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週刊新潮 ご不満「紀子妃」についた不敬なニックネーム
・1990年に設立された秋篠宮家。紀子妃は一貫して皇后をお手本として「皇室への過剰適応」とうけとられかねない振舞をしてきた。
・悠仁親王の誕生により、皇位継承者2名を擁する家として想像を絶するようなプレッシャーがかかった。
・東宮家に「もうあらたな家族の誕生はない」という話があり、そのあたりから紀子妃の感情の発露が増えた。
・「ご公務の際などには、にこやかでおっとりしたお話し方でおなじみですが実際の妃殿下は正反対です。
宮邸に詰める職員に対してはいつも早口で次々とご用件をまくしたてられ、指示が出される場には張りつめた空気が漂っています」
・宮邸の職員からも「未来の天皇が宮家から出るのですよ」とささやかれ紀子妃の「豹変」に拍車がかかっていく。
・「妃殿下からは、ご不満のお言葉が多く寄せられるようになりました。宮家に割り当てられた予算が実情に見合っていない。
こうした現状を「どうにか変えて貰いたい」という内容がもっぱらでした」
・人員の配置についても、折に触れ、幹部職員に「優秀な人材をもっとつけて欲しいのになぜできないのでしょうか」といった、
およそ一朝一夕には叶いそうにない訴えをなさっていました。
ですが、独特のしきたりを有する職場にあって、最初から宮家の仕事を十分にこなせる即戦力を望まれているのならば、それは無理なお話でしょう」
・悠仁さまのご誕生前とはうってかわり、ご一家を警護する皇宮警察の担当者らにもめっきりお声掛けをなさらなくなりました。ツンとした感じで、おっしゃることはご自身のご要望と苦情ばかり。
意外なことに、雅子妃の方が、まめにご自身の担当にお言葉をかけ和やかに懇談されているほどです(宮務関係者)