイクが許された。
ローキックだけが禁止事項から漏れたのは、当時は誰もローキックなど考えつかなかったからである。
一言で言えば、猪木は、史上最強のヘビー級ボクサーと、金縛り状態で戦えと言われたようなものである。
それでも猪木は、これが生涯もっとも誇るべきものになると考えていた。
いまさら撤退するには金銭的な損害が大きすぎたという事情もあった。
新日本はそもそも、プロレスでアリを倒すことで、猪木を国際的なスターに育てようとしていた。
皮肉なことに、猪木は本当にシュートでアリを倒した(今日の視点で見れば、猪木が11ラウンド、アリが3ラウンド取り、1Rはイーブンだった)。
しかし判定が引き分けであったために、猪木が期待した結果は何も起きなかった。」